[Critique] 評論:潘逸舟 ――三つの身体の問題 Three-Body Issue―― (Aug, 2018)

0. 「水と土の芸術祭 2018」の近海

 新潟市主催の「水と土の芸術祭 2018」は、アート作品を展示するための魅力的なサイトをいくつも抱えている。その中で、国内では他に類を見ないレベルの中国庭園と建造物を誇る天寿園を訪れてみた。

 さてこの庭園であるが、本格的である。筆者は天安門事件より前の中国を二回訪れたことがあるため、それなりに見知っているが、この目にも本物であることがわかる。敷地内は手前が日本庭園、奥が中国庭園の構成となっている。その移り変わりの妙は、中央付近に位置する蓮の花を模したいくつかの建築を挟む形をとっており、訪れた人たちは自然に変遷する景色を堪能することができるだろう。

 この中国庭園を造園するにあたり、中国からわざわざ資材が持ち込まれ、設計から施工まで全て中国人の専門家が行ったというから、その意気込みたるや脱帽だ。新潟市の所有物というが、特に中国に姉妹都市があるわけでもなさそうだし、これだけの規模の庭園を作るとなれば相当な企画力と社会的意義が求められそうなものだが、調べてみてもあまり情報が得られず、極めてミステリアスである。脇道に逸れるが、むしろ新潟市の姉妹都市で最も古いのがテキサス州のガルベストンというから驚きである。現在の米文学の若手の旗手の一人Nic Pizzolattoのベストセラー小説”Galveston”は2018年公開の映画にもなった。

 天寿園では三人の作家による作品を見ることができる。はじめに折元立身の『STEP IN』(1980 – 1986)は、作家が1980年に始めた世界放浪の旅の行き先々で本人のスニーカーと路上のシーンを写真に収めるという記録的な作品だ。そして山内光枝の『海胎(うなばら)』は、対馬暖流域に注目し、日本と韓国の諸島にあまねく海女の文化を巡る体験を映像に収めたドキュメンタリー作品となっている。三人目は上海生まれ日本育ちのアーティスト、潘逸舟(はん・いしゅう)の作品である。


 折元立身 『STEP IN』(1980 – 1986) (筆者撮影)


 山内光枝 『海胎(うなばら)』 (筆者撮影)

 こうした作家達に共通するキュレーションの方向性を考えるに、場の特徴である日中の庭園をきっかけにして、日本海を挟む国々、島々や港の集合、そして果てはアジア、太平洋まで拡張するコミュニティを想像させるものであることは想像しやすい。

 例えば、日本海の近海に点在する群島のフォーメーションは、カリブ海の東側に位置するマルティニークをはじめとするアルキペラゴ(群島)に歴史的に生じたハイブリッドな文化の様式がクレオール化と呼ばれていることを連想させる。このハイブリッドな文化圏においては、国境とネイション――特有のレガシーや慣習を共有する民族やコミュニティ――は必ずしも一致しない。つまり記述された歴史上においては、黄海、東シナ海、日本海をまたぐ中国・韓国・日本・ロシアの領海の間には断絶が存在したとしても、文化圏やネイションの概念はそうしたボーダーラインを越境している。

 つまり新潟港は、日本国の範疇を超えるかたちで、釜山やウラジオストクと並ぶ極東アジアの海上流通や交易を担ってきた大きなハブの一つであるという切り口が見えてくる。山内による「海女」の文化圏の探求においても、日韓問わず、臨海する地域や島々では日本のそれと類似した漁の手法が実践されていることを証明する目論見があり、折元による世界各地の放浪の記録作品にしても、海を断絶ではなく、世界へと続くゲートウェイとして捉えているように思える。

 本稿では、こうしたいささか予定調和なキュレーションの圧力には収まりきらないものとして、以上で説明を省いてきた潘逸舟の作品について、作家の出自やこれまでの作例にはあまり触れずに考えていきたい。

1. Memory(社会的身体)

天寿園本館の最奥の大広間まで進むと、潘逸舟にとって今回最もスペクタクルに満ちたインスタレーションに行き当たる。作品タイトルは『循環――海から捕獲された涙(Circulation)』である。


 潘逸舟『循環――海から捕獲された涙(Circulation)』 (筆者撮影)

作家は、正方形に近い100畳の大広間の畳を剥がし、その下の土台と壁の四面にめがけて海面を接写した映像をプロジェクションしている。大広間の天井は取り払われており、広間の中央に向かってせり上がった重厚な梁の合わせ目からは、漁で使う網が吊り下げられている。網は自然な様子でぶら下がりながら床面には接することなく、下部が緩やかなカーブを描いて内部の空間を包み込むように閉じされている。網に近寄ってみると、そこには10数個の小さなモニタが絡められていて、画面には人の頬と眼、そして頬を伝わる涙が映像として流れていた。


 筆者撮影

少し引いて見渡してみると、大広間中央の網を中心として左右にシンメトリカルに広がる海の情景は荘厳な雰囲気を感じさせている。そして壁面の上部まで満ちた海の映像の中で、中央の網はあたかも海中でさまようかのようにも見えてきて詩的でもあり、総じて本作が美的感覚に優れていることがわかる。

この時、意識は海から網、そして網から涙へと移りゆきながら、作品によって生み出される言語性が私たちの中で増幅してゆくことに気づくだろう。これらの要素が関係し、新潟の自然と人にまつわる土着性を呼び覚ます。作品に込められたナラティヴの真意は計り知れぬとしても、『循環』というタイトルに沿うようにして、三つの記号が連鎖し、脳内に物語性に似た感覚を産み落としてゆく。ゆくゆく紐解いてゆくが、今回の潘逸舟の作品のなかでは、本作が最も文化作用の強いものと考えられる。

通路を戻る形で進むと、廊下の角から外に向けて半円型にせり出した小部屋に設置された作品『波を掃除する人(Someone who cleans waves)』が見えてくる。

およそ27インチくらいのものだろうか、三つの中型モニターにモノクロの映像が映し出されている。三つのうち二つは小部屋の窓ガラスの下方の縁に立てかけられているが、三つ目のモニタは手前側から無造作に横たわっていて、その背後から溢れ出たような形で、三台のNゲージ規格の鉄道模型の車両と、もう一台、別規格のゼンマイ式の短い車両が散乱している。車両のうち二つは新幹線のレールの修理を行うドクターイエローと貨物列車であることが見てとれる。

それぞれのモニター上には、海を高台から見下ろすようなアングルの映像がループしていて、海の遠くに向かって男性が竹箒を振りかざして波を掃除している様子がモノクロで映っている。

一見、波そのものに箒を当てること自体は荒唐無稽な動作に思えるだろう。しかし、この作品が炙り出そうとしているものは根深いものがある。今、世界的に海岸や港湾地帯は、波とともに漂流するマイクロ・プラスチックなど、土壌に還元しない石油由来のゴミの問題を抱えている。新潟にも、中国や朝鮮半島からのゴミや船などのデブリが漂着することがある。

こうした無秩序な自然状態を放ってはおけないのが日本人の国民性である。それが結晶化したものの代表格の一つが、新幹線を筆頭とする公共交通の高水準のサービスであろう。公的空間と他者への奉仕は何ものにも代えがたい意義を持つ。それは社会から与えられた仕事であるのだから。しかしながら日本式のプロダクトやサービスは徹底と完璧さが求められるため、その隙間からこぼれ落ちるいくばくかのエラーは、その希少性がゆえにニュースの一面を埋め尽くし、予想以上に私たちの自信を喪失させる。

掃除という行為は、自らの周辺空間の秩序を保つことに始まり、家族や近所付き合い、そしてその延長となる社会に対しての、ある一定の従属を象徴するものの一つである。その行為自体は賞賛され美談として語られるべきものであろう。しかし、潘逸舟の描き方には、さらなる奥行きが感じられる。

本作は意図的な背景のクロッピングと白黒のカラースキームによって、いったいいつ、世界のどこで、この行為が行われているかといった詮索を許さない。作家はできるだけ場所を特定するような記号は消し去って、局所的に生じがちな物語性を排除している。それでいて、高台から海で作業する男性を見下ろすカメラ・アングルは定点にフィックスされ、冷たく、無機質な眼差しを向けている。それは、この場に対して超越的な存在の、社会の目そのものと言えないだろうか。

作家によれば、私たち誰もが、生まれながらにして社会的背景を背負いながら、何かしらの社会に帰属している。アーティストにはアーティストがすべき役割が与えられている。パースペクティヴの置き方によって、私たちは当事者かあるいは他者かのいずれに落ち着くことになる。その瞬間、押し寄せる波と掃除をするという主客の関係性がハイライトされ、普遍性は、より個別的な経験にその場を譲るはずだ。

新潟港から日本海を隔てた向こう側に存在する国家や社会においても、同様に、外交の取り決めや軍事関係などニュース・トピックに取り上げられる事象もあれば、そうした文化・社会・政治的な衣服を取り除いて色彩を取り除いてしまえば、私たち自身に想起される個別の経験が浮かび上がってくるはずである。こうして、行為だけに抽象された身体は、なぜこの時代にこの場所で波と対峙するのかという問題を考えさせる契機をもたらしている。

ところで、『循環』は唯一、潘逸舟がカラーを用いた作品であった。なぜカラーなのかと言えば、色彩は、漁に使われる網という固有なシンボルと同じように、新潟というサイト・スペシフィックな場に生じるライフ・サイクルを描き出すことができるからだろう。

そして『循環』では、涙を浮かべた「眼」が私たちを見つめていた。その眼差しはこちらを向いて、私たちを対象化し、客体化している。反対に、『波を掃除する人』に登場する「人」は常にカメラに対して背を向けているため、「眼」を持たない。その眼差しは、海の遥か彼方を見つめていると想像されるのみである。その眼差しが見つめるものとは、一体何なのだろうか。


 筆者撮影

2. Boundary(境界線)

 ここで一度、天寿園から離れて、海沿いの砂丘側に位置するNSG美術館で展示されている写真作品『波を止めている夢(A Dream about Stopping the Waves)』に触れておこう。


 潘逸舟 『波を止めている夢』(2017) ⓒIshu Han

 潘逸舟は、この作品でも『波を掃除する人』と同様に、海と社会的な作業を行う人を対比させている。今度は警備員のユニフォームを着た人が、波を押し戻そうとする様子が写真に収められている。警備員といえば、法の執行人とまではいかぬとも、民間レベルで最も公共の場の治安維持に近い職業となるだろう。それはまたしても社会性のある仕事である。

 押し寄せる波を止めるという行為もまた象徴的である。「押し寄せる波」と聞けば、海外からの影響や圧力など、一般的な日常生活にも登場してくるメタファーである。新潟で本作を見ることにかぎって言えば、日本海を隔てた向こう岸では東アジア情勢を担う当事者たちが、こちらに向かって同じように構えていることが想像される。反対に、海や波をそのまま文字通りに捉えるならば、私たちが普段ニュースで目にする外交問題や輸出入の事案などが直接思い起こされることはないだろう。

 しかし、遠く、海を隔ててはいるが、海自体は現地とつながっている。海はある種の「橋」であり、潮の流れの道であり、そして流通の航路でもあるのだ。普通であれば海や波を前にしても誰も意識をしないような「つながり」であるが、作家は、警備員や波を止めるというメタファーを用いることによって、今いる場所と対岸との距離のゼロ化を図って、私たち自身に備わった前知識を引き出しながら、場と身体の関係上に政治性を付加している。

 潘逸舟は、風景に身体が存在する条件を描き出そうと試みている。例えば、作家が対馬レジデンスの際に制作した『Not Ocean』というモノクロの映像作品がある。これは以上の「波」シリーズの作品と同じように、画面に対して手前の斜め上に設置された定点カメラが、どこか不特定のフィールドを映していて、作家がそのフィールドをゆっくりと右から左へ泳いで最後はフレームアウトするといった作品である。

 本作において、作家は移民・難民問題を思いながら本作を制作していたという。いま、宗教や政治の影響によって、朝鮮半島だけでなく、インド亜大陸や中東そして地中海に広く難民問題がはびこっている。よく報道されるのは、志半ば船上で生き絶える人々や、受け入れ先の国が無く、国境付近の河川や丘陵地の難民キャンプで飢え死ぬ人々の様子である。このような人々の身体と行動によって、難民問題の風景が描き出されている。

 これを踏まえると、潘逸舟が泳ぐという行為が、大地と同じ位相の上に切り開く象徴的な海がある。作家の身体はその時、大地と想像された海をつなげる唯一の接点となり、大地は海となって目の前に水平線が広がってゆく。そしてこの海の上で、活性化した身体は島となり、すなわち唯一の大地=領土となる。このように身体が環境と関わってダイアローグを生み出す方法論は榎倉康二がパイオニア的存在であるが、ここでは割愛する。

 いずれにせよ、潘逸舟が身体を積極的に用いて環境に接触してゆくのは、社会的なものとしても生物学的なものとしても、人自体が風景を作ることを強く意識しているからである。いささか哲学的になるが、世界とは、顕在的、潜在的、可能的なものすべてを含む錯綜体である。いま顕在化している現実的統合は、未来志向なり回顧主義なり、様々なベクトルを持って、現実に現れていない統合を常に志向する。こうした時間軸に関わる世界を描写しようとする社会的な存在としての身体は、それぞれが内在化させている経験的なしるし――兆候、記号、象徴――を用いて風景をイメージ化してゆく。

 潘逸舟が表現するのは、身体によって世界を分節化したような風景である。五感は世界を知覚し、抽象し、切り取ることによって、世界を分節化する。例えば、横たわる身体が波打ち際に打ち寄せる波のシルエットと重なり合う時、身体を境にして海と大地の境界線が顕在化するように、身体が大地の上を泳ぐとき、大地の上に潜在的な海が立ち現れるのである。すると、「波」シリーズの作品内で作業をする人たちの眼差しは、私たちのほうではなく海側を見やることによって、彼らに見える世界がこちら側の世界から分節化されているということになる。海の向こう側を思うようなポエジーを感じさせる視覚的な演出は、同時に手前と向こうを切り分ける支点にもなるわけだ。

 繰り返しになるが、『循環』でモニタに映された「目」の眼差しがこちらを見つめているのは、私たちを他者として客体化し、新潟で漁に携わる当事者たちを前景化し焦点を当てるための境界線を引こうと図っているからにほかならない。

 さて、身体が風景を描き出す、あるいは境界線の分け目になるということは、反対に身体(Body)そのものも切り出されてしまうことを示唆している。じつに潘逸舟は、そうした意識をもヴィジュアライズするような作品を今回発表している。

3. Body as Fort(要塞としての身体)

 冬の間に新潟が豪雪に見舞われた際、潘逸舟は現地を訪れ一つの作品を撮っている。『カモフラージュ』と題された今回の映像作品では、黒い服を着た作家が雪で埋め尽くされた田んぼの中央に横たわり、少しずつ雪に埋もれていく様子が映されている。ゆっくりと降り積もる雪の情景の中で、画面中央に横たわる人影はしだいに黒から白へと移り変わってゆく。はじめ画面上に所々見受けられる黒点が次第にホワイトアウトしていく様子は極めて詩的である。そして作家は立ち上がり、別の場所に移動してから横たわり、同じ動作をリピートすることになる。


 潘逸舟 『カモフラージュ』 (筆者撮影)

 前項からの続きで、ここでも潘逸舟は人が風景を作り出すことを考えさせる。作家は無人島や孤立した場所で単独で行うパフォーマンスを収録することが多い。繰り返しになるが、それは人が背負っている社会的背景や個別的な物語性をミニマイズするためであり、それによって作品上に普遍性が生じるからである。ただし作家は、『波を掃除する人』『循環』そして今回の『カモフラージュ』のように、タイトルにはある程度の具体性を込めて、私たち各々に内在する個別的な想像力との兼ね合いでイメージの創出を望んでいるようでもある。

 ところで「雪に埋もれてゆくこと」ことは、自然との融合を期待するものである。ベクトルとしては、前項で述べた、身体が風景を顕在化させるための支点となる境界線とは異なり、身体が風景そのものになるようなものである。すなわち作家が目指すミニマル化の極地であろう。だが、ここでしっかり考察しておきたいのは、「カモフラージュ」と題されている以上、作家は自然との純粋な融合を求めるのではなく、あくまでもカモフラージュされる主体から見て、同じ人間の他者との関係のみを消去することを意味している。

 カモフラージュは他者との決別を意味する、社会的生物である人間の一面を描写するものである。つまり、これもまた、偏在している可能的な自然から抽出する形で、人が人の身体のあり方を指し示し描き出す「風景」である。他者と決別し、自然とは融合せず、だが自然に身を置くことで風景を描き出すこと。かぎりなく社会的な行為であるカモフラージュとは、それでいてリスキーで孤独に満ちた身体を必要とする。

 なぜならカモフラージュとは、他者がこちらに向ける注視の眼差しの辛抱強さにすべてを委ねることになり、そのプロセスは恒久的なものになりがちで、まるで籠城戦のようなものだからである。しかも人がこうして自然に背中合わせになることは自然が提示する不確定要素に開けているため、それはある種、人は単独で衣食住すべての機能を担う必要がある。それはメルロ=ポンティの言うように、身体はその場にあるのではなく、その場に住み込むものなのである。

 ポール・ヴィリリオは、フランス語のVetement(衣服)と、補強や要塞化を意味するRevestementとの関係に注目し、要塞が自然に対する人間の身体の延長であることを示唆していた。要塞は自然に対して、目の延長である銃眼から見ることや、皮膚の代わりである城壁で待つことなど、あらゆる自然的な衝撃に対してのアクションとリアクションを行う身体的なものである。

 潘逸舟は、カモフラージュを用いて他者に向けて絶縁するかのようなメッセージを送りながら、リスクを顧みず自らを要塞化して、周囲の自然を風景化し、今度は自然というアクシデントや天災の可能性とのせめぎ合いに対してもオープンであり続ける。自然に対しての身体は、例えば、さまざまな産業が時間と空間の限定性を縮減しようと目指すときの実行役として、最も原初的で最小のユニットである。つまり身体=要塞とは、アクシデントや衝撃に対しての対処方法やソリューションが生まれる温床であり、あらゆる新しい発明のポテンシャルなのである。

 最後に、天寿園の中国庭園に向かってみよう。壮観な庭園の奥へと歩みを進めると、次から次へと現れる建物の装飾や生垣、それに大ぶりな岩石などのオブジェが絶え間無く視界を愉しませくれる。少し開けた場所へたどり着くと、庭園の中央に位置する池のほとりにインストールされている作品が現れた。潘逸舟による『痛みを伴う散歩 (Walk with Pain)』と題された本作は、池の脇に沿って5mほど距離のある渡り廊下のコンクリートの上に、無数の丸い小石が不規則にまんべんなく埋め込まれたものになっている。


 天寿園の中国庭園

 ここで来場者は靴を脱ぎ、裸足でこの小石の廊下を往復することを勧められる。いわゆる足つぼが押される効果のありそうな歩行ではあるが、これがなかなかの痛みを伴う。一つ一つの石には、中国の簡体字の漢字の一文字が書いてある。例えば「恐」「廿」「産」「告」「兆」「考」「惑」など、それを踏むことによるおまじないなのか、一見スピリチュアル方面にありがちなご利益を得られるような設計になっている。


 潘逸舟 『痛みを伴う散歩 (Walk with Pain)』 (筆者撮影)


 筆者撮影

 しかし、実際にこの作品の上を歩いてみると、石を踏みつける瞬間、あまりの痛みによって、その直前まで見えていた文字が脳裏から消え去るような感覚を覚えた。一瞬、思考が停止してしまう。小石が足の裏に食い込むごとに、今眺めていた風景がぼやけていき、焦点がずれるような状況に陥って、そして何をしようとしていたかさえ分からなくなってきてしまう。この痛みは、最小ユニットとしての身体をさらに周囲の自然から切り離して、より内向きに押し込んでしまうようなものだ。

 この作品では、ついに点景としての人物はどこかへ消え去ってしまった。どういうことか。これまでの『循環』や「波」シリーズそして『カモフラージュ』においては、どれだけ抽象的であろうとも人物と自然との関係が期待されていた。その期待された関係の上に、風景が紡ぎ出されていた。そうであれば、人物はいわば自然から風景を顕在化させるための活性剤として、本来であれば作品のモノクロームな無感情的で無関心な状況にあって唯一のコンテクストを与える点景として存在していた。

 しかし、鑑賞者自らが痛みを被りながら体験する本作にいたっては、作家はいままでの点景ではなく、点そのものへの意識を目覚めさせている。石の一つ一つを踏むごとに、痛みが風景を消し去り、自らの身体と意識そのもののだけを際立たせる。ただ一つの点にまでミニマイズされた身体、あらゆる社会や自然や物語から解放された身体がここにある。

 ここでおさらいしておくとすれば、潘逸舟の作品を通じて、三つの身体(Three-Body)が登場したことになる。一つ目は社会的身体であり、作家によって作品に残されたいくつかのしるし――兆記号、象徴――が私たちに内在化した知識や物語を呼び覚ますことによって生じる身体である。第二のそれは、自然と積極的に関わりを持つことで、そこに風景を描き出すような、境界線としての身体であった。そして第三の身体は、自然との折衝を行う中で、自らを要塞化し、生存のために新しい試みや革新を生み出すような単独的な身体であった。

 これら三つの身体は、言い換えれば三つのトポスでもある。三つのトポスがお互いに対して力学的に作用するため、三つを同調させることは極めて困難である。私たちは日常において「しるし」に巡り会うとき、社会的に正しい反応や言動そして行いをすべきだと考えるだろう。私たちに備わった五感が、活発に世界と触れ合って、次々と潜在的なものや可能的なものを顕在化させることには、いつも他者の問題が付きまとってくる。では自分の思い通りにならない自然に屈しないように、防御を固めて内省的になり、解を見出すべく自分だけに恃むにしたって、不安と孤独感を誘うだろう。

 そうであっても、最後の作品は、痛みという生理的な要因が、身体に生命の息吹のようなものを発現させるきっかけになっていた。自分は点景ではなく、自らが点であり風景であること、つまり点=景なのである。こうして見出すことができた点=景としての身体は、すべてから解放された自律的な身体である。点=景としての身体は、多くの視点へとリベラルに開かれた非連続であり、隙間だらけであるがゆえに、あらゆるものの参入を促す逆説的な身体である。こうした身体の点的理解は、私たちの身体が社会性や境界線や要塞のようにめまぐるしく姿を変え動き回る状況をよく理解したうえで、私たちが柔軟にあらゆる手段に開かれてさえいれば、断続した多数の点を脈絡あるコンテクストへ再統合する力を与えてくれるだろう。その瞬間、私たちは物事の本質を知るのである。

 
「波に浮かぶ浮子のように、言語活動の幻想や誘惑や威嚇のままに、幾度もあちらこちらと流されるように見えながら、私とテクストとを繋いでいる手に負えない悦楽を軸に回って、同じ場所にとどまっているたびに漂流は起こる。」――ロラン・バルト