北アルプス登山:『槍ヶ岳』日帰りアタック(その1)

「2020年10月19日(月)移動日:東京から新穂高へ

前日に天気予報で北アルプスは積雪があったようだ。

アイスクライミング用のアイゼンは所有していたが、まだ20月の雪山にはオーバースペックだろうと思い、前日に軽アイゼンをネットで注文していた。

今朝届くということになっていたのだが、なかなか届かず気を揉んだが、11:55にやっと到着。荷造りは済んでいたため、すぐに出発した。

目的地は280km先の新穂高温泉だ。

Google Mapはいつも使っているロードバイク のルートの横、荒川の左岸を細かくゆくルートを指していたが、大動脈で行ったほうが最終的には早く着くと考え、僕は新大宮バイパス(R17)に乗った。

単独の日帰り登山の場合、家から山頂まで全ての環境を体感したいため、僕の好みは下道での移動だ。

現地で車中泊をして翌日にアタックを試みる。

戸田、上尾、鴻巣、熊谷、深谷、本庄、藤岡、そして高崎まで北西に上がってゆく。熊谷まではかなりの交通量があり、ストレスを感じた。

高崎の君が代橋交差点から左に折れると国道18号線の起点だ。安中を通過する、いわゆる中山道だ。

ここまですでに3時間以上かかっていた。この道は急に交通量が減った。横川と言えば釜飯で有名なおぎのやの本店の横を通過する。

碓氷峠だ。

この峠の手前の旧中山道の左には妙義山が見えている。鋸型のシルエットが日本のものとは思えずインパクトが強い。

 

途中のコンビニに立ち寄り、4時間ぶりに休憩とした。カレーまんとチーズバーガーを食べた。

そして妙義山のほうを写真に収めてみたが、もう一つ前のコンビニのほうが良い景色だったようだ。

 

軽井沢に下る頃には、遠くの空がうっすらと夕焼けが差し始めていて、予定より時間がかかっていることに焦りを覚えた。

 

それに加えて渋滞が発生していた。この先2kmは渋滞のようだ。おそらくツルヤ軽井沢店の買い物渋滞だろう。

ちょうどその頃、Google Mapからは近道のルートが推奨されたので、従ってみると、確かに渋滞をショートカットできた。

軽井沢を過ぎる頃には県道80号線(軽井沢小諸線)へ乗り換えて、下り基調の快適な直線道路を進んだ。

その頃、遠くに北アルプスの稜線が目に飛び込んできた。

 

夕焼けに照らされる山々のシルエットの中に、間違いなく特出した尖った稜線がある。槍ヶ岳だ。

 

北アルプスはやはり大きく、美しい。

明日はあそこにアタックするのだと、果てしなく遠く高い目標を僕は心から恐れ敬った。

小諸からそのまま80号線を高速で通過し東御へ入った。

そろそろ小腹も空いたことだし、ルート上に長野県名物のツルヤを探した。調べてみると、254号線で松本に向かう手前にツルヤ丸子店があった。

入店までの道順に少し手間取った。店内ではバナナ、惣菜パン、おやきを8個、ツルヤのオリジナルビールを3本、ジャムを買った。

車に戻る頃には日が暮れていた。

松本までは国道254号線が最適だ。山中を通ることもなく、若干の上り道くらいで走りやすい道だ。

松本に入ると、すぐに梓川の脇道へと到達して、あとは福井まで続く国道158号を上流に向かうだけだ。

上流には北アルプスがある。ゴールが近い。時刻は19時を過ぎている。

まだ松本から50kmもあるという恐るべき事実が、いかに北アルプス連峰の山が奥深いかを示している。

梓子湖を通過し、右へ折れてゆくと、上高地へのバス停や白骨温泉を横切る。一昨年に母と登った穂高が思い出される。

さらに奥へ進むと、厳しいことで有名な安房峠が待ち構えている。

しかし峠は通行止めのため、安房峠道路(中部縦貫道)で行くしかない。料金は790円だ。

有料道路の出口を降りると、すぐに平湯温泉が現れた。

自転車の実業団レース、乗鞍ヒルクライムに参戦した際に入ったことがある温泉だ。すでにここは岐阜県だ。

ここから一度、奥飛騨温泉郷へ下って、福地温泉と栃尾温泉を通過して右折、高原川に沿って北東へ向かうと、ついに新穂高温泉だ。

 

新穂高ロープウェー駐車場

到達した。時刻は20時。

温泉郷であり、近くにはロープウェーの駅もあるので、もっと人気が多いかと思えば、全くもってあたりは暗闇だ。

唯一、暗闇の中に光るものが、新穂高登山指導センターというインフォメーション・センターだけだった。外に出ると息が白い。気温は4℃だった。

 

車を道を挟んだ広場に一時停車して、指導センターへ歩き、翌日の登山届を記入して投函しておいた。

 

トイレもあるようだが、室内は暗闇だ。念の為ドアを押してみると開いた。進入すると明かりが点灯し、トイレは使えた。

車に戻ってからもう少し上へ登って、第一駐車場へ車を入れた。

6時間ごとに500円かかるらしい。

駐車場は広々としていて、50台は停められそうだが、自分の車以外には誰もいない。

一番奥の角の区画が大きいようなので、そこをベースにすることにした。

車を停めて見上げると、満天の星空だった。

すぐ横に高原川が流れているらしく、轟音が激しい。

昨日までは雨が降っていたはずなので当然だ。

しかし今は風もなく、雲ひとつない澄み渡った空気があたりを包み込んでいる。静かだ。

僕は車の後ろを開け、早速ダッフルバッグから電灯を取り出して天井に吊るした。

明かりを点けてから、さっきツルヤで買ったビールを開けた。

トータルで8時間かかったドライブだったためか、格別にうまい。

 

外気に慣らそうと車中の設定温度を低めにしていたので、ビールはまだ冷たかった。

惣菜パンやつまみを次々と食べて、カーボローディングしておく。

明日は長丁場になる。

周りには誰もいない。あるのは森と夜空と川だけだ。自然の中で一人きりという気分は悪くない。まったく不安や恐怖を感じなかった。

僕はビールをもう1缶開けた。

携帯の電波は安定しているので、しばらく友人や母と連絡を取り合った。それから明日の槍ヶ岳アタックの準備をした。

行動食は十分用意し、頂上で食べる予定のカップラーメンのために湯わかすコンロ(Jetboil)も詰め、防寒着や十徳ナイフからウイスキーも入っている。

時刻は21時。

未明の2時に起床予定なので、就寝にはちょうど良いだろう。

僕はエアマットを敷いて、その上に寝袋を広げた。

インナーを着替えて寝袋に入り、携帯の充電をした。ヘッドライトの電池は新しいものに加え、予備も持参する。

そうして寝袋に入ろうと体を滑り込ませようと手をついたとたん、水気を感じた。

車のフロア一面が濡れている。

 

水漏れエマージェンシー

一体どうしたことか。

はじめは理解できずにいた。そうか、さっき2リットルの水を入れたリザーバーが漏れたのだ。

焦って急ぎその場にあるものを横に退けて、バッグの下を触ってみると、やはり水浸しだ。

すぐに中に入れていたものを全て外に出して、リザーバーを取り出してみると、2リットルの水は全てこぼれてしまっていた。

中にあったもので水気を含んでしまった予備の防寒具やビスケットのような乾物は使い物にならない。

バックパック自体も水分を含んで重くなってしまった。

背中やショルダーパッドも水浸しで、仮に背負ったならば背中が水で冷えることになる。

間違いなく使い物にならない。

僕はタオルでフロアから何からとにかく拭きながら、しばらく考え込んだ。

そうこうしているうちに時刻は21:30になろうとしていた。

僕は仕方なく、予備で持ってきていた65リットルの大きい遠征用のパックを使うことにした。

早速、改めて荷造りをして、詰め込む行動食を見直し、防寒具も改めて検討し直した。

モンベル( mont-bell)製の水のリザーバーはもう二度と使わないと決めた。

65リットルのパックにはもともとCamel Bakのリザーバーが入っていたので、これを使う。

以前から何度も使っているから信頼できる。

全て準備が整った時には時刻は22:30を回っていた。

かなりの遅延だ。僕はフラスクのウイスキーを一口飲んでから寝袋に入った。

アラームを2時にセットした。

アタックを前にして、まだ出発もしていないのに、水をバックパック内に全てこぼしてしまうとは、何か悪い予感がした。

寝袋の中で、僕は、何か忘れている物事はないか、やるべきことは他にないだろうかと考えてしまっていた。

だから眠りにつくのが難しく、うとうとし始めてもまだ何か足りないのではないだろうかと考えてしまう。

その繰り返しで、いつの間にか午前2時はやってきた。

僕はその時になってやっと腹が決まって眠気と闘うようになっていた。そのためアラームを30分延ばした。

2:30、改めて起床。外気温は2℃。

僕はすぐにバナナや惣菜パン、そしておやきを口に突っ込んで、腹を満たした。

ウールキャップを被り、ヘッドライトを装着し、午前3時、いざ登山口へと歩み行った。

 

槍ヶ岳へ登山開始

登山口は漆黒の闇だ。

80ルーメンのヘッドライトは地面と10m先くらいはきちんと照らし出してくれる。

 

川の濁流の音が左から聞こえるということは方向は間違いない。

下は落ち葉の積もった砂利道が、感覚的に傾斜3度くらいで登っている。おそらく林道のような位置付けで、作業車が上がってくるのだろう。

所々に工事中の標識や立入禁止の文言が見えてくる。

それより目立たなくなってしまっていたが、登山道の道順も書かれている。暗闇の登山路よりも、むしろこうした標識のほうが少し怖さを感じてしまうのは、もしかすると昔始まった工事が中断していて危険箇所があるかもしれないからだ。

 

3:40に穂高平小屋を通過。

この建物は冬季シーズンを迎え閉館していた。暗闇に浮かぶもぬけの殻の建物は不気味だった。

 

ここに標識があり、右に行けば穂高、左は槍ヶ岳だ。僕は左へ向かった。

それから先は粒の大きい砂利道となった。

枯れ葉で覆われていて見辛い。なるべく道の中央を淡々と歩いた。

それから45分ほどで白出沢に着いた。ここで枯れ沢を渡る。

 

ルートは初め分かりづらかったが、渡りきると自然と登山道に行き着いた。

 

ここから先は高原川を左手の下方に構える森の中だ。

細く、岩と土が混じった本格的な登山道が続く。

 

なかなかヘッドライトだけでは判別しにくいが、時たま現れる、枝に巻きつけられたピンク色のリボンを頼りにルートをフォローする。

しばらく進むと登山道が崩落して使えない場所が出てきた。

左に折れて高原川に降りる迂回路が指示されているが、道が悪く、登山者が少ないためか岩が土に落ち着かず、ぬかるんでいる。

ルートというより、枯れ沢と登山ルートのエッジに残された流木の残骸を乗り越えるような獣道のような印象の道で、とにかくヘッドライトでピンクの目印を見逃さないようにした。

 

遠くの山々の稜線は白んできている。

しばらく黙々と進むと、ヘッドライトが何か建物の壁を照らし出した。

滝谷避難小屋だ。

中に入ってみると、無人小屋であることがわかった。僕はここで5分休憩し、羊羹やチョコレートを食べた。

 

たった5分休んだだけだが、外に出てみると登山道や枯れ沢が目視できるようになっていた。

時刻は5:15だ。まだ薄暗さが残るためヘッドライトは着けっぱなしにして、先に進むことにした。

 

滝谷という枯れ沢を過ぎると、川上に、位置的に北穂高岳だと思われる稜線が見えた。かなりの高度だ。

 

さらに淡々と進むと南沢という枯れ沢をまたぐ。

真っ白い白御影石の巨石がごろごろと転がっている。

上流には滝が見え、その向こうには白い岩肌が見えていることから、山自体が白御影石で構成されているのかもしれない。

 

ここから比較的整った林間をゆく細道を過ぎると、槍平小屋にたどり着いた。

ここで一泊する登山者も多い。

小屋の規模は大きく、キャンプサイトも広く施設は充実しているようだ。

僕はここで5分休憩として、トイレを済ませ、行動食を口に含んだ。時刻は6:30だった。ここから穂高連峰の槍ヶ岳・南岳へ行くルートと、西側にある奥丸山へのルートに分かれる。

 

 

槍平小屋から本格的な急登

もう朝は訪れていて、ヘッドライトもしまったわけだが、朝日が差すわけでもなく、気温が上がらない。

あたり一面の草木は霜を被っており、地面には霜が降りている。

 

ここから本格的な急登が始まる。

それぞれの段差の高低差は広がっているが、まだ岩が敷かれているため、足を取られることはない。

だが大喰沢を通過し、1時間半にわたって、下生えの多く、低木に包まれた登山道はかなりこたえるものがある。

 

すでにここまで12kmを歩いていて、獲得標高も1000m登ってきていた。

息もかなり切れるようになった。

 

淡々とさらに200mほど登ると、視界が開けてきて、上方に稜線が見えてきた。

 

雪を被っている。

この時期には珍しいことだが、槍ヶ岳山荘のブログを見たところ、数日前の降雪で、頂上付は積雪が20cmもあるらしい。

その中に一際尖ったシルエットが目に飛び込んできた。

槍ヶ岳である。

そこで少し息を吹き返したように、モチベーションが上がってきた。

2500m付近まで来ると、千丈乗越の標識が見えた。

 

ここで左右のルートに分かれることができるが、僕は右側の飛騨沢を進むことにした。

時刻は8:15、2600mに到達する頃には、息は切れ切れになっている。

急登に加え、足が雪やアイスバーンで取られてしまう。

その時、初めて上から人が二人降りてきた。

早いですね、と言われて、まさか日帰りですかと驚かれた。

「もうちょっと上からアイゼンが必要ですよ。あと、槍ヶ岳の頂上まではなんとか行けますが、下りが鎖やロープがなくて、雪が吹き溜りみたいになっているので、かなり注意が必要です。岩を見つけて、掴みながらですね。」

そのようにアドバイスをくれた二人に別れを告げて、僕は先を進む。

二人が下る方向の向こうには、奥丸山が朝日で輝いていた。

 

確かに8:30になる頃には登山道は完全に雪と氷に包まれていた。

 

僕はバックパックを下ろして、軽アイゼンを取り出してブーツに装着した。これで安心だ。

 

2800m、2900mとひたすらつづら道を登ってゆく。登山道は完全に雪と岩しかない。雪が重く、足の引き上げが辛い。息切れが激しくなってくる。

眼下には登ってきたルートがカール状に開けている。

 

僕は20m進むと一息つくようなペースへと急ブレーキがかかってしまっていた。

そのたびに、心臓のドクドクという鼓動が自らの身体を伝って聞こえてくる。

 

上に見える稜線はいっこうに近づいてこない。

延々と続くつづら道をひたすら進む。

 

背中に汗を感じてきて、立ち止まるとすぐに冷えるため、あまり長い間止まっていたくもない。つまり行動食は控えていた。

だが振り返ると背中側に明らかに先端の尖った岩が見えている。槍ヶ岳は確実に近づいている。

 

アイゼンを装着してから1時間余り。

9:36に稜線の上に辿り着いた。

 

左に槍ヶ岳、右に南岳という分岐の標識が目の前にあった。

 

稜線の向こう側には絶景が広がっていた。右側奥に富士山が見えている。

 

ここで標高3013mある。スタート地点から14km歩いてきた。獲得標高は2000m近い。

 

だが、ここまですでに7時間近くかかっているため、先を急ぐ。

 

僕は左に進み、息を切らせながら、キャンプサイトの区画をジグザグに通り抜け、越えると、向こう側に槍ヶ岳山荘が見えた。

その向こうに鋭く迫り上がる槍ヶ岳が見える。

 

山荘の前のテーブルに座り一休みする。

その時、槍ヶ岳から降りてきた今日二人目の登山者と会話した。

その人は眼下に見える殺生ヒュッテに宿泊しているらしく軽装だ。やはり危険な箇所がいくつかあるようだ。

そこで僕は、槍ヶ岳に上がる前に水など重い荷物を置いてゆくことにした。

10:00ちょうど。いざ槍ヶ岳にアタック。

 

「槍ヶ岳」山頂

 

アプローチすると、鋭く天に突き刺さるような壮大な岩山が迫ってくる。

あるのは岩と雪と氷のみだ。

 

アイゼンを氷だけでなく岩にも噛ませながら、じっくり登ってゆく。

 

傾斜は50度はありそうな、明らかな壁のような急登が、次々と訪れる。

 

決して両手を岩から離すことはできない。

チェーンがあるときには、チェーンで登るのではなく支えとして掴みながら、しっかりと足場を確保して体を上へ上へと持ち上げる。

 

梯子の際には、下を見ずに、足元と手の位置だけをしっかり確認し、心を落ち着けてゆっくりと登ってゆく。

 

決して焦らず、無理をせず、最も確実なルート選択を繰り返す。そのうち、最後の梯子にさしいかかった。今まで最も長く垂直だ。

 

登り切った。槍ヶ岳山頂である。

標高3180m、高さでいうと日本第5位の山である。時刻は10:30。

 

絶景。息を飲むような絶景が360°見渡せた。

 

頂上は12畳くらいの狭さで、槍の穂先と呼ぶにふさわしい。

 

天候は快晴。頂上は無風の絶好の日和だった。

アウターシェルがむしろ暑く感じた。

 

僕はバックパックを置いてから、奥の社に100円をお供えして、手を合わせた。

 

胸のポケットにしまっておいた父の舎利が入ったカプセルを取り出して、社に置いた。

 

そして父と来たことを伝えて、同時に、父には槍ヶ岳に登頂したことを報告した。

 

それから15分ほど、全方位の絶景を一眼レフで写真を撮り、登頂成功の余韻に浸った。

暖かい頂上は休憩するのに最適な場所だった。

 

その無音の美しい世界で佇むことは、天上の喜びを与えてくれるような、至福のひとときだった。

 

自然の力が作りだした荒々しい山の姿は、改めて畏敬の念を感じさせ、自らが成し遂げた大きな結果に対しても、常に緊張感を持たせてくれる。

決して侮らず、決して奢らず、決して執着しない心のみが、自然と対話することができる。

人と自然の最高の関係は、こうして確認されるものだ。

 

僕は11時前にして、槍ヶ岳山頂から下山した。

下りは細心の注意を払う必要がある。

上りよりも慎重に、雪の吹き溜りに騙されず、足場をできるだけ岩の上に確保して、グリップと荷重に確証が持てないかぎり、岩を掴んだ手を離すことはない。

バックパックは必ず谷側に向け、岩に押されてバランスを崩さないように注意する。

焦らず、時間を気にせず、たまに引き起こる突風にも心を寄せず、ただじっくりと淡々と岩と氷の壁面を下ってゆく。

11:15am、槍ヶ岳山荘に到着。

僕は空腹を覚えて、Jetboilを取り出してから重い思いで持ってきた900mlの水筒の水400mlを使って湯を沸かした。

 

そして定番のカップラーメンのカレー味を堪能する。格別の味だった。

 

食べ終わる頃には、時計は11:45amを指していた。長い道のりを考えるとグズグズしてはいられなあい。日没までに下山しなければ気温が危険なところまで下がってしまう。

日帰りでなければここで一泊ということになるだろうが、僕はここで下山を決意した。

そして、この下山は厳しいものになった。

 

(つづく)