「2020年8月1日 東京」
今朝、ふと壁を見ると、いつもは気にならない一枚の写真が目に入った。
若い一人のヒンドゥー教の司祭が寺院に訪れる人々の腕に、ロウリーと呼ばれる幸運の紐を巻いている。
昨夜、『宇宙のランデヴー』を読んだからだろうか。この作品の英題は”Rendezvous with Rama”、つまり「ラーマとの遭遇」という意味だ。
ラーマはヒンドゥー教の聖典の一つ『ラーマーヤナ』の主人公であり、理想的リーダーとされている。
僕はデスクに向かうと、あの日のイメージが洪水のように押し寄せてきた。
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「2018年1月19日 クアラルンプール」
その朝はイスラム教の礼拝を知らせるアザーンの音で目覚めた。ホテルの隣部屋から流れてきているようだったが、すぐに屋外からも同じ音がした。携帯を見ると、まだ朝6時だ。
しかし空腹を覚えて、僕はシャワーを浴びてから近くにある海南料理のカフェに行くことにした。
外に出ると、クアラルンプールは曇り空だった。東南アジアに出てから二週間が経過していたから、湿度の高い朝にはもう慣れた。
安いホテルを選んだからか、僕が滞在しているホテルは中心街に近い立地ではあったが、周囲を交通量の多い道路に囲まれているブロックにあるため、周りは住宅街の様相を呈していて、その貧しい市井の暮らしを垣間見せていた。まとめてクリーニングを行う施設や、町工場のようなものもある。
5分も歩くと、Ah Weng Koh Hainanというカフェが見えた。広い入り口を通って中に入ると、フロア面積の広さに驚いた。しかも早朝から客が相当数入っている。もはや市民が朝食を摂る定番の場所なのであろう、とにかく数をこなすためか、愛想の無いスタッフが近寄ってくると、一人であることを見た目で確認して、向こうのテーブルを指差した。
着席すると、ものの15秒も経たないうちに別のスタッフがメニューをさっとテーブルの上に置くと、その場で注文を待っている。朝のセットメニューが定番らしく、普通は数秒で決めるのだろう。僕は例に倣って、メニューの一番上のものを選んだ。
それから1分ほどでセットが提供された。ミルク入りのコーヒー、トースト、そしてマグカップの上に小さな茶碗が置かれている。
どのように食べるのかしばらく考えてしまったが、近くの客の行動を観察して、どうするのかが分かった。
茶碗を退けると、マグカップの中に殻のついた半熟卵が二つ入っていて、ちょうど良い頃合いらしい。割って茶碗に入れると、完璧な半熟卵ができていた。それに海南の醤油のようなソースをかけて食べる。
全部で250円くらいという破格の値段だった。誰もがファストフードのように素早く注文し、素早く食べて店を出る。回転が著しい。
僕は店から表に出ると、道を挟んだ反対側にヒンドゥー教の寺院があることに気づいた。東南アジアに来てからまだ見ていないこともあり、建築物のデザインや色彩、そして訪れている人たちの独特な服装に、とても斬新な印象を覚えた。
あと一日しか残っていないことを思って、僕は色々な予定を詰め込むことを決めていた。
早速Uberを呼んで、独立広場に向かうことにした。
「イギリス統治からの独立の象徴、ムルデカ広場」
クアラルンプールの道は比較的広い。サイゴンやバンコクと比べると舗装の状態が良く、スムーズで交通のスピードも速い。そのため地図で見ているよりも市街地の距離感が狭く感じられる。
すぐに独立広場に到着した。1957年にイギリスの統治下から独立し、マラヤ連邦が樹立されたことを祝ったメモリアルがある。
道を挟んで向かい側には、スルタン・アブドゥル・サマドという、19世紀末に建造された、旧植民地政府の建物がある。左右対称性が均衡と重厚さを表現する、イギリスの植民地様式の立派な建造物である。
しばらくのんびり散策していると、中国観光客を乗せた大型の観光バスが何台もスルタン・アブドゥル・サマドの前に横付けして景観を壊した。
潮時だ。僕はUberの快適さの味をしめていたから、早速次の目的地を探した。以前から気になっていた洞窟が北部にある。今までの東南アジアの経験から、きっと時間がかかると思っていたが、いざ調べてみると30分以内で行けるらしい。
僕はUberに乗り込んで、ハイウェイを北上した。
「ヒンドゥーの聖地、バトゥ洞窟」
バトゥ洞窟。マレーシアで最も由緒あるヒンドゥー教の聖地だ。広大な敷地には多くの観光客と巡礼者が見受けられた。車で進入できる限度が決められていて、奥まではしばらく歩く必要がある。
洞窟を構える岩壁が遠くにあるはずだが、何よりも驚かされるのは、その手前にあるヒンドゥー教の立像の大きさだ。調べてみるとスカンダ神だという。ヒンドゥー教の軍神だ。仏教では韋駄天として知られている。インドでは南部のタミル人に、そして東南アジアではシンガポールやマレーシアで信仰されているという。
近寄ってみると、その偉大さに圧倒される。そして立像の横から岩壁の上部に向かって伸びる階段の数も尋常ではない。
全部で300段弱あり、なかなかの傾斜だから、途中で立ち止まっている人々も多く、ペースが上がらない。さらに洞窟を住処とする猿たちとの絡みもあるから、なおさらだ。
登り終える頃には体温は上がり、額と背中が汗ばんでいた。洞窟に入ってしまうと高湿だが涼しい風が通っていて、心地よい。洞窟の中には、所々に祠や寺院が彫り込まれていて、お供え物が捧げられている。壁にはヒンドゥーの教典のエピソードや叙事詩のワンシーンを描いた壁画があちこちに見える。
しばらく進むと、円状に拓けた空間と、その上側に空を望むことができる終点にたどり着いた。中央にはヒンドゥー教の寺院があり、多くの礼拝者が列を成している。
突然、後方で激しい破裂音がした。振り返ると、係員のようなユニフォームを着た人々が、壁の上の方めがけて何かを衝撃砲のようなものを撃っている。見上げてみると、猿たちが逃げてゆく。
害獣駆除のためらしいが、僕は複雑な心境になった。タイの洞窟にもいたが、猿たちは人間より先にここにいたのだろうし、宗旨は関係なく精神的な場所において、非平和的な行動はいかなるものか。
しばらくの間、気分がすぐれない状態が続いた。歩きながら様々なことを思った。
タイでは徳を積むために魚を買ってその場で放流する。商人はまたその魚を網で捕まえて、別の買い手に売る。日本ではお札や祈祷にお金をかけたり、死後に仏の道を進むための戒名を100万円近い値段で買ったりする。
僕は入り口付近まで戻ってくると、先ほどは気づくことのなかった一人の若い司祭を見た。
彼は礼拝に訪れる人の腕に見境なく何かを巻きつけている。近づいてみると、何も言わず、僕の腕にも巻いてくれた。いくばくかのリンギット紙幣を皿に入れた。黙々とルーティーンをこなしている彼は、なぜかとても印象に残った。
下山してから、少し早かったが軽く何か食べておこうと思った。歩いたからか、食べられそうだ。さっきまで気分がすぐれなかったがもう大丈夫だった。僕は右腕に巻かれた赤い紐を見た。
食事処はいくつかあった。一軒見つけて着席し、僕はシンプルにカレーを頼むことにした。かなりスパイスが利いていた。時計を見ると、11時だった。また市内に戻ることにした。
それから車を見つけて再び中心街に戻ると、今度はモスクがいくつか集まるイスラム教の地域を訪れてみることにした。
「由緒あるモスク、マスジッド・ジャメ」
中心となるのは、マスジッド・ジャメという最も古く格式の高いモスクだ。降り立った瞬間、先ほどまでのヒンドゥー教との服装との違いが一目瞭然だった。
女性は上下を覆うゆったりとしたバジュ・クロンと呼ばれる伝統衣装を身につけ、ヒジャーブで顔以外の頭部を隠している。男性はバジュ・メラユにカタヤというぴったりとした帽子を被っている。
マスジッド・ジャメはどうやら礼拝か行事が行われているようで、中には入れないようだ。奇妙なライトグリーンの迷彩服を着た兵士が門番として信者たちに説明をしている。
仕方なく、僕はクラン川に沿って歩いて、正面からマスジッド・ジャメの写真を撮った。
周りにはいくつもの出店が出ていて、道ゆく人々が昼食や飲み物を買っていた。かなり良い香りがする。先ほどカレーを食べていなかったら、ここで食べてもよかった。
陽が高くなってきた。気温も上がり、僕はいつものように大量の汗をかいていた。喉は乾いている。近くにある露店で甘いアイスコーヒーを買って、喉を潤した。
それからセントラル・マーケットという細長い二階建てのショッピングモールに入って涼を取り、店々を見て回ってみた。タイやカンボジア、ベトナムのような伝統的な工芸品は見当たらない。地域柄からか、イスラムの衣料品が多い。
僕は携帯の地図を見て、今度はKLタワーを目指し、だいたい北東方向を目指して歩くことにした。モールを出ると、外気温はすでに32℃まで上がっている。
再びクロン川を戻る形になり、僕はマスジッド・ジャメを過ぎてから、さらに奥に見えるアーケードのあるショッピング街の細道に入っていく。
ここでも売っているものと言えば、どこにでもありそうなお土産品、偽物のブランドTシャツや安物のスニーカー、そして多くのイスラム衣料品だ。シルクのものがあるかと思って聞いてみるが、テイラーメイドのショップに行かないとそういう高級品は無いという。
また喉が乾いてきたのでアイスティーを買って、飲みながらアーケード下の薄暗い道を進んでゆく。しばらくすると奥にトンネルの出口のように眩しい外光が見えた。
その手間には何かを脇に抱えた男性たちが多く見える。おもむろに脇に抱えていたものを持ち替えると、道の途中でいきなり広げ出した。
男性は全員が同じ方向を向いている。そうか、イスラムの礼拝の時間が近いのだ。アーケード下の店の前では店のオーナーたちがロープを張って、店が休憩に入ることを示している。
僕はアーケードを通りづらくなり、横に少し外れたところにある雑居ビルの数段上がったテラスを歩くことにした。その回廊にも衣料品が軒を並べている。
よく見るとアーケードの露店と比べ、しっかりとした店構えをしている。ショウウインドウもあり、マネキンも用意されていて、並んでいる品々にはどれも高級感が見受けられる。
そのうちの一軒を覗いてみると、奥に女性たちがスマホをいじっていた。彼らはの一人の中年の女性が僕に目配せをしてから、入っておいでと手招きした。
背後からは、アザーンのアナウンスが音質の悪いスピーカーから響いている。そろそろ礼拝が始まろうとしているのだ。
僕は少しためらいながら店内に入ってみた。良い物には美しい刺繍が施されている。男性用の帽子、カタヤも何種類かあった。
思えば、この地域にいる男性でカタヤを被っていないのは、自分くらいなものだ。招かれてみたものの、一体この中年の女性は僕に何を求めているのだろう。
女性は僕がカタヤに視線を落としていることに気づいて、いくつかガラスケースから出してきた。イスラム教徒でもないのに、なぜ僕を誘っているのだろう。
それでも手に取ってみると、地の色と同色で幾重にも刺繍されているものが凛として綺麗だった。とてもよくできている。内側を見ると、サイズ表記があった。僕の頭は大きいからとジェスチャで伝えると、女性は別のサイズのものをいくつも出してきた。
試しに着用してみると、まるで御誂え向きとでも言わんばかりのフィット感で、鏡を見てもよく似合っていた。
背後ではすでに礼拝が始まっていて、イスラム独特の歌うようなコーランの教えが唱えられていた。背後に流れる力強いお経と鏡に映った髭をたくわえた自分の顔貌。いつの間にか、僕は完全にイスラムの世界観に浸透していた。
僕は値段を聞いて、1500円くらいだったので買うことに決めた。僕は中年の女性に礼を述べて、店を出た。再び回廊を歩いて衣料店をいくつも通り過ぎながら、礼拝の音が大きくなる方向へ歩いていく。
その瞬間に気づいたことがある。衣料店を通り過ぎるたびに目にする店員は女性で、彼らは礼拝に出ずに、奥に潜んでいる。はっとして手持ちの下敷きの上に跪き礼拝を続けるムスリム達の方を眺めやると、全員が男性である。
僕は来た道を引き返して先ほどの店に戻った。
例の中年女性は僕が再入店してきたのに気づいて微笑んだ。しかし、すぐにその笑みは何かを訝しむ表情へと変わっていった。
僕は早速、なぜ女性は礼拝をしていないのか英語で訊ねてみた。すると女性は、はじめ何のことか分からないようだったが、しばらくして質問の意味が分かったようで、こう言った。
「女性は男性と同じ場所で礼拝はできない。」
男性が礼拝に出るとき、女性は見えない場所に退き、ひっそりと終わるのを待つだけだ。礼拝の義務は男性と比べて女性には重いものではないというが、男性と同じように礼拝したい女性だっているはずだ。それでも女性たちは文句も言わず、男性中心の社会で暮らしている。
この現代において、戒律や行動規範に男女の性差があるというのは、やはり何か腑に落ちなかった。しかし、これはイスラムに限ったことでは無い。あらゆる宗教において、男女差は存在する。
答えを聞いた僕は何も言うことができず、歯を強く噛み締めただけだった。女性の瞳には、僕には複雑で読み取ることのできない、穏やかで、だが凛とした光が浮かんでいた。
僕は店を出た。僕はイスラム教徒でもないのに、ここで何をしているのだろう。軽々しくイスラムの帽子を買ったりして。僕には何を思う権利もない。
そのまま回廊を歩んでゆくと、拓けた場所に出た。礼拝の読経の音量は最大になった。
左側を見上げると、そこにはモスクがあった。マスジッド・インディア。メガホン型のスピーカーが四方に備え付けられた庶民的な構造のモスクは、まさに礼拝のためのモスクだと言える。
僕は礼拝を続ける男たちを横目に先を急いだ。すぐに舗装工事中の砂利の路面を歩くようになった。左右には衣料品店や飲食店が並んでいて、外では多くの男性たちがたむろしている。
捲き上る土埃と、イスラムのバジュ・メラユに身を包んだ人々をみると、急に自分は中東にでも来てしまったのではないかと錯覚する。
携帯の地図を頼りに、この道を進み、すぐ向こうの橋を渡る。するとその直後、突然スコールが降ってきた。日本のゲリラ豪雨とはレベルが違う。いきなり始まって、バケツをひっくり返したような土砂降りに見舞われる。
僕はKLタワーまで歩こうと思っていたが、これはさすがに無理だと思い、車を拾った。
「世界第4位の通信塔、KLタワー」
KLタワーはそこから坂を上がって5分程度だった。到着する頃にはスコールは止んでいた。僕は1500円くらいの入場券を買って、エレベーターで展望台まで上った。
まだ少しスコールの後遺症があったが、軽くなった雲はもう上の方へ浮かび、眼下に市街地の景色がだんだんくっきりと見えてきた。
僕はここぞとばかりにNikon D810を取り出してから、フロアをぐるり360度めぐり、忙しなく写真を撮った。向こうのほうで、スコールを降らせている雲を見つけたので、シャッターを切った。
スコールのおかげか、はじめ観光客の数は少なかった。
しかしそれも束の間、エレベーターで次々と中国人観光客の軍団が展望フロアに上ってきた。
僕はまたかと失望し、彼らのいない展望を探しては写真を撮って、じっくり眺めることを繰り返した。きっとため息をつきながら、僕はまるで仕事を行うようにその行動を繰り返して、最後まで消化した。
その時、僕は自分の右腕に結ばれた真紅のヒンドゥーの紐を見た。バトゥ洞窟を思い出した。ついさっき出会ったモスク脇の中年女性のことも。自分も同じように誰かを、何かに先入観を持って接している。
そういう時には、思考停止の状態で、慣習に従って行動している。僕は心の中で、中国人観光客に謝罪していた。
エレベーターで下界に降りて見ると、さっきのスコールが嘘のように、空は晴れわたっていた。僕は車を拾って、チャイナタウンに向かってみることにした。
「クアラルンプールの中華街」
象徴的な大門をくぐり抜けると、馴染みのある見た目の中華街が目の前に広がった。
面白いことに、中華街のすぐ横には、市街地ではもっとも古く由緒あるヒンドゥー寺院、スリ・マハ・マリアハンがある。僕は立派な門構えに感銘を受けて、見学することにした。
中華街を歩いてみると、この東アジアの雰囲気がやはり懐かしかった。馴染みのある中華料理の匂いが芳しい。
僕はそれに惹きつけられるように一軒の食事処に入った。時刻は16時を指していたから、さっきのカレーを食べてからじつに5時間は経っている。何か食べてもよいだろう。
僕はスコールビールと麺類を注文した。キンキンに冷えたビールは格別の味だった。さすが中華街の麺は、安価な値段とは裏腹に非常に美味しかった。
ここでしばらく落ち着いていると、アルコールのせいかもしれないが、さっきまでの思いつめた感情がばかばかしくなってきた。あらゆるものを受け入れられるような気になれる。
一つ言えることは、日本から出ていなければ、こういう複雑な文化間の差異や価値観の相違に触れる機会は少ないだろう。だから今の僕は、感情が揺さぶられようとも、すべてにオープンでいようと自分に言い聞かせた。
空気に夕刻が近づいている匂いが混じってきた。
僕はクアラルンプールの観光地の一つ、ペトロナス・ツインタワーに向かってみることにした。全高452mの超高層ビルだ。ツインタワーとしては世界一高いビルだ。ここも車で行けばすぐだ。
Uberはすぐにやってきた。この若い運転手は英語が堪能で、しかも饒舌だった。僕のことを日本人だとすぐに言い当ててからというもの、日本人が好きな観光の仕方をベラベラと話してきた。
例えば、チキンライスや肉骨茶(バクテー)は食べたかとか、ペトロナス・タワーに行ったら、スリアKLCCという高級ブティックが入ったモールに行けば奥さんのお土産が見つかるよとか、モールの奥には伊勢丹やNobuがあるよとか、とにかくステレオタイプを並べてくる。
僕は独り身だし、そういう目的で来ているわけではないと言い放って、でも肉骨茶は今夜食べると思うと伝えてから、車を降りた。
「世界一のツインタワー、ペトロナス・タワー」
ペトロナス・タワーに着いてみると、その雰囲気は生理的に受け付けられなかった。
バンコクやラスベガスなど、世界の観光地のどこに行ってもあるようなブランドの旗艦店、スポーツ店、ブティックだらけのショッピングモールで、何一つ目新しいものはない。タワーに上ってゆくのは着飾ったカップルや海外旅行者の団体など、これまた典型的だ。僕がいられる場所では無い。
僕はタワーの入り口を素通りし、伊勢丹も素通りして、奥の公園に出た。公園は人工物が多いが、それでも東南アジアらしく豊かな樹木が元気に枝を拡げている。その緑は暖かな暖色系だった。きっとオレンジがかった西日が遠くから迫ってきている。
僕は喧騒から離れ、ゆっくりと公園を一周した。途中、ベビーカーを押すカップルたちが目に留まった。僕は思い出を探りながら、右腕のロウリー呼ばれるヒンドゥーの紐を見た。
携帯の地図をみると、ホテルまでは歩いて30分はありそうだ。今日は一体、何回Uberを使ったのだろう。
まだ時間はある。ホテルの方向に向けて、最後くらい歩いて帰ってみよう。しかし暑い。汗が滔々と流れ出る。エクササイズと思えば楽なものだ。ペットボトルの水をこまめに口に含んだ。
20分ほど歩くと、地図に保存していた肉骨茶の名店が近いことがわかり、これは好機と立ち寄ることに決めた。
新峰肉骨茶(Sun Fong Bak Kut The)という店に着くと、まだ時間が早いからか、お客は少なかった。
外の広いテーブルを与えられて、僕は早速、人生初の肉骨茶を堪能することができた。胡椒を煮詰めたようなじわっとくる奥行きのスパイスの風味と、煮詰めて旨味がたっぷり出た骨つき肉にしゃぶるように食らいつく。とにかく白飯が進む。このスープに米を浸して雑炊にしたいくらいだ。
外気温によるものではなく、身体の芯が温まったような感覚は、別の種類の発汗を促した。シンプルで、とても体に良さそうな食べ物だ。
僕は食事を終えて満足だった。そこで一度ホテルに帰ってシャワーを浴びることにした。ホテルまでは10分くらいなものだ。少し歩いて食べたものを燃やしたいくらいだ。
「イスラム教国とお酒」
途中コンビニに立ち寄って、ビールを探した。しかしどこにも無い。ドリンクのコーナーに行っても無い。
店員に聞いてみると、ドリンクの奥のほうにある、同じようなガラス戸へ案内された。しかし黒塗りになっていて、何も見えない。取っ手を掴んで開けてみると、中には数種類のTigerビールが置いてあった。
レジに持っていくと、他の客や店員がジロジロと僕を見てくる。なんだか良い気がしない。そうか、マレーシアはイスラム教国だから、飲酒は禁止されているのだ。
しかし多宗教国でもあるから、店では目立たないようにひっそりと裏の方で売っているわけだ。
僕は申し訳ない感覚に襲われていた。レジで素早く買って帰ろうと思うと、ビールがかなりの値段であることがわかった。日本とほとんど変わらない値段だ。そうか、きっと酒類は禁止されているから酒税が高いということなのだ。
とにかくさっさと買ってこの変なプレッシャーから解放されれば、なんでも良い。僕は潔く大枚を払って、ビールを購入して、一目散にホテルに帰った。
部屋に着いてから、隣のムスリムの宿泊客が気になった。僕がビールを飲んでいることを知ったら嫌だろうな。
僕は今日買ったイスラムの帽子をバッグから取り出して、デスクに乗せた。右腕にはヒンドゥー教の紐が固く結ばれている。
そして、同じくデスクには、冷えたTigerビールが置いてある。この三つ巴の違和感は、計り知れないものがある。僕はビールを一気に飲み干した。
むしゃくしゃして、僕はシャワーを浴びた。すべてを洗い流そうとした。
新しい下着とTシャツに着替えてから、僕はベッドに仰向けに飛び乗った。明日はシンガポールへ飛ぶ。そこには友人が待っている。ベトナムからカンボジア、タイ、そしてマレーシアと旅してきた僕は、彼にとってどう変わっているのだろうか。
アニメ業界での戦友であり先輩である彼は、あれから10年経った今の僕を見てどう思うだろうか。彼の成長したエンタテインメント・ビジネスに見合う人間なのだろうか。
30分ほどしても不安が募るばかりだった。家族を失った僕には、自信を持つこと自体が難しい。きっとまた駄目なのだろう。いや、どうだろうか。
気がつくと、僕は外に飛び出していた。交通量が減りつつある夜の幹線道路を横切って、僕は足早に市場に向かった。Jalan Alor フードコートへ。野外にある夜の食事処であり、酒場でもある。
近づくにつれ、都会の喧騒がますます強くなってゆく。遠く、野外照明に煌々と照らし出された雑踏が見えてきた。僕は胸が踊った。アドレナリンが放出される。
僕はストリートに所狭しとひしめく料理店を端から端まで物色し、海南のシーフードを食べさせる料理店を見つけ、テラス席に座した。
早速Tigerビールを注文し、次々と魚料理を注文した。それからもう一本ビールを注文し、次第に気分が楽になってゆくのを感じた。気分が良くなっていくのではなく、楽になってゆく。
料理は確かに評判だけあって、よくできていた。だが、それでも正直どうでもよかった。肉骨茶を食べてから2時間くらいだったから、そこまで空腹ではない。
それよりビールを飲むことが、何か抵抗の証のように思えた。だから僕は海南料理店で3本目のビールを終えた頃、支払いを済ませて、市場を奥に向かって歩き始めた。
市場から遠く離れ、この道の奥のさらにまた奥へ向かえば、夜の闇が深くなる。夜の闇が深くなれば、深層のさらに深いところに自分を誘える。最も深いところに行きつければ、そうすればもっと楽になれる気がした。
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メッセージが携帯を鳴らした振動で、僕は目覚めた。ベッドの上から天井に埋められたライトをしばらく見つめていると、太陽のように思えてきた。アグニ。ヴェーダ。胸を張って行こう、シンガポールへ。
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壁の写真をぼんやり眺めていた僕の右腕には、あれから2年半も経つというのに、まだヒンドゥーのロウリーが巻かれたままだ。
今日もまた一日が始まる。