第一回バンコク・アート・ビエンナーレ 第5稿 「涅槃寺」ワット・ポーにて
暁の寺ワット・アルンの上階に立ってみた。バンコク市民から修復の質に対して不満の声が上がった通り、筆者の目にも彩色されたタイルや古い陶片で組み立てられた装飾の仕事が見事であるようには見えなかった。
振り返ると、チャオプラヤ川と向こう岸の王宮とワット・プラケオ(エメラルド寺院)を遠方に確認することができた。見下ろすとタワッシャイが記念撮影をしていた。
彼がそろそろ作品の場所まで行こうというので、私たちは対岸までの渡し舟に乗るべく、発着場へ向かった。タワッシャイが先導し、運賃4バーツを代わりに支払ってくれた。向こう岸までの船旅はものの3分くらいのものだろう。立ち込める排気ガスの匂いにどこか懐かしさを覚え、船腹の排水溝から吹き出す黒々とした川の水をぼんやり眺めた。
対岸に着くと、目の前に木造の古めかしい掘っ建て小屋が現れ、人々が次々と中へと直進していた。寺院に向かう通路として使われながら、お土産店や簡素な食堂などが細い通路を挟んでいた。
屋根付きのアーケードを抜け、露店の群れを横目に数分歩くと、涅槃寺で有名なワット・ポーの北西側の入口が見えた。本来ならば外国人は入場料を取られるところだが、BABのネームホルダーを首から下げているおかげで関係者として中へ入ることができた。
1. Jitsing Somboon (Thailand), “#Faithway”(2018)
観光も兼ねて、涅槃仏の横たわる建物に向かった。入り口付近はなかなかの人混みである。常夏のタイにやって来る観光客は、その暑さから肌の露出が著しいケースが多い。そのため、入り口付近では大判の布を貸し出していて、それを巻きつけて肌を隠すというわけだ。
しかし、この布の巻き方がなかなか曲者らしく、手こずる観光客もよく見られる。それもあってか、タイのドメスティック・ファッション・ブランド「Playhound」の元デザイナーでありアーティストのジッシン・ソンブーン(Jitsing Somboon)は、誰でも簡単に着用できるロング・シャツをデザインし、制作した。
作家はレーザーカットの技術を利用して木版など平面に横向きのスリットを幾重にも入れて、デザインを浮かび上がらせる手法を得意としている。本作「#Faithway」にも、ロング・シャツを掛けるためのハンガーラックの両端には精密に切り抜かれたスリットが描き出すネガティヴ・スペースによって、寺院や教会の柱のようなモチーフが浮かび上がっている。
超薄手のポリエステル製のロング・シャツは、前をスナップボタンで留める形で、前身頃の左右にかなり深さのある袋状のラージ・ポケットを配してあり、それらが大腿部を隠すので服装コードをクリアできる。背中には、タイ語、英語、中国語で”Faith(信仰)”と書かれている。作家が目指すのは、来場者がロング・シャツを着て涅槃仏の周囲を歩く行為が、作家自身が探求する信仰心を延長するハブのような存在として積極的に場を活性化させることである。
作品タイトル「#Faithway」の枕にあるハッシュタグには何か意図がありそうだ。もしかすると作家は、来場者が涅槃像の周りでシャツを着ている姿の写真やテキストをソーシャルメディアに発信し拡散してゆくことが、信仰心の延長的な存在のアクティブな行為と同様であると捉えているのかもしれない。
2. Pannaphan Yodmanee (Thailand), “#Sediments of Migration”(2018)
涅槃仏を後にして、ガイドブックの地図を頼りに、広い敷地を奥へ奥へと進んでゆく。ワット・ポーの敷地内では、至る所にいくつもの仏塔を借景とするカオ・モー(タイ式庭園)が点在していて、普通であれば退屈なタイルの床にアクセントを加えている。ふと、せり上がったミニチュアの山々や木々の集合、そして石像の中に、朽ちたコンクリートの柱やデブリが目に留まった。それらには、あたかも経年によって顔料が剥げてきたような描画が施されている。
タイの若手アーティスト、パナパン・ヨドマニー(Pannaphan Yodmanee)の作品「Sediments of Migration」(2018)である。タイの若手のアーティストとしては、バンコク・アーツ・センターでの企画展のほか、ロンドンの Saatchiギャラリーでのグループ展”Thailand Eye”やシンガポール・ビエンナーレなど国際展でも紹介されている作家であるため、今回の出展もなんら特別なことではない。
カオ・モーがタイの伝統的な庭園であることは前稿にて紹介したが、もう少し説明しておきたい。現在のラーマ10世まで続くチャクリー王朝と清国と貿易の歴史は19世紀末まで遡るが、特にラーマ3世の時代には、敵国ビルマが英国領インドとの戦争に入り東方戦線(つまりタイ側)にリソースを割けなくなったことでタイ国内が安定したため、対清貿易が国内を潤した。その貿易時代に多くの華人がタイに移住したこともあり、以来、バンコクの中でも交易ルートであったチャオプラヤ川流域の地域には、中華街など中国の文化が色濃く残っている。
字義的に「模範的な丘」と記されるカオ・モーについては、信心深かったラーマ3世は多くの寺院を建立した際、敷地内に築かれた庭園が中国庭園をベースにしたのが始まりである。中国庭園は池、木、石、橋、亭を基礎的なコンポーネントとして設計され、伝説や神話に登場する仙人が住む桃源郷を夢描いたものである。タイ式の中国庭園カオ・モーには、熱帯の鉢植えの植物が並べてあったり、仙人よりはヨガの行者や動物の石像が設置されたりするケースが多い。ワット・ポーの通路に偏在するカオ・モーには設備環境の制限からか、池を配するものは無い。
さて、パナパン・ヨドマニーの作品に戻ろう。タイトル「Sediments of Migration」を訳すと「移住の堆積物」となる。ここでいう移住とは中国からの移民である。堆積物、つまりここでは鉄筋むきだしのコンクリートのデブリは、経年や時の流れを表現している。
ヨドマニーは、もともとタイの伝統絵画をバックボーンとしている。すなわち顔料を用いた仏教画や歴史画を下地に、瓦礫など歪なサーフェスであっても平面から立体作品に至るまで、ミクストメディアを駆使して作品を仕上げてゆく。
ここでデブリに描画された歴史画風のイメージは、寺院の内部に描かれたタイと清国との貿易のシーンや仏教徒の巡礼のエピソードのミューラルに影響を受けたもので、まさに対清貿易で益を得たチャクリー王朝が建てた寺院のアプロプリエーションという意味ではふさわしい作品であるが、いささか、ふさわしすぎるという感も拭えない。
作家は、基本的に仏教哲学とタイの美術史をつなげてゆくことをテーマにしている。それらをリンクするものが歴史画であり、柱や建物の瓦礫やファウンド・オブジェクトであることは、コンセプトを表現するにあたっては明らかな筋道であるがゆえに、逆に表現の幅を狭めている可能性がないだろうか。ただし、あたかも経年したように見える表象はシミュラクラであることを意図的に演出し、周知の上で、モダナイズされたタイの現代社会における現在的な信仰心の所在をリアリティスティックに描いているものだとしたら、多少は評価できる作品である。
3. Tawatchai Puntusawasdi (Thailand), “A Shadow of Giving”(2018)
中国庭園を通り過ぎ去って本殿の周りを壁沿いに進んでゆくと、角を曲がったところでタワッシャイ・プンサワッ(Tawatchai Puntusawasdi)が出迎えてくれた。奥を覗くと、本殿の壁を背に、高さ3〜4mはある立体作品が立てかけられているのが見えた。今年6月にチェンマイの実家兼アトリエで見せてもらった構想中のドローイングが成就したものだ。
タイトルは「A Shadow of Giving」(2018)である。作品の寸法は高さ350cm、幅260cm、奥行き100cmの大掛かりなものだ。
金属フレームを組み合わせたような作品に近づいてみると、真鍮、銅、そして亜鉛のようなくすんだ銀色の金属の三種類が溶接されたりリベット留めされたりしている。タワッシャイに聞くと、この銀色の金属は、よく建材として用いられる亜鉛メッキのシートメタルであるという。フレーム形状の柱の部分は、すべて直方体をある一定の角度に傾斜させたものであるため、接続には相当の技術と知識が必要とされる。すべての四角柱が綿密に計算された厚さや角度にカットされ、それらが整然と繋がれた様子には、単なるオブジェとしても見るものを魅了するクオリティを堪能することができる。
さて、本作がワット・ポーの本殿に直接触れる形で展示されていることには重要な理由がある。作品の着想にあたって、はじめタワッシャイは本殿の中に収められている古い壁画に興味を抱いた。その壁画のスキャンを見せてもらったのだが、遠近法の描写がトリッキーだ。横線に沿って描かれるものが平面を示し、斜線のアングルが奥行きを表すという視覚言語には、かなりの読解能力が問われる。
この「アングル」であるが、タワッシャイにとっては極めて重要な要素である。もともと彼は無垢な状態で自然とダイレクトに関わることをモットーとしていて、普遍的に共有された尺度や慣例的な方法論に疑問を投げかけている。しかも彼のスタンスは、仏教的な無常の哲学に起源する。
自然科学の原理や方程式のような公理は、誰も自ら証明を試みることなくして、慣習として認められ、さらに誰も疑いを挟むことのない絶対領域である。しかし世の中は常に変化し、止まることを知らない。例えば、球体を考察するにしても立方体を考察するにしても、私たちは、刻一刻と過ぎ去る時間と、地球の自転・公転と同様に変動しつづけている。そして、これらは、ある特定の個人が現在いる場所の緯度と経度や季節によっても常に変動する。つまり、たとえ写真やデータなど記録装置が作品や世の中のあらゆるものを一定の条件でインデックス化したとしても、その本質は個人に開かれており、人それぞれが独自に所有することができるものなのだ。
タワッシャイは独自の方法で、詳細な観察と基本的な計算のみを駆使して、彼なりの「本当の」立体を描き出そうと探求し続けている。そして今回、作家がモチーフとして選んだのは、ワット・ポーの壁画に描かれている救貧院(Almshouse)つまり、タイトルの”Giving”が示すところのGiving Houseである。
その昔、壁画に描かれているような救貧院は、タイのどの寺院にもあったという。救貧院は、寺院の壁を背にして屋根を外側に向けて伸ばしたような簡易な造りであるが、それが果たした役割は代え難いものがある。救貧院は、托鉢しながら遠距離を旅する僧侶たちや、在家で仏に帰依する者、なかでも満足な暮らしのできない人々が涼をとったり、雨をしのいだり、睡眠をとることができた公的なシェルターである。
しかし、現在のタイでは、もはやそうした伝統は消え失せてしまい、現代の仏教寺院は定刻になると門扉を固く閉じてしまう場所に変貌してしまった。そこで作家は、こうした世界に誇れる社会貢献や福祉の伝統とその喪失を、Shadow = 影の形で、両極的に表現することを決めている。
タワッシャイはまず、バンコク・アート・ビエンナーレの期間となる10月から2月の間の「影」を調べることにした。彼はワット・ポー本殿の建築的なデータを文献や公的資料からかき集め、それらをベースに作ったスケールモデルのマケットを作成した。そして2017年の11月から1月までの毎朝、彼はチェンマイのアトリエで、マケットが午前6時に作る影の角度と長さを観察し、その全ての変化を立体作品の青写真となるドローイングに書き留めていった。
次に立体化するにあたり、作家は描き終えた青写真を手掛かりにありのまま制作するのではなく、ワット・ポーの緯度と経度を考慮し、タンジェントを用いた三角関数で軸からの傾斜を弾き出し初期設定に7度の傾きを加えている。
金属の選定にあたっても、タワッシャイは展示期間の冬の季節に太陽光のスペクトラムが黄色や橙に転じることに合わせて、真鍮や銅を多用している。冬に寺院の純白の外壁を照らす暖色の日光は、同じくして斜陽のノスタルジーを想起させ、救貧院の儚さをいっそう引き立てている。
時間の移り変わりや影を表現するには、ともすればメディア・アートや映像作品として表現することが適していると思われることもあるだろう。しかし、作品の本質の、異なる時間軸を失われた実体と現在的な自然摂理の影へと変換し、そのネガティブ・スペースを活性化して立体として表現してしまう思い切った試みは、物体が放つ強いアイデンティティへと身を結び、成功している。
まさに歴史の闇に葬られた救貧院の残滓が、ワット・ポー本殿の偉大な壁が落とす影のアングルと、本作の緻密に計算された影のシルエットが美しくシンクロし、私たちに視覚的なセンセーションを与えながら、世の中の無常を体感させてくれる。
黄昏を迎えるワット・ポーの敷地で、それからしばらく作品を見つめていた。ふと辺りを見渡すと、周りには観光客がいなくなっていた。私たちはビエンナーレの関係者として滞在が許されていたが、腕時計に視線を落とすと、すでに閉館時刻を過ぎている。
自分の視点を反芻すること、常識を疑うこと、世界の基準を問い直すこと、そして何事にも人それぞれのやり方があることをうわべだけでなく受け止め実践することは難しい。だが、悠久な時の流れと雄大な自然の営みを思うとき、意識がこの地から離れて、遠く宇宙から見下ろしているような感覚を抱くことができると、自我を忘れて、とたんに気持ちが楽になり、些細なことが気にならなくなる。
作品をきっかけにして、こんな風に物思いに耽って佇んでいた。すると寺院の裾からみるみる影が足を伸ばしてきて、瞬く間に、私たちを含むすべてを暗闇に飲み込んでいった。そして静寂が訪れた。
(続く)