[Aug. ’17] 近代の亡霊:ディセンサス・アートによる超克—– 石巻Reborn Art Festival 2017を訪ねて —–

2017年7月22日から9月10日まで、宮城県の石巻市内から牡鹿半島の先端までを舞台に、国内外総勢39組のアーティストたちが参加するReborn Art Festivalが開催されている。テーマは「これからの自分に出会う旅」とされており、主催者は「過去への追悼ではなく、アートや音楽、食によって、未来の自分に出会う場所」を提案している。

東日本大震災以来、アートによる復興支援や、文化芸術による心の復興、アートによるコミュニティ復興など、自治体やNPO、アーティスト自身が発起人となった様々なプロジェクトとイベントが実行されてきた。そこで私たちは、被災者の心的外傷や経済的な困窮、被災の記憶に対する風化の問題、そして復興と将来的な展望そのものに内在する存在論的な問題にいたるまで、およそ否定神学的な命令法として、表象の不可能性に直面してきた。あれから6年が経ち、「復興」というテーゼに原初的に内在している実態—-つまり美学が政治学と倫理学に従属している状態—-とは別の可能性が期待されるときがついに到来したのだろうか。そこで今回は、被災地とそのコミュニティに直接的に関わっているサイトスペシフィックな作品をいくつか挙げて、その可能性を探ってみたい。

ところで、サイトスペシフィックなアートは、モダニズムの逆説もしくはその破綻の兆しにおいて、その流れを堰き止めるような反動として生まれた反芸術的な挑戦であったともいえる。モダニズムはシニフィアンとシニフィエの特権的・制度的な関係性を見直し、後者の正体である「象徴」のアーカイヴを破綻させ、形象や色彩のイリュージョンを否定し、素材そのものや形式主義に代表されるシニフィアンを浮かび上がらせた解放者として、新たなアートのフロンティアであるアメリカにおいて開花した。しかし、その作品は、表面的には体裁を変えてはいるももの、いまだアーティストとパトロンという根本的な共犯関係を脱却できておらず、商品化され、制度化され、権力化されていた。1970年代にリチャード・セラやロバート・スミッソンがギャラリーや美術館の外に飛び出したのは、状況的に、まさにこうしたアートの制度の問題がちらついていたからにほかならない。

こうして理想と現実の乖離はあったにせよ、モダニストの作品はタトリンの『第三インターナショナル』やデュシャンのレディメイドの作品群など、彫刻の条件そのものを問い詰めたラディカルな契機を経ながらも、やはり自律的なオブジェクト性(Autonomous Objecthood)を求めた。ブランクーシがそのほとんどの作品の台座までも本体と同じ素材とフィニッシュで仕上げていたことは、美術館の展示場にある台座の制度的な抑圧を意識したうえで、彼なりの切実な自律性の探求であった。

Reborn Art Festivalのテーマが過去の追悼ではなく未来への志向性を求めているということは、過去との決別が正しい形でなされなければならない。それはコミッションによって制作されているというアート活動の発端や制度的な諸条件といかに向き合うかという究極的な問いでもある。

Cultural Confinement: 文化的幽閉

制度の実在性を目視できるものといえば、その社会的要請と経済的な諸条件のおかげで、さまざまな人災や天災をもろともしないものがある。それは、物理的にそして精神史的に、である。現に石巻の被災地でもそれらは生き残り、アートの展示場として使用されている。具体的には、旧家、豪商の蔵、病院、学校である。もっとも、アート表現の場としては慣例的なサイトではない。ただし、Reborn(再生する)という命題が設定されれば、とたんにそれらのサイトは人の記憶と災害の歴史を呼び覚ますだろう。

例えば、牡鹿半島中部には平成25年度をもって廃校となった荻浜小学校が展示場とされている。そこには、パルコキノシタと金氏徹平の二人の作品が展示されている。パルコキノシタは、『幽霊でもいいから』という作品で、体育館の四面を囲む背の高いスライディングドアよりも上の部分、つまりよく卒業記念に描かれるミューラルが飾られる場所に、彼が得意とするヘタウマ・ポップのタッチで津波を人魚にも似たキャラクターに擬人化し、彼女が学校へやってきて交流したり、荒れた海に佇んだりしている様子を数枚の大きな模造紙に水彩で描いて、もともと備え付けられている記念碑的なミューラルにジャクスタポーズさせている。もう一点『います』は、彼自身が校庭横の倉庫――図工室にしか見えない――に二か月通い、牡鹿半島や石巻に由来する木材を使用して、震災で亡くなった3978人分の木彫を彫って展示している。


パルコキノシタ『幽霊でもいいから』2017, 著者撮影


パルコキノシタ『います』2017, 著者撮影

 

校庭には、金氏徹平の作品群が点在している。遊具や洗面道具、ドカン、(通学路の)カーブミラーなど、よく私たちが小学校の校庭とその周辺に慣れ親しんでいる素材を集め、繋げ、配置し、積み上げ、時にはセメントでつなぎ合わせてみたり、アドオンで装飾を加えてみたりしている。作品『ボルイド空想(マテリアルの幽霊)』では、金氏は壊れることと作ること、設置と放置が同時に起こっているような状態を作っているという。彼が述べる「手に取れるもので作ったユーレイや、まるでタイムスケールが違う雪だるまのような」ものは、閉校から数年が経ってそこらじゅうに雑草が生え、遊具には錆が浮かんでいるという荒れ果てた土地に、まるで小学生が作ったかのような美的判断が、何かを思わせる。


金氏徹平『ボルイド』2017, 著者撮影

 

端的に言えば、これら二人のサイトスペシフィックな作品には、制度的束縛が影を落としている。学校という存在は、他のサイトとは異なり、教育機関としての社会福祉的な重要さのほかに、より強く、しかも誰もがほぼ普遍的に賛同しうるであろう集合的な記憶を呼び覚まし、私たちに要請してくる。その意思が結晶化するとき、アーティストの身体は、まるで小学生のメモリーに憑りつかれたように、全ての制作物はノスタルジックかつ退行的な様相を呈してくる。廃墟となった学校には、小学生たちのかつての笑い声とともに、使用されなくなった遊具や学習器具にまとわりついた不気味さが共存している。

こうした制度による制限状態を、スミッソンは「文化的幽閉(Cultural Confinement)」と呼んだ[1]。もともとスミッソンは美術館とギャラリーの関係性を、後者による前者への従属状態と考え、とりわけギャラリーのニュートラルな立ち位置を、禊にも似たプロセスが行われる場所として危険視していた。元来ホワイトキューブとしてのギャラリースペースは、無菌室的に背景へと透明化し、作品自体にスポットライトを当てる役割を担っていたはずである。しかし、スミッソンにとっては、ギャラリーこそが制度の抑圧的な「浄化」装置であり、「避難所(asylum)」や「監獄(jail)」だった。その装置は、作品をニュートラル化し、無力化し、抽象化し、安全化し、政治的なロボトミー手術を施し、そして社会に消費させる。

Symbolic Death: 象徴的な死

同じく牡鹿半島中部の洞仙寺前には、Chim↑Pomの『ひとかけら』というサイトスペシフィックな作品が設置されている。洞仙寺は比較的勾配のある斜面にあるため、丘側には墓が集合しているが、それより下は津波で流されて堆積したであろう土砂やデブリで埋め尽くされている。Chim↑Pomはその堆積した土砂にB1階を掘り下げ、冷凍クーラー室をインストールしている。階段を下ってゆくと、ビニール製のドアの隙間から冷気が漏れ出している。中へ入ると、ほぼ真っ暗闇の暗室の中央にはペデスタルがあり、その上にはプレキシグラスの立方体の透明な小箱が置かれている。中には小さなホワイトのLEDが、被災者の「涙」を凍らせたものを照らし出している。結露したプレキシガラスをよく覗いてみると、なにやら結晶のような塊が見える。涙と言われればそのようだが、確信は持てない。しかし何か心に染みわたるような感動にも似た感情を抱くのだ。


被災した洞仙寺。著者撮影


Chim↑Pom『ひとかけら』2017, 入り口。著者撮影


Chim↑Pom『ひとかけら』2017, 著者撮影

 

被災者の涙を突き付けられた瞬間、私たちは想像力の不可能性に直面する。そもそもサイトスペシフィックなアートは――ミニマリズムの要求に従って――作品と背景の関係を曖昧にするはずだ。しかし、被災地に堆積した土砂と被災者の境遇への連想が全面に蔓延し、主客の位置が否定神学的に原初的に規定されている。つまり主体は涙の主であるが現前せず、強いナラティヴを持った痕跡「涙」を、心的外傷のシンボルとして、私たち無知な観客が目撃するのである。それは演劇性の手法だ。

ランシエールは演劇性についてこう述べている。演劇が提供するのはパトスの光景であり、欲望や苦しみの病の発現である。演劇の効果は、この病を別の誰か(演者)を通じて、思い出に奴隷となったまなざし(gaze)の病を伝達するものである[2]。つまり、被災者の思い出や苦しみといったまなざしによって、私たちの心情は一方向に抑圧的に差し向けられ、その他の想像力を働かせる余地が奪い去られている。こうした限定性こそ、サイトスペシフィックなアーティストが敵視したものだったはずだ。

もちろん、Chim↑Pomの試みは賞賛に値する。ジジェクは、ゾンビの存在論的な「生」が、象徴的な死――あるいはクロージャ―(閉じられ)――の手続きが行われなかったことに起因すると述べている。過去の苦しみや思い出に象徴的な終わりを与えることで、私たちは前進できるだろう。しかし、当事者にとっては極めて勇気と覚悟のいることである。アートによって同様の手続きを試みることは意味がある。しかし、涙には象徴的な死はもたらすことはできない。なぜなら涙こそが、その当事者の苦しみや思い出への現在的な心の所在を反省的に結晶化したものにほかならないからだ。そして、被災者の涙を凍らせて封じ込めることは、思い出に奴隷になった状態、つまり後ろめたい状態を「記念碑的(monumental)」に確認・容認させてしまう暴力性が垣間見えてしまうのではないだろうか。翻って言えば、この涙はそれを取り巻くすべての周辺の「台座」に据えられた、装飾的な「彫刻」であり、作品をクローズさせるための終止符でしかない。

クラウスは、”Sculpture in Extended Fields(1979)”において、サイトスペシフィックな作品がまず向き合わなければならないのは、彫刻ならびにモニュメントとの関係性であると述べている。モニュメントとは、一般的にはミケランジェロの『Pieta』のように具象的な彫像か碑の形態をとり、潜在的で、象徴的なものに代表されるが、決定的なのは、そのほとんどが現場の直上にあり、サイトと直接的にリンクしていることである。

こうして私たちは、周囲を台座で固められ、『ひとかけら』自体が涙であることも判別のつきにくい記念碑的なサイトに立ちすくみ、そして感動した。このカタルシスにも似た感情は、つまり私たちが感じた特殊な快は、「美」のそれではなく、「崇高」のそれであったのかもしれない。

Sublime(崇高)とPhantasmagoria(亡霊)

作品群の中でもReborn Art Festivalのシンボルとも呼ばれる名和晃平の作品『White Deer (Oshika)』と、さわひらきの『燈話』が設置された、牡鹿ビレッジ近くの貝殻の入江に向かった。名和晃平は、インターネット上で鹿の剥製を取り寄せ、3Dスキャンをしたデータをベースに、全高およそ6mの鹿の彫刻を制作している。鹿のボディは、海の波紋と重なり合うような浮遊感のある造形と透明感のある白いマテリアルが、背景に浮かぶ海と山々の荘厳な雰囲気と相まって、畏敬にも似た神秘的な感覚を抱かせている。


名和晃平『White Deer (Oshika)』 2017, 著者撮影

 

さて、この鹿はこれまで旅をする形で、犬島、京都、東京で展示されてきている。にもかかわらず、いかにこのサイトにおいても主催者の思惑――復興サイトの制度的要請――にフィットすることができるのか。なぜなら、この鹿は六本木アートナイトほか別の場所で、メディアの広告力やユーザーの口コミ力と手を組んで、強いイベント性のもと消費されてきたはずだ。名和によれば、鹿は「神使」「神獣」として日本のアミニズムの信仰に親しまれているいっぽう、近年増え続けており、迷い鹿と呼ばれ里に迷い込むことがあるという。ある意味、このサイトでは、名和が意図する鹿を媒体とした神秘性と里山の問題との関係性が、日本独特の聖俗の同居状態を示唆するものであると同時に、聖俗が矮小化されたかたち、つまりアートイベントで偶像化された鹿が、コンテクストに依存することなく、いつでもどこでも私たちの前に現れて感動を与えてくれる装置=スペクタクルに変貌を遂げているのだ。スペクタクルは、社会には視覚的な合意能力があると思い込ませる強迫観念である。毎年大晦日に忠臣蔵を見ることによる浄化作用にも似た、日本の特殊な精神性を象徴するかのようだ。

巨大な体躯をもった神の使いのスペクタクル。そこに込められた復興の二文字。すでに私たちはChim↑Pomの「涙」と同様の感動を覚えていないだろうか。美と崇高とは、カントによれば、それ自体が快であるもので、感性的判断や論理的判断でもなく、反省的判断であり、また両者とも個別的なものである点で一致している。しかし、美が対象の形式や表象に結びついて平静な観照によって積極的なものであるいっぽうで、崇高は対象に限定されることなく間接的に、しかも巨大あるいは数量において充実したものを合目的的に構想できる場合に心的動揺を伴うような、つまり尊敬や感嘆を表出させるもので、いいかえれば消極的な快と呼べるものである。

つまりきっかけさえあれば、崇高を誘い出すものは、たとえ文脈から切り離されていても、享受する者にとっての巨大な理念にリンクすることができさえすれば、いくらでも装置として反復的な使用が可能である。鹿の姿は透明化し、崇高を掻き立てる理念がその向こう側に立ち現れる。まさしく理念にあたるものは、復興ということばに込められた大文字の他者によるまなざしにほかならない。スミッソンがサイトスペシフィック・アートに込めたのは、美術館やギャラリーといったコンベンショナルな制度に対する反動と逃避であった。こうした制度に置かれるとき、作品はポータブルなオブジェにされ、美的回復(Esthetic Convalescence)と呼ばれる社会性に根ざした浄化手続きを通過するあいだに、作品は外界から乖離された表面のみになりさがる。表面=皮(hide)は、ポータブルにいくつものサイトを「旅」し、ソーシャルメディアやウェブなどで反復・生成され、つねに社会の一般的な同意と密着しながら、復興のシンボルとして君臨しているのである。

ただし、ドゥボールがスペクタクルの存在論的なほころびを仄めかすような部分もある。彼によれば、消費社会の体現であるスペクタクルを注視すればするほど、それが指し示していたはずの真実からの剥離が行われるという。鹿を注視すればするほど、波を模したテクスチャが波間のようなつかみどころのない視覚的なハレーションを生み出し、ボディの無機質な白さは、実体がどこか別にあると思わせてならない。ふとサイトの周りに目を凝らすと、水道付きのトイレや電源ケーブルがレストランに続いていて、イベント会場らしいお膳立てが集約している場であることがわかる。つまりここは野外美術館であった。名和の作品には制作にかかるプロセスの開示や、この土地に限定的なコンセプトの形成はなかった。ポータブルで偶像化されていることも否定していない。その意味では、名和の作品は美術館という制度がサイトスペシフィックな場に流れ出している状況を、つまり美術館が形式的であっても過去への追悼ではなく未来への開かれを謳っているイリュージョンを内破させ、作品が幽閉(Confined)されてしまっていることをあぶりだすきっかけにはなりそうである。

さわひらきの『燈話』は、元々貝殻の入江にあった洞窟の奥へと続く道にインストールされている。頭上には厚みのある木材を建築現場の足場にも似た構造で持ち上げて半回廊を作り、歩道の脇には、原産の牡蠣の貝殻の破片が撒かれている。奥には手前半分が切り立って開いている小屋が佇んでいて、奥のコーナーにはスツール、その上に数枚の貝殻、浮きのガラスがある。その反対側の壁にはデスクとメモ書きなど、試作・文学的なセットアップが、想像的な住人の生活と歴史観を凝縮していて印象的である。窓から覗くと、暗闇に包まれた洞窟の奥の壁に向かってモノクロの着物姿の日本画のキャプチャや氷や灯台など象徴的なイメージが、fantasmagoria(ファンタズマゴリア=怪奇譚)というテキストと交錯する形で立ち現れてきて、アンビエントな音響とともに、いかにも不気味なプロジェクションが断続的に行われている。


さわひらき『燈話』入り口。著者撮影


さわひらき『燈話』2017, 著者撮影


さわひらき『燈話』2017, 著者撮影

 

アーティスト・ステートメントには、「眼」の存在が記されている。「この眼は海の上に浮いている。……灯台が見える、灯台から見える」「消えていく、酒場が見える。限られた時間そこに在って、煙のように消えた」「ここは、時間と場所そして行動を収拾する。意識を失って一週間、この眼は目覚めた」と書かれている。

この「眼」では、見るものと見られるものの位相がめまぐるしく変動し主客が反転を繰り返しているようだ。ポスト構造主義はこうした主体の変容を精神分裂症的であるとした。その新たな主体は、周囲との関係によって自分のありかたを変えてゆき、さまざまなかたちで遍在するものであったり、主体の生成のプロセスそのものであったりする。同時に、この精神分裂症的な主体の揺れ動きは、作者自身のジレンマをも暗に示唆している。

ラカンの精神分析のメソッドを援用するならば、作者とサイトとの関係は、想像的同一化による鏡像段階にある。しかし、ラカンによると、人間が主体になるには、自分を見ている他者の視線(The Gaze = まなざし)を与えられる必要がある。それは象徴界への参入もしくは象徴的同一化と呼ばれている。作者にとって、被災そのものという不可能性の出来事へのリアクションは、洞窟の奥へと物理的に退行することと、最奥のインティメートな空間のプロジェクションに移された作家の先祖の記憶への象徴的な退行の二つのアクションに認められないだろうか。その引き込みには、いくつものシンボリックなレイヤーが顕在している。土地の記憶がこびりついた牡蠣の貝殻の祭祀的な配置による土地との繋がり(アミニズム的精神性)、洞窟そのものにまとわりつく自然的リスクから身を守る構造物(被災とのダイアローグ)、そしてガラス、スツール、デスクといった文明の記号に満たされた家と作家の家族=「イエ」の並列(ヒューマニズム)・・・。

しかし作者は、真の主体となるために、「まなざし」と向き合い同一化しなければならない。つまりまなざしが突き通す、被災した場所という傷の巨視的な光景すべてを引き受ける必要がある。その要請は、ほぼ命令法的なものとして、被災地や復興という言葉に束縛されている。その揺れ動き、ジレンマ、分裂症こそが、作品の本性である。洞窟の奥に映し出されているプロジェクションは、いかにも観客を演劇性に連れ込むセットアップにほかならないが、すでに分裂している作者のナラティヴに対して無知な私たちが認識しうる最大の効果である「不気味なもの」については、フロイト的に言えば、眼に与えられるイメージと耳に与えられるシンボルの分裂――ここでは、映し出されるほんやりとしたイメージの群れと、洞窟内で捻じ曲げられた音響――の仕業となる。

この主体の分裂は、作者がつけた邦題と英題のタイトルの分裂にもはっきりと見て取れる。主体としての作者は、表象がうながす心理的効果は別として、邦題を『燈話』として、燈と話というダイアローグ性を感じさせる前向きな印象を与えているが、想像的同一化つまり直感に近い自己把捉の段階の作者は、英題をファンタズマゴリア(幻想)としている。さらに注視に値するのは、英題のスペルが、走馬灯や移り変わる幻想の意味のPhantasmagoriaではなく、不気味な怪奇譚を示すFantasmagoriaとして現れてきていることだろう。

作家性の滲み。非コンセンサス(dissensus)による解放。

不気味なものの表出は、歴史的な前例を踏まえてみると、社会が成熟期に向かい前進していることのレトリックでもあるかもしれない。例えば1990年代以降、ジュリア・クリステヴァが最初に提唱したAbject(絶望、卑しさ)はオクトーバー派に引き継がれ、とりわけハル・フォスターが自身の美術評論によく使うようになった。それは、消費社会のスペクタクルに染められていたシミュラクルなアートに対して、70年代から次第に姿を見せつつあった、リアルなものの復帰という時代的な空気から表出した当然の表現方法だったわけだ。つまり、当時の表現は、社会の多様性の賛美に向かう発展途上のポストコロニアルな状況に見られた、社会的弱者や不幸な事件の凄惨なイメージを公に露わにする社会批評的なものであった。しかし、奇異なことに、その多くのモチーフは、固有な出来事や惨事のモチーフというよりは—-たとえ固有なイメージやタイトルであっても、抽象化され—-むしろ死や暴力といった概念をそのまま血、皮膚、髪の毛、歯、骸骨や死体そのものという不快で不気味なものであった。

このように表象において「死」しか残されていない状況は、多様性の賞賛やポストコロニアル時代における旧制度のあぶり出しを目的としていたことの矛盾にアーティストたちが気づいてしまったことに原因がありそうだ。結局、固有的な事件にまつわる多様性の賞賛と社会の罪を分かち合おうとしても、すでに主体はこの世の「死骸」でしかなく、表象はそれ自体で美術館に足を運ぶことができる恵まれた層の人々と、表象を商品として蒐集できる特権階級の贖罪の道具に成り下がってしまっている。大きな復興という政治的に正しい命題の抑圧の下、Chim↑Pomの涙や、さわひらきによる主体の喪失は、ささやかかもしれないが、このような反動と解釈することもできそうだ。しかし2000年代に入って、こうしたアーティストたちが直面する表象の不可能性や政治的なものに絡めとられて閉口せざるを得なくなる事態は、世界各地のビエンナーレやアートフェアにおいて不運な道を先導してしまった。戦争による暴力や社会問題は、赤裸々に、そして写真や映像などがコラージュ的に操作され、複数のメッセージが並列され、より支配的で押し付けがましいメッセージとして私たちの前に現れたのだ。

いま、批評は必要とされない時代かもしれない。世間的には、表面とその裏に隠されたメッセージを繋げる充分な説明的な文言が期待され、スペクタクルなイメージに満たされた、政治的に正しく( Politically Correct)複合的なアートイベントや展覧会が増え続けている。観客たちはスペクタクルに対して従順である。彼らはイベントに訪れたという事実と、作品に込められた「良い話」を、見て、聞いて、感動して心的浄化の手続きを経て、消費した物や事を写真に撮って消費社会に向けてシェアし、そこに映った自らの鏡像において満たされる。逆を言えば、消費社会との接点に依存している状態は、作品内容のコンセンサスが盤石であることと決定的にフォトジェニックであることが必要とされる。名和晃平の旅をする鹿の内容とイメージは、インターネットでも現場でも不特定多数の顔貌の陳列室=SNSにおいても誤差が少ないことは、作品の評価を高めることにつながるにちがいない。

その文脈でいけば、石造りの元米蔵に展示されている金氏徹平の『White Discharge #1 & #2(建物のように積み上げたもの/石巻)』は、写真映えの良さと、以前と同様に石膏で様々なものをボンディングして再構成するという作品コンセプトの連続性においてはひけをとらない。金氏は、広大な蔵の面積を生かして、石巻の津波に飲み込まれた同地域で集めたものを中心にオブジェクトをシンメトリカルにそしてピラミッド型に積み上げ、大量の石膏を注ぎ封じ込めている。金氏は、アーティスト・ステートメントにおいて、「既成のものやイメージを特定のルールで収集し、コラージュ的手法で切断・接続・積み上げることにより、元の意味、用途、名前、役割、スケールから解放する」と述べている。


金氏徹平『White Discharge #1』2017, 著者撮影


金氏徹平『White Discharge #2』2017,著者撮影

 

これら2つの作品であるが、いずれもタイトルにあるように「建物のように積み上げた」トーテムポールとジグラット型の形状を採用していることから、モニュメントとして、規模はさておき文明そのものの象徴として捉えることができる。大型の作品を見ると、中には、ローマ風の胸像や、骸骨、時計、ハンガー、ドラムなど文明の痕跡が石膏で封じ込められている。手前のもう一つの縦向きに高く積み上げられたトーテムポール状の作品には、野菜や鳥のイミテーションなど、有機物へのオマージュが結合部分に使われていて、生命の存在が「かすがい」であると想像させる。

つまり記号として捉えれば、金氏の作品には、文明は以前存在した、という歴史の終焉以後(post-apocalyptic)のノスタルジーの表明とともに、物品らは新たな接点を持って存在しうるという前向きなメッセージが読み取れるかもしれない。その続きで言えば、入り口すぐのところには工事現場でよく見かけるコーンの巨大なバージョンと、赤と白の縞模様のバーが用いられたインスタレーションがあるため、震災と復興(工事)を連想させつつ、メインの石膏の作品#1と#2に対して私たちの中に心理的境界線を引いているが、注目すべきは縞模様のバーの色が紅白であるため、工事現場と祝祭の記号がぶつかり合い、通常の読解を促す文脈が切り離されていることだろう。


著者撮影

 

だが、金氏の作品に特徴的なのは、彼が消費社会の物品の関係性を切断し、元来の意味論から解放しようとしながら、再構築の方法とアウトプットが、まさに均衡や建物といった重大性—-つまり近代=解放者のイメージ—-に寄せられていることである。例えば物品が「建物」の姿に変わることは、個体では単に一つの用途にしか役立たない物が、集合体となり多種多様の用途を網羅するようになるとき、全体としてより大きな意味を持つことになることを示唆している。それは一方で個別の主体が民主主義的に寄り添って協業することを想像させながら、他方で作品の構成物である商品=主体はそれぞれ個別であり集合できずには破断が起きているということへの逆説的な同意でもある。

このことは、資本主義に孕まれた解放者と支配者のパラドックスをあぶり出すだろう。資本主義は、サイエンスやテクノロジーに希望を託したブルジョアのバイブルだった。しかし同時に、マルクスは商品に生じる神話(物神化)や消費社会のイリュージョンとスペクタクルに染まる帝国を懸念していた。なぜなら、資本主義による解放とは、貴族階級から資本家が解き放ち自らのものにすることに成功した価値基準、つまり商品の平衡と富の分配を理想としているからである。つまり、悲劇や、苦しみや、貧困といったものから解放されることの深層には、その反対項である幸福、安楽、裕福という言葉をソリッドなものに保証する商品のスペクタクル=資本主義に染まらねばならない、津波によって流され消え去った文明を復活させるには商品とサービスを大量に配備しなければならないという至上命令が存在している。

金氏の作品をもう少し深掘りすれば、建物に象徴される意味とは、金氏が求める文脈の断絶—-破壊ではない!—-と再構成の中に、改めて資本主義に根ざしたコミュニティを提案してしまっていると言えないだろうか。近代は、資本主義という新たな装置—-テクノロジーやコミュニケーションや商品の生産者—-によって、私たちを解放し、空間と時間を支配することにあった。しかし、そのことで旧世界に真であったコミュニティに代表される、協調できる依存の体制が崩れてしまったはずだ。こうして解き放たれ、文化を奪われ、保護を求める主体は、原理主義か資本主義による、方向性があらかじめ決められたコミュニティの再生へと向かってしまうだろう。

おそらくReborn(再生)であれ復興であれ、求められた将来像は、災害に強いインフラが完備された上での旧来の商店街の復元や元々の住人たちの帰還と、商業主義に則った新しいメンバーによるコミュニティの形成のいずれかであろう。金氏は、制作においてそれぞれ元来別の意味を持つ既製品を選び再構成するとき、上記のような存在論的な問題が内在していると感づいているのではないか。制作段階で様々な要因を加味した上での選択でもあろうが、金氏が用いる真っ白い石膏による白紙化(ラブラ・ラサ)は、まさに自らが擁護してしまいそうな資本主義的な再現としての復興を、もう一度単なる遺産(legacy)にできる可能性がある。つまり、このサイトにスペシフィックな周辺に強く居座る言説の磁場を、いかに一度断ち切り、意見の一致(Consensus)ではなく、意見の不一致(Dissensus)を促すことである。しかしそれでも、金氏が物品の破壊を行わず、文脈の断絶と再構成だけの並列によるアプロプリエーションにとどまっていることは、逆説的に、将来別の選択肢を模索する余地がありそうである。

反転(Inversion)の希望、本来の演劇性

石巻市内に戻ってきた。3.11、商店街でもほとんどの建物の一階部分が冠水していたという。それを示すように、外壁には津波が到達した最高点がマークされている。きっと建造物の強度やその時の潮の流れによって様々なタイプの被害があっただろう。空き地になってしまった区画や、修復の跡、アドオンされた部分、そしてスクラッチビルドなど、想像できるパターンはきりがない。しかし津波から時が経つにつれ、新しい動きが芽生えている。ポジティブで逞しい信念を持った若者たちが次々と石巻に移り住み、新たにショップや飲食店、ギャラリーなどをオープンしていることもあり、少なくとも商店街の周りは活気が感じられる。

その一角の、高橋園茶舗の傍の通路を奥に行ったところにある理容室を訪れた。ホンマエリとナブチら2人のユニットアーティスト、キュンチョメの『空で消していく』が展示されていた。1Fには3面の床から天井に至る大きなLEDディスプレイに両端2枚が空を、そして中央は本人がマスクをして語る映像が映し出されている。ステートメントには、「この場所に生きる人たちに消してしまいたいものはありますかと尋ねた。そこに浮かび上がってきた様々なものを、枯れたと消しにいった」とある。手法はシンプルで、iPhoneのパノラマ画像機能を使う。まず消したいものを選び、消したいものがあるという現地の人が大きな鏡を手に持ってその被写体の前に立ち、鏡を空が映る角度まで傾けて、横にスライドするようにサイドステップで歩く。その様子をパノラマ画像で撮れば、鏡の向こう側にあるもの、つまり消したいものを空に置き換えることで消し去ることができる。それは廃墟だったり、空き地だったり、堆積したものだったりと、十人十色である。彼らが続けて「よく晴れた日に、消したいものと対峙する」と書いていることが印象的だ。


キュンチョメ『空で消していく』2017, 著者撮影


キュンチョメ『空で消していく』2017, 被災者とのインタビュー内容。著者撮影

 

彼らは石巻で2ヶ月に亘ってファミレスに通い、そこで漏れ聞こえてきた「震災」という言葉に向き合ったという。東京では聞かれなくなった言葉。現地では必ず震災という原点があり、昨日今日があるという事実に向き合い、多くの人たちが「7年経ったからこそ、ようやく言えることになったことがある」ということを踏まえて、インタビューを試みたという。2Fには、そうして書き溜められたインタビュー全文の原稿が公開されていて、『空で消してゆく』には、音声としても収録されている。興味深いことに、インタビューで訊いたのは、「消したいものはありますか」と「生まれ変わったら何になりたいか」という、被災者にとってはもしかすると極めてショッキングなものかもしれない質問だった。それは勇気のある質問だ。しかし、その反応は、もはや私たちが懸念するような、いやむしろ私たちが共感のうちに感動したいという欲望をせき止めるような、つまり復興という言葉がとめどなく連想させてしまう崇高の領域にはなかった。消し去ることと、生まれ変わるとしたら何になりたいかという、ある意味土地の心理に土足で踏み入っているようで、被災の事実がなかったことにするという禁忌的とも取れる問いかけは、むしろ正反対の結果を実らせた。インタビューの言葉は率直で、清々しく、何も隠されていない。

Reborn Art Festivalに内在する制度の問題とは、私たち自身が自らの想像力を働かせてしまい命令法として要請してくる制度である。それは、Reborn(再生)というキーワードの下、アートの表象と周到に用意された作品説明との間に想像された普遍性が、私たちの心の奥底に潜む、政治的に正しい物事に共感したいという欲望と、悲劇の物語性へ没入したいという欲望を、SNSなど他者のまなざしのもとに駆り立てるような制度である。翻って言えば、このアクションは、じつに私たちが現前する事態の当事者でないことを大前提としている。私たちは、アートフェアのフライヤーやネットのニュース情報を見て、所与のスケジュールに合うように綿密にプラニングされた案内に従って回遊する。しかもアートと写真を撮ることをスタッフが勧めてくるようなこともあり、写真をとってSNSに発信することを公然と促している。このように、私たちは自らが無知な乾ききったスポンジ(居候)であり、与えられてものをいくらでも想定された方法によって消費することに対して脆弱である。それは、震災と復興という現実の無知や、悲劇の否定を、もはや現実や悲劇は消え去っているという事実へとすり替えていることになる。つまり、もともとPC的なアートに触れる観客が心に抱いていた、アートを通じて、私たちを有罪にする何ものかを無視できるかもしれないという欲望は、いまとなっては、もはや何も私たちを有罪にするものはないという事実を無視できる欲望に変容してしまったのである。

金氏が消費社会の既製品をぶつけあって文脈を破綻させ、再構成において垣間見せていたのは、このようなスペクタクルの存在論であるかもしれない。スペクタクルは、私たちの周りに存在しうるリアリティを隠し通しているイメージの陳列ではない。スペクタクルとリアリティの間には、何の因果関係もない。昔そこにあったはずの物・事への回顧と、象徴的な閉じられ(closure)がもたらされないことによる亡霊に襲われたような感覚から私たちは解放される、将来は豊かになる、という定言命法ともいえる希望的観測は、それぞれが、私たち自身が、近代(モダニティ)という呪縛によって苛まれていることを示している。その上で、スペクタクルは、社会活動と社会の富がじつは分裂した現実だということを知る上での触媒だ。プラトンのイデア論は、まさに洞窟の比喩によって、この真実を暴き出していた。洞窟にいる囚人たちは、現実との反転(inverted)として、想像のうちにイデアを思い描いていた。囚人たちにとって洞窟は、単なる表象を現実であると信じさせ、無知であることは反対に絶対的な知識が存在することを信じさせ、貧困であることは対極に富が間違いなくあると信じさせる場所だ。例えば名和晃平のWhite Deerを見ているとき、純白で無垢で、つるつるとした表面の触覚、波のような自然的な仕上げ、完璧に生えそろった角、逞しく天に向かって凛と立つ姿など、私たちは美しさを形容するフレーズをいくつも簡単に挙げることができる。私たちは、毛皮を纏った平凡な獣である鹿が脳裏に浮かんでしまう葛藤を払拭し、この鹿は特別でウェブや雑誌にも取り上げられていて、インターネットでも見たことがあるレアで理想的な鹿であると崇めてしまうだろう。その周りでは、スタッフが作品説明をしたり、プレートに書かれた説明書きの理解を勧めたりしている。その瞬間、私たちはとるに足らない鹿が増殖し、どこにでも偏在している問題と、消費社会のスペクタクルとしてのWhite Deerの一般的な解釈のされかた、つまりそれぞれが個別のイデアとの二項関係を求めて飛躍していることの恣意性に気づくはずだ。名和の作品を凝視することが、逆説的に、スペクタクルの二項対立の間には何も普遍的なものはないことを教えてくれる。

こうしたスペクタルの反転作用によって制度を明るみに出す方法もあるだろう。そして他方、そもそもスペクタクルに寄り添わず、その企ての影さえ落とさせない方法もある。例えばキュンチョメは形式的なスタート地点において、名和のような美しい造形性を持たないがため、遍在する要素に対して開かれていて、それを直接的に取り込むことで作品を成立させている。このサイトにおいて、一度全ての文脈を「消し去り」、「生まれかわり」へとモードが転換させられれば、アーティストと私たちは共々、観客の位置に退却せねばならなくなる。本来の意味で、「再生」を行う当事者たちに、舞台を譲り渡すのだ。大切なことは、被災者たちはアートフェアや政治的に正しいアートが提示しがちなコンセプトや台本などディレクションに従って演者になっているわけではないということである。彼らは自ら禁忌的な言説を破綻させる自律的なパフォーミング・アーティストなのだ。プラトンが演劇に必須であると述べていた真の演劇性のありかたとは、演者と観客の関係の反転であったはずだ。

キュンチョメは、こうして石巻において完全なるスポンジ(居候)になりきり、土地の全てを吸い込み封じ込めてしまうことで、もともと考えられそうな優劣、正誤、善悪といった文脈の断絶に成功している。そうした成熟をもってすれば、私たちは安易な解釈に陥るミスを犯さず、スペクタクルへの想像が働かないことを目の当たりにして、いつもとは違う違和感を抱くことになるのだ。

そう、いまだに私たちは、イメージに込められた本来の姿、表面の裏に潜むメッセージ、そして表面とは異なる現実があると信じてしまっている。その連続性と想像性を断ち切らねばならない。主体に秘められていると信じがちな能力と、想像的な他者が投げかけてくる集合的な説得という批評的なロジックの間にあるリンクを断ち切らねばならない。実践的であることではなく、潜在的であれば良いのだ。現実をイメージに変換する装置はいらない。私たちは、現前している表面の裏には、何も現実が隠されていない、そして表象や解釈には、優勢な制度は存在しない、と繰り返し唱え続けなければならないのである。

私たちは、復興するのでも再生するのでもない。言説を破壊し、再構成するのである。そして、これから何が可能で不可能であるかという地平を再構成するには、可能であることと不可能なことの配置のフィールドそのものを変化させる必要がある。不一致(Dissensus)は、共有される世界において、こうしたことを全てはじめから臨むことのスタンスである。断ち切られたものを、現在的に、個々人がその都度言葉を交わし、新たな地図(Topography)を描き出すのである。


 

[1] Robert Smithson, “Cultural Confinement”, in ed. Charles Harrison and Paul Wood “Art in Theory” pp947-948,1992
[2] Rachiere, “The Emancipated Spectator”, 2009, p3