第一回バンコク・アート・ビエンナーレ 第6稿 BAB Boxにて
バンコク・アート・ビエンナーレ2018のもう一つの見所と言えば、BAB Boxということになるだろう。チャオプラヤ川沿いの、貿易時代の歴史的な建造物や仏教寺院などに代表される旧市街とは対極にあるダウンタウンに位置するオフィスセンターとショッピングモール、居住空間などを揃えた高層ビルの集合体One Bangkokが舞台である。
とは言ってみたものの、One Bangkokは現在進行中のプロジェクトだ。完成すれば、タイの経済的な繁栄の映し鏡のような地区となり、ビジネスとツーリズムの将来を担う存在として期待されている。ただし筆者が訪れたときには初期段階の地盤整備が行われている段階で、コンセプト・イメージのような理想郷は、蜃気楼としても想像すらできなかった。
その敷地内で唯一稼働しているのが、One Bangkokがスポンサーするバンコク・アート・ビエンナーレのアート・ギャラリー「BAB Box」である。
野外エリアには、韓国の世界的なアーティスト、チェ・ジョンファの”Happy Happy Project”のうち、「Breathing Flower」(2016)と「Fruit Tree」(2017)が展示され、その奥には日本の奈良美智の立体作品「Your Dog」(2017)が設置されている。
1. Choi Jeong Hwa (South Korea), “Love Me Pig”(2013)
ギャラリー内に入るとチェ・ジョンファの「Love Me Pig」(2013)に出迎えられる。本作はすでに六本木アートナイトをはじめとする世界中のアートイベントでお目見えしているため特に目新しさはないが、タイでは初公開となる。作家は日常にありふれた生活感のある素材を組み合わせて魅惑的な美しさを持った立体作品を作り上げることに定評がある。詳しくは筆者の第1稿 Bangkok Art and Culture Centerの記事を参照されたい。
彼のもう一つのメソッドは、いわゆるソフト・スカルプチャーのなかでも空気圧の調節で動きを持たせた作品群である。いずれも大作と言ってよいモニュメンタルなサイズ感とフォトジェニックな表象を持ち合わせているため、展覧会や芸術祭の目玉作品としてフロントに出てくるケースが多い。
モチーフの「豚」は韓国では幸福と繁栄の象徴と言われている。翼については、空気圧で可動させうるパーツが必要だという単なる造形的な理由かもしれないと推察することもできるが、モチーフとファンタジー要素が広く一般的に受け入れられる愛玩的な輝きを放っている。一方、翼自体が非現実的なものであること、ピンク色のクローム・シルバーの表情、作品内部が空っぽという事実が、現代社会の虚ろさを物語っているとも言える。
2. Canan (Turkey), “Animal Kingdom”(2017)
BAB Boxの一階は手前の二辺が床から天井までガラスで構成されていて、自然光がたっぷりと入ってくる。ここには、トルコの女性アーティスト、カナン(Canan)のインスタレーション作品「Animal Kingdom」(2017)が展示されている。作家は自らをフェミニスト活動家と呼び、社会の権力構造における女性の身体性をテーマに制作を続けている。メディウムは写真、映像、ペインティング、刺繍、そしてプラッシュ(ぬいぐるみ)まで広範囲に及ぶ。印象的には、自らをアクティヴィストとして呼ぶわりに、表象そのものはファンタジックな傾向にあり親しみやすい。
というのも、作家のイメージの着想にはイスラムより以前の古代神話や精霊信仰が影響を与えているため、制作意欲をかき立てる現代のライフスタイルやジェンダーの状況が、神話的アレゴリーを通じて間接的に表現されていることが理由として挙げられる。
今回インストールされた作品は、十数にも及ぶカラフルな色彩を放つプラッシュが天井から吊り下げられた構成になっている。一つ一つ見てみると、何やら空想の動物やキメラのような奇想天外なものばかりで、素材の柔らかさも相まってコミカルな表情が楽しげである。作家によると、これらのプラッシュは、古代アラブの精霊ジンの神話に登場する精霊や妖怪や空想の動物といった超自然的な存在を模していて、これらを通して、人間の様々な心理やジェンダー、そして権力構造が表現されているという。
3. Natee Utarit (Thailand), “Allegory of the End and Resistance”(2018)
カフェを通り過ぎ、階段で二階に上がってみると、ナティー・ウタリット(Natee Utarit)の三点の作品が奥に見えてきた。ウタリットは現在、タイのコンテンポラリー・アーティストとしては世界的によく名の知れた人物で、シンガポール美術館での個展や、サーチ・コレクションによるグループ展”Thai Eye”の作品が特に話題となった。作家は、ここ5年ほどの間に銀座の画廊や東京都現代美術館でのグループ展で発表してきた経歴を持ち、日本でもそれなりに知られた作家であろう。
ウタリットは、伝統的なタイの絵画から西欧のルネサンスやバロックなど様々なテクニックを動員し、タイの現在の社会情勢と政治の状況に対して、暗にメッセージを発信している。
とりわけ16世紀のカラヴァッジョから17世紀のベラスケスやザーバランに代表される強い明暗のコントラストと、光の表現に信仰心を内在させる宗教画的なメソッドに影響を受けているため、明度を抑えたアーストーンの下地から灯火や明るみを削り出すようなアウトプットが特徴である。
初期の作品では、兎や子鹿や鴨など狩猟のスモール・ゲーム(小さな獲物)と周辺の静物とのジャクスタポジションによって寓意的な表現を行なっていた。これらには死のリマインダ(メメント・モリ)や俗世の物質的な豊かさの無意味さを表現した、16世紀〜17世紀にオランダ等でさかんに描かれた寓意的な静物画のジャンル、ヴァニタスを彷彿とさせる。
今回展示されている作品の一つ「Allegory of the End and Resistance」(2018)を見てみよう。明らかにアダムとイヴの失楽園のモチーフをアプロプリエートしたものである。アダムの右肩にはニーチェの肖像のタトゥーが彫られており、彼の吹き出しのようにアダムの背後に回り込むスクロールのテキストは、ニーチェの引用”God is dead. God remains dead. And, we have killed him”(神は死んだ。神は死んだままだ。そして、我々が神を殺したのだ)と書かれている。
アジア人風のアダムは理想的な肉体を誇りイヴを見つめているのに対し、白人風の女性は痩せ細り、アダムではなく画面の外の私たちに視線を注いでいる。一見、宗教画のパロディのように見えるが、ここには明らかに社会の構造を風刺するシンボルがいくつも埋め込まれていることがわかるだろう。
アダムの左手には経済新聞”Financial Times”を認めることができ、リンゴは齧られた後、地面に無造作に捨てられている。イヴの足元にはキリストを示す白鹿が、まだ子鹿のまま、そっぽ向いて地面に横たわっている。振られたダイスは計11が表示されていて、クラップなどギャンブルでは瞬時に勝ちとなり、イヴの足は子鹿よりも、その横にある宝箱の財宝に足をかけていてより強い興味を示しているように思える。
ウタリットは、こうした宗教画の得意とする暗喩や寓意的なシンボリズムを駆使して、今日の信仰心と精神性の所在を問いかけているのである。ただし、ウタリットの志向性は、なにもキリスト教に限ったことではなさそうだ。なにしろ、もう一つの作品を見てみると、画面の背景に浮遊するスクロールの文字は、“All experiences (things) are preceded by the mind, led by the mind, created by the mind” (ものごとは心にもとづき、心を主とし、心によってつくり出される)と書かれていて、じつにこのフレーズはブッダの真理の言葉だけを集めた、日本語では『法句経』(ダンマパダ)として知られる経典から引用されたものだ。
描かれた内容を見てみよう。トリプティックの右側のパネルではオーソドックスな遠近法が通用せず、地とフィギュアとの関係が崩れてしまっている。反対に左側のパネルにはバロック様式のレリーフ調の、圧縮された奥行きの空間描写が顕著である。
左側のパネルからはドラゴンや死神のようなスケルトンが右へ向けて押し寄せている。西洋のシンボリズムでは、ドラゴンは、罪、邪悪、そして凶暴性を象徴する悪しき存在である。右側のパネルには、タイ人であろうか黒い喪服を身に纏ったアジア人が、左から押し寄せるドラゴンなど邪悪な存在へ立ち向かっている。赤い十字の盾を構えているため、テンプル騎士団に扮していると言えるかもしれない。中央のパネルではアジア的なフラットさと西洋的な空間描写がフュージョンしたように、奥行きがよりいっそう圧縮されている。そして中央の最も手前では、骸骨のアダムとイヴが両者の戦いの行方を冷静に見届けている。
西洋から押し寄せるトレンドや消費社会、文化的な圧力を象徴するドラゴンに対して、国王の忌明けを迎えて団結したタイ人が「ものごとは心にもとづき、心を主とし、心によってつくり出される」という仏教的な教えを胸に立ち向かうというアレゴリーなのであろうか。
4. AES+F (Russia), “Inverso Mundus”(2015)
次にBAB Box二階中央のギャラリーを覗いてみた。ここは暗幕で入口を塞がれた暗室で、中には横幅だけで30mはありそうな映像作品が壁にプロジェクションされていた。
作品タイトルは「Inverso Mundus」(上下逆さまの世界)という2015年のベネチア・ビエンナーレで発表された作品だ。結成から30年を迎えるアーティス・トユニット、AES+Fは、ベネチア・ビエンナーレではロシア代表として三回連続で発表している。
彼らの近年の作品は、写真やアニメーテッド・イメージ、そして映像のコラージュを用いて、現代社会の姿を批評的に、しかしメタフォリカルに描くことに定評がある。例えば「The Feast of Trimalchio」(2009 – 2010)は古代ローマの小説『サテュリコン』に登場するトリマルキオの饗宴をモチーフとした作品だ。
本作は、ネロ帝の時代の過剰に豪奢な宴に、現代文明の自己耽溺の行動をオーバーラップさせながら、マスメディア的な天国の姿を寓意的に描いている。そこでは高級ホテルの宿泊客たち(主人)が、高級リゾートでのリラクゼーション、体質改善のフィットネスなど現代のレジャーに耽溺し、使用人たちに身を任せる様子が描かれている。しかし物語が進むにつれて、その様子は、次第に古代ローマの農業祭「サターナリア(Saturnalia)」で実践されていた儀礼的な行動に移り変わってゆく。サターナリアでは奴隷たちが饗宴を楽しみ、反対に主人は使用人としてサーブする側に転ずる。
以上の旧作を踏まえてみると、バンコク・アート・ビエンナーレに展示されている作品「Inverso Mundus」(上下逆さまの世界)には、文字通りその文脈を読み取れてしまうところがある。実際に作品を見てみよう。
およそ40分近い長尺の映像作品は、基本的に演者たちをそのまま用いた実写とCGによる加工、そして新規にCGで制作した背景や小道具それからクリーチャーなどをコラージュしたものだ。特徴的なのは、作品に登場する人物が無表情でアンドロイドのようであり、しかもスタイリッシュなモデル体型をしていることと、彼らを含めるすべての事物が極めてグラマラスなファッション写真のような美しさで描きだされていることだ。映像はハイレゾで高画質なため、全面的にきっちりとピントが合っている。つまり表面的に見たとしても、映像のクオリティの高さに魅惑されることだろう。
遠景にそびえる高層ビルのビジネスセンターの手前には、旧市街の街並みと、ゴミや汚物が散乱する情景が浮かび、汚染物が流れ出すホースを抱えた清掃員たちが、まるでバロック絵画の戦いのシーンを彷彿とさせるヒロイックなポーズを披露している。
労働者たちはオフィス・タワーに座した企業の幹部たちのカンファレンス・ルームへ向かい、その席を譲り渡させる。立場は逆転し、有色人種のホームレスや低賃金労働者から金銭を受け取る上流階級の白人たちがいる。
続いて、汚染物質で遺伝子が破壊されてしまったのか、汚染した環境で独自の進化を遂げたのか、キメラかミュータントのようなクリーチャーが次々と空から飛来し、老人やボヘミアン系の若者たちは、これらをペットのように愛玩している。
一方、いわゆる食肉用の動物たちは反乱を起こし、人類を殺害する。女性は男性を幽閉し、隷属させ、支配することで、社会的な立場を塗り替えている。ボクシングの競技に勤しむ若者たちは、老人をノックアウトし、世代交代を実践している。
最後に、空を旅する優雅な饗宴の場は、社会秩序を保つ権威の象徴である白人の警官たちがギャング風の有色人種たちに隷属する構造に反転している。飛来したクリーチャーたちは、次に素材や出自の不明な有機的な建造物を伴い、人類社会へと前進を始めたように思える。
こうして、様々なヒエラルキーの上下関係が反転し、謎のクリーチャーが跋扈するのを目の当たりにすれば、本作はディストピアの様相を呈していると言えなくもないが、描かれたグロテスクなものはむしろ美しさを帯びており、クリーチャーは天上からの使いのようにも思えるし、澄み渡った青空は希望を抱かせもする。
飛躍が過ぎるかもしれないが、他者性へと開かれた視点をポジティヴなものとして受け入れる姿勢と捉えると腑に落ちやすい。ただし、たとえ権力構造を刷新したとしても、他者の介入なしでは未来は語れないというメッセージも込められているだろうか。
5. Marina Abramovic (Former Yugoslavia), “Standing Structure for Human Use”(2017)
まとめにかえるとするならば、BAB Boxの作品群は他者の存在が意識されているように思える。例えば、マリーナ・アブラモビッチの作品「Standing Structure for Human Use」(2017)では、一本の柱の両側に3本ずつ突き出たクリスタルを接点に、二人の来場者がノイズをキャンセルするヘッドホンを装着して向き合い、無言のうちに、セラピーや瞑想にも似た独特の関係性を確立する。
6. Hooptam Laos-Thai (Lao-Thailand), “The Adventure of Sinxay”(2018)
タイの北東地域イサーンと、メコン川を挟んだラオス側のアーティストらで結成された、国境を超えたアーティスト・ユニットHooptam Laos-Thai(ラオス・タイのミューラル・ペインティングの意)が発表する作品も興味深い。
イサーン地方は、文化的にも伝統的にもラオスに近いとされ、イサーン地域とラオスに伝承される17世紀の物語「Sang Sinxay」を再解釈したミューラルを壁面いっぱいに展開している。ラオスの首都ビエンチャンから攫われた叔母を探して、一人の主人公がメコン川を渡ってタイに入り、首都バンコクまで至り、魔物やヒーローに出会うという物語である。
国境という政治的なボーダーではなく、歴史的にメコン川を挟む経済圏が育んだものは、タイの中央にとっては他者として存在しながらも、地方独自の生活の知恵と精神性をかすがいに、地域の共同体を繋ぎ止めているのである。
現在、デベロッパーがタイ王国を象徴するであろうと豪語する高層ビル・コンプレックスOne Bangkokの建設が進んでいる。この会場で、幸福と繁栄、権力構造とジェンダー、消費社会とマスメディア、宗教心と精神性、中央と地方、他者と異文化について少しでも考えさせてくれるような作品が展開されていることには意義がある。
(続く)