<ミャンマー編 その5> バガンの仏塔群

「電動スクーターでバガンを一周」
 
 5月10日。
 
 午前7時に起床するや否や、僕は部屋を出てフロントに向かった。昨晩と同じ、最も英語が堪能なスタッフが居合わせたので、昨日もらったタクシーの運転手の名刺に書いてある電話番号に電話してもらった。
 
 電話がつながると、スタッフは僕に受話器を渡した。ハローから話し始めると、例のタクシーの運転手は、はじめ英語での返答に戸惑っていたが、英語で何度か繰り返し説明しているうちに話の文脈を理解したようで、今日の予定をキャンセルして、翌日にリスケジュールしたいことをわかってくれたようだ。
 
 僕ははじめからバガンの仏塔群に昇るご来光を拝みたいと思っていたから、そのことも伝えると、快く引き受けてくれた。日の出を見た後は、一度解散して少ししてからポッパ山まで運転してもらい、正午にはホテルに戻ってくるという日程だ。
 
 まずご来光を拝むために、朝5:45にフロントに迎えに来るという。僕はわかったと言い、今日はキャンセルになってしまったことを詫びて受話器を置いた。
 
 部屋に戻ると、いつものようにLINEでおはようコールを送り、すぐにシャワーを浴びてから、朝食の会場へ向かった。
 

 

 白人カップルが二組ほどいたが、そのうちの一組は昨日のバスでマンダレーから同乗していたスペインかどこか地中海寄りの地域からの旅行客だと思われるカップルだった。同乗していたミャンマー人ほかアジア人とは距離を置いて、ソロの白人とだけ話していたのを思い出した。
 
 僕は8時に朝食を終え、自室で1日の支度を整えた。今日は電動スクーターで行動する。たぶんシートの下の小さな収納庫に入る荷物は限られているだろうから、何か買った時のために、持ってゆく荷物は少ない方が良い。
 
 僕は貴重品とミレーレス・カメラ、スマホの予備バッテリーと水だけを持った。数えきれないほどの仏教寺院を巡るため、足元はもちろんサンダルだ。今日はいったい何度脱ぎ履きするか知れたものではない。
 
 僕は部屋を出て10歩もかからないほどのフロントのカウンターに両ひじを乗せて、スタッフに電動スクーターを借りたい旨を伝えた。
 
 夜の8時までに返却することになっている。一日のレンタル代は8,000チャット。日本円で570円くらいと激安だ。初めに支払いを終えるとチケットが発行され、それをもらって外に出ると、小さな小屋の中から背のひょろ高い男性が出てきた。
 

 
 彼はチケットを受け取ると、小屋からキーを出してきて一番左端に並んでいたバイクに挿した。はいどうぞ、と言われたので、一応使い方を教えて欲しいと頼むと、説明は30秒くらいの超ショートバージョンで簡潔に終わってしまった。オートバイと比べてより単純な構造のようだ。スタートの時のクラッチ操作はあるが、変速はオートマで行われる。いつものことだが、クラッチの開放の具合さえ掴むことができればあとは簡単だった。
 
 それでも初めは、グイッと出発してしまうのがオチで、ホテルの車寄せから公道に出るまでに何度かばたついてしまった。
それからすぐに慣れたので、僕はスマホを見て、保存してあったパゴダから一つずつ廻ってみることにした。まずはホテルそばの幹線道路に出て、ぐんぐんとひたすら西に向かって滑走してゆく。
 
 
  「ほぼ無名のパゴダ:グビャウクンゲー」
 
 三千以上もあるというパゴダをどう比較すれば良いかといえば、Googleやネットの情報でレビューの数が多いとか、観光案内で紹介されているものを見れば間違いないだろう。しかしせっかくスクーターという翼を得た僕は、できるだけ土地勘を得ながら、いきあたりばったりの出会いも取り入れつつ、じっくり周遊してみたいと思った。
 
 ホテルから電動スクーターを3分もフルスロットルで進むと、右側に小さなパゴダの集まりが見えてきた。アスファルトが切れる道脇に、乾燥した赤色の砂の轍が見えた。僕は後方を確認して右にハンドルを切って砂地を行った。
 

 
 ある程度進むと、奥から白人の男女がそれぞれスクーターにまたがって前進してきた。お互いにすれ違う時、ハローと挨拶をして微笑んだ。
 
 すると左側にレンガ作りの立派な仏塔が見えてきた。僕はその目の前にスクーターを駐車した。
 

 
 強い日差しが、パゴダの入り口を真っ暗闇に染めていた。入り口の左横の石碑には、アノーヤター王によって1070年建築されたことが記されていた。
 

 
 僕はサンダルを脱いで中へ入った。中は涼しく、天井はかなり高かった。室内に入ってから気づいたが、右側にゴザを敷いた画家がマントラのような絵を売っている様子だった。彼の目の前には中年の白人男性が英語で話しを聞いていた。聞こえてきた感じだと、そのミャンマー人の男性が描いたものだという。
 
 僕は正面から始まって、四方の仏像を巡って手を合わせた。
 

 
 スクーターに戻ると、僕はシートの下からペットボトルの水を取り出して、ごくりと大きく一口飲んだ。
 
 それからスマホの地図アプリを開いて、次の目的地の目星をつけた。スクーターに跨って、僕は幹線道路へと躍り出た。それから2、3分も行くと、これまた右側に、より大きな、車を引き込むルートが見えてきて、進入すると広い駐車場に出迎えられた。お土産ショップの数を見るかぎり、それなりに有名なパゴダのようだ。
 
 
  「Alotawpyae Pagoda」
 
 真横にはサンライズ・パゴダと呼ばれる、仏塔に登って日没を拝むので有名なパゴダがある。
 
 サンダルを脱いで、敷地内へ足を踏み入れると、中央の仏塔まで50m以上はありそうなレッドカーペットが続いていた。無くては足の裏がやけどしてしまうかもしれない。
 

 
 仏塔の内部に入ると、一つ前のよりも参拝客が多かった。パゴダは金色で塗られているし、しっかりと賽銭箱が備え付けられているし、金の装飾がふんだんに施された仏像もあるので、何かご利益があるのかもしれない。
 

 
 反対に、有名でないパゴダは登録番号が判別できるくらいで、内部には仏像すら無くなってしまっている場合があり、そのため参拝客が激減し、もちろん賽銭箱もないので悪循環に陥ってしまう。
 

 

 
 僕はまた周囲四つの仏像を一通り拝んで、スクーターへ戻った。
 
 次のパゴダは幹線道路へ戻るのではなく、このまま北に向かって砂地を突き進むのが良さそうだ。
 
 
  「ティーロミンロー・パゴダ (Htilominlo PagodaI)」
 
 砂の道を奥へ進むと左右に広がる道なき道の自由さが際立った。
 

 
 遠くに行き交うスクーターが見えるが、特に道があるわけでもなく、勝手気ままに走行しているという感じだ。ところどころにある小さな標識を見失いそうになりながら進んで見ると、左にハンドルを切ったところから奥に背の高い仏塔が見えた。近づいてみると、今までの寺より断然高さがあった。
 

 
 ティーロミンロー・パゴダ。残念なことに仏塔の上の部分が修復中ではあったが、それでも迫力は損なわれてなかった。
サインを読んで見ると、1200年代初頭にバガンの王の即位を記念して建てられたものだが、その後継者が傘を倒して決められたという伝承があるため、この寺院は「傘の王」と呼ばれているらしい。
 
 これだけのパゴダになると、お土産店の数もかなり増えてきて、都会マンダレーの寺院を思い出させるほどだ。
 

 
 中へ入ってみると天井の高さが寺院の大きさを物語っている。しかし、外観から予想するに、地上部分の空間より上に建造物がさらに積み上げっているようだ。それほど、寺院自体の大きさは、仏像が立ち並ぶ礼拝室よりも巨大だった。
 

 
 見上げると、天井から鳥の鳴き声が響いてエコーを繰り返していた。よく目をこらすと、ツバメのような鳥の巣が見える。
 

 

 
 寺院の外に出てサンダルを履いてから、僕は周縁にある純白の樹木の花に引き寄せられた。花びらを手に取ってみると、伽羅の花ではなかったが、美しかった。
 

 
 
  「Pagoda number 2100:イーストウインド家」
 
 ティーロミンローを後に、再びスクーターを走らせて北側の道へ抜けた。ここも全く標識もサインもない、単なる数千のうちの一つのパゴダだった。
 

 

 
 スクーターを降りて近づいてみると、パゴダ番号2100とある。イーストウインド家が2000年に修復して建てたという碑があった。元々は1177年に初めて建造された寺院であったという。このパゴダのすぐ近くにも、さっきと同じ樹木の白い花を見つけた。後で調べてみよう。
 

 

 
 僕はスクーターにまたがりパゴダの裏側の道から北上し、修復中のMyazigon Pagodaを通過し、さらに奥へ進むと、木々の向こうが空のように透けて見えた。よく見ると、それは川だった。
 

 

 
 僕はその手前を左折し、木の根のせり上がった間を慎重に通り抜けてゆくと、奥の方に、まだバガンではこれまで目にしていないしっかりとした建物が見えてきた。近寄ってみると、Bagan Theravada Research Centreと書いてあった。おそらく公的機関の建物なのだろう。スペルがイギリス英語であることが、英領ビルマの歴史を垣間見させる瞬間だった。
 

 
 リサーチ・センターの敷地内はタイルの舗装がされていたが、表の街道に向かう道程は、また砂地に戻っていた。僕は土煙を上げながら突き進んだ。
 
 
  「Khaymingha Pagoda」
 
 街道に出ると、道を挟んだ向こう側奥に、今までで最もパゴダの密度の高そうな集落が見えた。僕は街道をそのまま渡って、向こう側の砂地に突っ込んだ。
 

 
 先まで進むと奥にトゥクトゥクが見えたので、それなりに観光客が集まる場所であることは理解できた。
 
 何台かスクーターも停めてあったので、僕はその横に並んで駐車した。すると、その周りから女性が何人か湧いてきて、英文でバガンと書かれたTシャツを振りかざして営業をかけてきた。
 

 
 店の体裁すらなく、パゴダの横に置いてある大きなビニール袋から何重にも積み重なった衣類の山を出して、一方的に僕の身体を食い入るように見ては、サイズはどれかいいとか、この色がいいとか言い出す始末だった。
 
 僕は奥のパゴダに向かって、横目で彼女たちの動きを見てから、いらないと伝えると、今度はぺらぺらの生地に像や仏教的な意匠がプリントされたイージーパンツを提案してきた。
 
 東南アジアへ初めて旅する旅行客はおそらく一度は買ったことのある、ポリエステル製の安物のパンツで、ベトナム、ラオス、カンボジア、タイでも何度も見てきたものだった。なんとミャンマーでも売られているとは。東南アジアのどこかに巨大な工場があるに違いない。
 
 集落の最も大きなパゴダの前には、Khaymingha Pagodaと書かれていた。
 

 
 その横にはココナッツジュースを売っている男がいた。僕はしばらく休みなく炎天下をスクーターで走ってきたからか、ひどい枯渇感を覚え、条件反射的にジュースを買っていた。値段は1,000チャットということで100円もしないが、かなり大きいココナッツだったので、水っぽくて甘さはそこまで感じられなかった。しかし、喉の渇きを癒すにはちょうど良い。
 

 それを飲みながら僕は残りのパゴダを見て回った。その中に、日本人が連名で資金を寄付して修復したものもあった。
 

 

 
 ココナッツジュースを飲み干してから殻をさっきの男性に返して、僕はスクーターの電源を入れた。その時もまた女性たちからセールスを受けたが、考えは変わらないよと伝えて、その場を立ち去った。
 
 
  「ミノチャンタ・パゴダの親子」
 
 宿泊しているホテルがあるニャンウーから西進するにつれ、しだいに観光向けのパゴダの中心に近づいていると思えたのは、 Googleマップでマークしている場所が集合してきたのと、実際に周りに観光バスが見え始めたこと、そしてレストランらしき木造の建物がちらほらと見え始めたからだった。
 
 マップで調べてみると、評価からして、この辺りの店が絶好の食事処のようだ。まだ昼食の時間では無かったが、レストランの情報が出てくると急に空腹になるものだ。
 
 僕はレストランに引き寄せられるように、もう少しスクーターで近寄ってみると左側から純白のパゴダが視界に入ってきたため、せっかくなので先にそちらを拝むことにした。
 

 
 立て看板を読むと、ミノチャンタ・パゴダというらしい。入り口はこじんまりとしていて、他にスクーターもトゥクトゥクも停まっていないので、観光客は素通りしてしまうのかもしれない。
 
 入り口にはサンダルが一人分置いてあった。入り口からパゴダの上まで登れるようになっていて、ありがたいことに屋根付きの廊下が続いている。
 

 
 その廊下の途中に、小さな赤ん坊を連れた痩せた女の子が座って、手を出してお金を要求していた。親はどこに行ったのだろうかと周囲を見回してみたが人気はなかった。僕はすまないと首を横に振って、そのままパゴダの廊下を登っていった。
 
 登り切ると正面に仏像があり、僕はその手前に座した。左右には男性が二人いて、絵を描くのに勤しんでいる。横目で見てみると、仏教画やミャンマーゆかりの船や孔雀、仏の旅路を描いたものなど、様々なモチーフの絵が目に入った。
 

 
 僕は仏の前に座して手を合わせて、いつものように念じた。それから立って屋根の無い方の仏塔へ少し足を踏み出してみたが、熱くてとてもじゃないが長居はできそうにない。写真だけ素早く撮って、僕は屋根の下に帰ってきた。
 

 
 男性二人は絵のことを話していて、決して買えとは言わないが、ひたすら絵のことを話し続けている様子からすれば、含みがあるだろう。いかに彼らが手間をかけて絵を描いているか、どれだけ大変なことをアピールしている感じを察すると、遠回しに買ってくれと言っているようでもある。伝統的な技法でもなく、単にアクリル絵具を薄く延ばして描いているだけなので魅力は感じなかった。
 
 一人の男性は兄弟が10人いて、みんな絵を描いて生計を立てていると言っていた。女の兄妹は早く嫁に出てゆくらしい。僕はまさかと思い、彼らのトークを遮るように礼だけ伝えて、パゴダを後にした。
 
 屋根のある廊下を今度は下ってゆくと、さっきの赤子を抱えた女の子がいた。今度はポストカードの入ったフォルダを目の前に突き出している。失礼かもしれないが、僕は微笑んで近づきながら、ポストカードよりもその女の子のことをよく観察していた。
 
 身体が小さくて分からなかったが、きっと母親だ。しかしとても若い。あまり栄養あるものを食べて来られなかったのだろうか。それとも僕らの社会では考えられない歳で出産したのだろうか。様々な雑念が頭をよぎった。雑念だと自覚していたのは、きっと彼女にとっては、そんなことは問題ではなく、目の前に非情に横たわる、ただ生きることの難しさという問題を抱えていると感じたからだ。勝手な妄想かもしれないが、確かにミャンマーには厳しい貧困の問題がある。
 
 僕は黙ってポストカードのフォルダの中の一枚を指差して、1,000チャットと言われたところ2,000チャットを置いて、その場を去った。
 

 
 
  「アナンダ・パゴダ」  
 
 僕はレストラン街を素通りした。食欲はひと段落していた。料理一つが4,000チャットとか5,000チャットとかで安い安いと浮かれて、ビールを飲んでいる自分の馬鹿面が浮かんできてしまう。
 

 
 レストラン街の裏側の人気の少ない砂地に出て、僕はスクーターのスロットルを目一杯開けて、アナンダ・パゴダへ一直線に向かった。
 

 
 バガンの数ある寺院の中でもメインの一つと言えるアナンダ・パゴダの前方に広がる境界のない敷地には、さすがに観光シーズン後であるにしても、何台かの観光バスや数多くのトゥクトゥクと民間のタクシーが無造作に停まっていた。
 

 
 僕はなんとか日陰を探してみたが、今年は特に乾季が長いらしく木々の葉は薄くなっていたから、近くの木の根元に車輪が付きそうなくらいに寄せても直射日光を防ぐことはできなかった。
 
 寺院への入り口の門が広いため、もはやどこまでが土足なのかも分からないほどだったが、靴の置き場は脇にあったから、その手前で脱いでみた。
 

 

 
 数人の参拝客と共に寺院の奥まで歩いてゆくと、敷居を越えた向こうに、何やら黄金の細長いものが見える。敷居の向こうへ入ってみると、背の高い仏の立像が見下ろしていた。
 

 
 この祭壇の天井の高さたるや、今までの比較にならない。また立像だと法印の形と位置が異なり、興味深かった。
 

 
 しばらく見上げて立ちつくして、僕は前進して膝をつき、両手を合わせた。そして回廊を巡り、同じ行為を残り3回繰り返した。
 

 
 それから出口に向かう途中、どこかで引いた写真を撮りたいと考えていたら、敷地の四隅が無数のタイルやコンクリートで覆われた広場になっていた。そのまま僕は足を踏み出したが、二、三歩で、地面のあまりの熱さにつま先立ちになり、それでも堪らず退いた。
 
 入り口近くまで来ると、敷地の周縁にある巨木の日陰を見つけることができたので、木陰を渡り歩くように、僕はなるべく広場の中央に向かった。
 

 
 無事に写真を数枚撮ってから、また日陰を探しに後ろ向きに引き位下がると、少し離れたところにある立派な菩提樹が視界に入ってきた。また種でも拾おうかと思ったのだが、その木の周りには、小さなブッダの坐像に彩色をする職人の男たちが作業中だった。
 

 
 僕は近づいて彩色の作業の様子を見学していいかと尋ねると、彼らは快諾してくれた。
 

 

 
 それからしばらくその腕を見ながら、天気のこととか、暑さのことなどの世間話をした。僕は礼を伝えてその場を後にした。
 
 
  「漆器売り:Shwe-Gu-Gyi Phayaにて」  
 
 次にスクーターで向かったのは、Shwe-Gu-Gyi Phayaという寺院だった。ゴールデン・パレスの前を通過してから、小道を南向きに入ると、手前から奥に向かっていくつかのパゴダが見えたが、まず手前からスクーターを停めた。
 

 
 立て看板にはShwe-Gu-Gyi Phayaと表示されていた。
 
 スクーターを降りてパゴダの入り口の方で歩いてみると、ここは煉瓦造りの階段の上に登っていくようになっていた。上まで上がってみると、途中の開けたところで、工芸品を売るお土産ショップがあって、一人の女性スタッフが英語で話しかけてきた。わりと流暢だったので観光客商売なのだろう。
 

 
 僕はいらないと伝えたが、それでも後からついてきて、結局パゴダの上の方まで案内してきた。
 
 仏塔の内部でお参りをしてから外に出てもまだひたすら最近は観光シーズンじゃないから売れないとかいう話をひたすら続けている。僕は無視するのも気が引けたのでウンウンと合わせるだけは合わせていた。
 

 

 

   
 帰りの階段の手前に、表面が黄色くなった丸い砥石のような石の皿がいくつも重ねてあるのが見えた。何かと訊ねてみたら、ミャンマー伝統の日焼け止めだという。
 
 「タナカかい?」と聞いたら、よく知っているねと感心されたが、それより僕はやっとタナカに巡り会うことができたことが嬉しかった。
 
 早速、これは買いたいからデモンストレーションもやってくれと頼もうとしてタナカのところにいる女性に話しかけたのだが、英語が全く通じなかった。
 

 
 そこで助け舟を出してくれたのが、漆器売りの女性だった。これは何か買ってあげないといけないなと思った。
 
 タナカはミャンマーの化粧であり日焼け止めであるが、タナカの木の粉をペースト状にして乾かせて丸太状の小さい塊にして売られている。これを石の臼の上で少量の水とともに円を描くように擦るとクリームのような薄手のペーストになる。
 

 
 この猛暑でひどい直射日光を浴びている状態だったから、この機会に早速、顔と腕に塗ってもらった。
 

 
 僕は12束ほど入った袋を一つ買うことにした。2000チャットくらいだったと思う。
   
 下の階まで戻ると、例の漆器の女性が待っていた。彼女は手にちょうどいま作業している漆器のカップを持っていて、ニードルのような道具で細かく彫っていく工程を見せてくれた。腕は大したことはない。僕は両親に買っていくよと伝えて、そば猪口くらいのフリーカップを合わせて5000チャットで買った。
 

 
 
 そして、これまたバガンでは主役級のパゴダの一つ、タビィニュ・パゴダへ向かった。Thatbyinnyu Phaya 重厚感のある門構え。
 

 

 

 
 気温は42℃。あまりの暑さと水分の枯渇感があり、そろそろ休憩と食事にする。さっきのレストラン街へ戻り、The Moonというベジタリアンレストランで野菜カレーにした。
 

 

 

 

 
 マンゴージュース。最後に黒糖のような味のお菓子も出てきた。
 

 

 
 支払いを終わって立ち上がると、壁の方にアウンサン将軍とアウン=サン・スーチーの肖像画あったので近寄って見てみた。
 

 
 次にShwe Wah Theinクラフトショップへ。ちゃんとした漆器はどのようなものか見てみたら、やはり先ほどのお土産屋の女性のものは稚拙に見えた。しかし、細工の良いものはそれなりに値段が張る。僕は30分ほど居座って交渉し、いくつか特価で譲ってもらった。


 

 
 
 地図に保存しておいた漆器美術館を訪れた。
 

 

 
 小さい女の子が入り口から2Fまでの展示場を案内してくれた。古いとか新しいとか技術が高いとか言って、可愛らしかった。それからより広い会場ではFacebookで繋がった若い研究者が一人いてしばらく付いてくれた。
 

 

 
 最後には何杯も水をくれて、ペットボトルもフルにしてくれた。
 
 マハーボダイ・パゴダは外から撮影のみ。Maha Bodhi Pagoda
 

 
次に、またメインの一つ、ゴドーパリィンGawdawpalin Templeを訪問。
 

 

 

      
 Bagan Archeological Museumバガン考古学博物館を訪問。かなり大きい。
 

 

 

 

 

 

 

 
 
 16時頃、一度北上し、ブーパヤBu Payaのパゴダへ。考古学博物館で資料を見た中でも、もっとも古い部類のパゴダだ。猫が寄ってきたので撫でてやった。
 

 

 

 

 
 16:45時頃。また腹が減ってきたので、ニューバガンまで南下して、レストランを探した。Googleで評判の良い、San Thi Darでまずはマンダレービールとパイナップルジュース。そして豚肉と野菜のカレー。
 

 

 

 
 17:30になり、そろそろサンセットの場所を確保すべく、地図に載っている有名な寺院を目指した。
 
 しかし法律でパゴダには登れなくなっている。何人かの若い連中が良い場所を教えると声をかけてきたが、自分で探すから良いと伝えてやめた。
 

 

 
 それから二つほど、日没が有名なパゴダに来てみたが、軒並み、登はん禁止。
 

 
 仕方なくさまよって、下から何度か寺院の写真を撮って、また次の登れるパゴダに向かったが、これもダメ。そのうち、二人の高校生くらいの男二人がスクーターで通過しながら、良いところを教えると言っていたので、わかったと伝えた。単に金を要求するなら付いていかないし、気に入らなければ支払わないと伝えた。向こうは承諾した。
 

 

 

 
 それから15分ほど走行して道無き道を行き、全く地図からもわからない場所にたどり着いた。
 
 少年たちは裏から竹のハシゴを引っ張り出してきて、それをパゴダに立てかけた。
 

 

 
 それからしばらく日没を堪能。他にはタイから来た女性二人が登っていた。孔雀の絵を買った。13000チャットくらいだったか。
 

 

   
 さっき登れるパゴダを探して裏側から写真を撮ったダンマヤンジDhammayan Gyiの表側に出てきたので、せっかくなので参拝した。
 

 

 

 

 
   
 それから一度ホテルに帰って、19時にバイクを返した。
 
 足を見ると砂と泥がこびりついていた。シャワーを浴びてから、また夕食を探しに歩いた。
 
 5分ほど歩いたところにある、A Little Bit of Baganで夕食にした。
 

 

 

 
 
 (つづく)