Bangkok Art Biennale 2018: Wat Prayoon & Wat Arun (#4)

第一回バンコク・アート・ビエンナーレ 第4稿 10月18日 仏教寺院ワット・プラユーンとワット・アルンにて

 イースト・アジアティック・カンパニーの跡地の川沿いには、ちょうど水上バス、チャオプラヤ・エクスプレスのOriental駅がある。駅には川向こうのペニンシュラ・ホテルへの連絡線が無料で運行しているので、先にそちらに向かってみた。たった3分ほどの旅なのに、船の中では飲料水のペットボトルを無料で手渡された。もしかするとペニンシュラのゲストだと思われたのかもしれない。
 

 ペニンシュラに到着したものの、カタログに掲載されている作品は存在しないか、あるいは別の場所に移されていた。唯一、見ることができたのはインドネシアの作家ヘリ・ドノの旧作「The Female Angels」のみだった。フロント川の車寄せからホテルに入るとラウンジがあるのだが、その手前の天井にひっそりと吊るされていた。
 

 5分も経たないうちに、ペニンシュラを後にして、同じ連絡線で再度向かい側の水上バス停に戻り、係員に次の目的地ワット・プラユーン・ウォンサワートへはどの船に乗ればよいかを聞いてから、待合場所のベンチに座った。が、なかなか船が来ない。強い日差しの中、およそ待つこと30分、チャオプラヤ・エクスプレスのオレンジ色の船がやってきた。
 

 
 
1. Montien Boonma (Thailand), “Zodiac Houses”(1998 – 1999)

 およそ15分の船旅の後、Memorial Bridge駅で下船。うだるような暑さの中、橋を渡ると、真っ白な仏塔が目を引く、UNESCO世界遺産ワット・プラユーンが見えてきた。仏塔の左手前を敷地内に入ってゆくと、本殿とおぼわしき華麗な仏教建築の左側にバンコク・アート・ビエンナーレのグリーンの立て看板が立てられた建物が見えた。
 

 

 Sala Kanparien = Sermon Hall、つまり転法輪堂である。2Fの展示室に足を踏み入れると、長方形の敷地の中央には別の部屋があるようだ。左右の廊下を歩いてゆくと、奥に金色の祭壇が見え、その手前に人の背丈よりも高い、六つの黒塗りのオブジェが立ち並んでいた。タイの現代美術の草分け的存在のモンティエン・ブンマー(Montien Boonma)の作品「Zodiac Houses」(1998 – 1999)である。
 

 80年代、タイのめまぐるしい近代化の時代にあって、モンティエンは農村の風景の魅力を描き出し、農耕具や藁、米や水牛のツノなどを用いてインスタレーションを制作し、タイの記憶を呼び覚ましていた。90年代に入ると、仏教哲学の精神を抽象的に扱った作品が増え始めた。愛妻の乳癌が発見された90年代後半には、彼の精神性は生と死や癒しの意味を求めて視覚と聴覚や嗅覚にまで訴えるようになり、伝統的な顔料や薬草を用いた作品も現れた。
 

Sketch for “Zodiac House” in Akademie Schloss Solitude Stuttgart, 1998, ©️Estate of Montien Boonma.

 「Zodiac Houses」はモンティエンが在籍したステュットゥガルトのアーティスト・イン・レジデンス時代に構想されたもので、当時目にした市内の地図が星空を思わせたり、町中に響き渡る鐘の音色に魅了されたりしたことで、彼の制作はスピリチュアルな方向に向かった。Zodiac House=「十二宮の家」と題された本作は、キリスト教の大聖堂の前方左右の尖塔の形状をモチーフとしている。来場者が塔の真下から上を見上げると、穿孔された屋根から差し込んでくる光に星座の形を確認することができ、同時に中に備えられた薬効のあるハーブによって、心の平静を得ることができる。
 

 こうした作品の成り立ちを詳らかにすると、本作が仏教寺院ワット・プラユーンに展示されている実態との齟齬が生じてしまうかもしれない。現に、「十二宮の家」の奥には仏壇が平然と構えている。しかし、晩年のモンティエンが慣例的な信仰を後にして、より普遍的な精神性の高みへと自らの作風を昇華していったことを思えば、本作は体系化された信仰には絡め取られない純粋さがあると言える。
 
 モンティエンの作品は、私たちが直感的に感じる星空や星座の宇宙的な壮大さへの志向や、ゴシック建築に見られる古代の森林的な崇高さへの畏れの気持ち、そして薬用ハーブがもたらす安らぎなど、それぞれが人の感性の発露に素直であって、したがって宗教というシステムよりも原始的な瞑想のかたちの多様さを尊重している。

 
 
2. Paolo Canevari (Italy), “Moments of the Memory: the Golden Room”(2018)

 振り返ると、室内の中央の小部屋から黄金の光が溢れだしていることに気がついた。部屋に入ると、表面に金箔を貼ったようにも見える、図象の無いプレーンな黄金の平面作品が正面と左右の三面に展示されている。イタリアのパオロ・カネヴァーリ(Paolo Canevari)の「Monuments of the Memory」である。三点はそれぞれが同様の黄金のフィニッシュであるが、外枠の形が抽象的で、どこか建築物のシルエットにも見える形状をしている。形状は木版を糸鋸か何かで切り取られたもので、絵画であれば、いわゆるシェイプト・キャンバスということになる。
 

 作家によると、本作のモチーフは、仏教哲学とキリスト教哲学の両方に関係する信仰心、記憶、そして祈りのシンボルであるという。作家はとりわけ最も親密な記憶の価値や起源について探求していて、彼なりの美的な表現方法によって、ポップカルチャーやシンボル、歴史と政治が形作る日常の新しい解釈を実践している。
 

 
 
3. Nino Sarabutra (Thailand), “What Will We Leave Behind?”(2012)

 転法輪堂を後にして、ワット・プラユーンの著名な純白の仏塔を目指す。巨大かつ、下部が要塞のように防護されているベル型の仏塔は、他の寺院と比べて異色な雰囲気を抱かせる。近づくとBABの看板が見えたので、パンフレットの案内通り、作品が展示されているようだ。
 

 

 要塞部分をくぐって、内部に入る。中央の仏塔の周囲には開けた空間があり、蓮の花が咲く鉢や仏壇が設置されている。その壁となる部分、つまり要塞の内側には回廊がぐるりと巡っていて、中を歩くことができるようなので、靴を脱いで上がってみた。
 
 するとすぐに、廊下一面に何やら有機的な石ころのようなものが敷き詰められていることに気づいた。それは無数の髑髏だった。ニノ・サラブートラ(Nino Sarabutra)の2012年の作品「What Will We Leave Behind?」、端的に言うと、私たちは何を後に残すのだろうか、である。シラパコーン大学の陶芸科出身のアーティストは、以前より10万個の無釉の髑髏のピースを床に敷き詰める作品を発表してきた。
 

 来場者は恐る恐る歩く行為のなかに、自らの脆さを感じるようだ。今回、陶器製の髑髏の群れは、仏教寺院の回廊に敷き詰められている。生理的なリアクションのみであれば、特別、髑髏の形状をとる必要はないだろう。この形には、何か意図されるものが考えられないだろうか。
 
 調べてみたところ、ワット・プラユーンの回廊の壁側には、火葬された遺灰が保管されている。つまり生身の人間が、死の証拠としての遺灰を背にして、死のシンボル、髑髏を踏みながら、仏塔の周りを回遊することには、生と死の間に立たされるような儀式的なニュアンスが生じると言えないだろうか。人は、足裏に痛みを感じることが生きている証拠であり、また、過剰なそれは死への誘いであることを理解している。遺灰、髑髏、苦痛の三つの死のシンボルを目前に捉えながら、私たちは後世にいったい何を残すのかと思案するのかもしれない。
 

 
 
4. Sanitas Pradittasnee (Thailand), “Across the Universe and Beyond?”(2012)

 真っ白の仏塔に反射し照りつける日差しの中、再びメモリアル・ブリッジ駅まで歩いて橋を渡り、水上バスに飛び乗った。10分もすると、バンコク有数の観光地であり英語圏では”Temple of Dawn”と親しまれているワット・アルンの駅で下船した。この寺は三島由紀夫の遺作「豊饒の海」シリーズの『暁の寺』の舞台として知られている。2017年に完了を迎えた大改修後は、仏塔などの装飾が全面的に簡易化され威厳を失ってしまったことから、バンコク市民から多くの抗議の声が寄せられている。
 

 船着場から少し歩くと、すぐにBABの看板が見えてきた。付近の広場の床面や船着場の柱に赤い光の筋が伸びていたので、奇異に思い振り返ってみると、3m以上はある背の高い赤いプレキシガラスで四方を覆われた庭園が目に入った。
 

 サニタス・プラディタスネー(Sanitas Pradittasnee)による「Across the Universe and Beyond」というサイトスペシフィック・アートである。作家は元々ランドスケープ・アーキテクトとして造園に従事していた。以前から自然と人間の関係性と仏教的な教えにアイデアを得ており、鑑賞者が立ち入って回遊することができる仕組みで環境の変化を体験できる設定になっている。
 
 例えば前作の「Mythical Escapism」(2015)は、ミラーを貼り付けた立方体や直方体がいくつも組み合わされ、積み上げられたもので、鑑賞者はその隙間を歩くことができるのだが、ミラーの複雑な反射と実際の背景とが入り混じり、普段意識することのない、歩くという最も基本的な行為ですら困難になる。この作品は、ヒンドゥー教の全宇宙の中心に位置する大いなる山、Mount Meru(須弥山)をモチーフとしていて、その下で人は自らの小ささを直感する。
 

©️SanitasStudio

 今回、ワット・アルンの庭園にインストールされた作品「Across the Universe and Beyond」は、再び須弥山との関係性をコンセプトの重要な部分に据えている。というのも、ワット・アルンそのものが、ヒンドゥー教の暁の神アルーナから名称を得ており、その中央にそびえ立つ尖塔はヒンドゥー教の宇宙の頂点、須弥山を象っているからだ。
 

 じつは、もう一つのコンセプトが存在する。この庭園は普段はまったく相手にされないスポットのようで、ワット・アルンの敷地内にありながら素通りされてしまうらしい。このようなタイの伝統的な庭園はカオ・モー(Khao Mor)と呼ばれ、中国の天然石の仏塔や岩がセメントで固められ積み上げられたカオ=丘を中心として、その手前に必ず池を配し、周囲は鉢植えか植樹された樹木で囲まれた中国庭園の一種である。じつはワット・プラユーンにもあったし、次に訪れるワット・ポー(涅槃寺)にもある。とりわけ寺院に設置された庭園は、ラーマ3世が建造させたことから、カオ・モー=「模範的な丘」と呼ばれている。
 

Wat Prayoonの”Khao Mor” (Model Hill = 模範的な丘)

 作家は、いつも見過ごされがちなカオ・モーを再認させるべく、周囲を真っ赤なプレキシガラスで覆い、周囲からの注目を集めた。内部を歩いてみると、赤い光線が遠近感を麻痺させ、周囲に無造作に置かれたミラー製のオブジェは乱反射を引き起こす。加えて、カオ・モー特有の岩がごろごろした歩道と上下差のある丘の設計が、来場者を視覚的・身体的に挑戦している。つまるところ、作品内の回遊と赤い光、ミラーの反射による視覚的な変化は無常を表しており、歩行困難による平衡感覚の喪失は、確証や絶対性の不在という「空」を通じて身体的な儚さを伝えながら、併せて、私たちの身体を浮き彫りにさせる契機を生み出している。
 

 

 ところで、タイの民衆の間では、19世紀末まで普遍的に受容されていた宇宙論を示した仏典「三界経」というスコタイ時代の文学が存在する。スコタイ時代のものとしては最重要な文学と言われる本書の真髄を、作家はいまだに探求しているという。仏教で言うところの三界とは欲界、色界、無色界を指している。「三界経」はその昔、仏教寺院の壁画や日常のことわざの形で伝播していたというから、本作はコンテンポラリーで抽象的はあるが、作家なりに同様に表象を用いたコミュニケーションを目指していると考えられる。
 
 
 陽が傾きつつある。筆者はワット・ポーで展示中のタワッシャイ・プンサワッ氏とここで落ち合い、寺の敷地内のカフェで一服した。すでにチェンマイのアトリエ見学もさせてもらったし、アートの話が尽きない仲だ。この日はチャオプラヤ川の寺院に展示されたアートを堪能して、タイのアートはやはりスピリチュアルなものだと思うという話をした。それは信仰心やシステマタイズされた宗教とはまた異なるものだ。
 

 カフェの目の前では、巨大な菩提樹が堂々とした姿を誇っていた。悟りの木。その木陰にはいくつかのベンチやテーブルがあり、スマフォをいじる人々が涼をとっていた。カフェを後にして、菩提樹の下でいくつかの種子を拾い、ポケットに詰め込んだ。東京に戻ってから乾燥させ、来春には蒔こうと思っている。
 
(続く)
 
 

 

ワット・アルンの上階、しかもコンクリートの床の隙間に生えている菩提樹