10月27日(火)南アルプスへ
その朝、空には秋晴れの鮮やかな青が広がっていた。
僕はSUVを家の前に停めて、後ろの荷台に遠征用の90リットルのダッフル・バッグと45リットルのバックパック、そしてたっぷりの行動食や水を積み込んだ。
それから一度家に上がって、父の位牌に線香を上げた。
那須から母が来ていたので、せっかくだからおにぎりなど登山口で食べられるものを作ってもらった。それから共に昼食を摂ってから、僕は出発した。
いつものようにGoogle Mapで目的地を入力する。今回は登山口で車中泊となるが、その前に温泉に入っておきたい。
そこで、あらかじめ目星を付けていた「尾白の湯」という温泉を目的地に決めた。甲斐駒ヶ岳を水源とする尾白川の下流、ちょうど登山口の近くにあるようだ。この水は名水百選に選出されている。
所要時間は5時間。今回も高速は使わず、下道のみでゆくつもりだ。ドライブを楽しむということもあるが、東京から遠く、そして3000m近い山頂に向かうまでの全ての工程を味わうためでもある。
出発してから、まずは国道254号線に向かった。いわゆる川越街道と呼ばれているが、今回のルートは、新座から所沢を経由して、入間の南側を西進して青梅に入る道順を選択している。
月末が近いからか、道は商業用の車両でそれなりに混んでいる。そもそも平日に東京と埼玉近隣の流通の要となる大動脈を走行していれば当然のことではあるが。
新座から所沢のあたりは、以前からコストコに行ったりアニメ業界の自転車レースの集合場所に行ったりするのに何度か通っていたので、馴染みがある。
それから青梅へと至り、下流とは異なり細流の多摩川に沿って道をゆけば、梅郷を過ぎたところから、10年前に頻繁にロードバイクで来ていた道を思い出した。
ジロ・デ・信州のコース
当時はアニメ業界でも屈指のロードレーサーの人たちと「番長連」という厳しい特訓に参加していた。朝3時や4時に三鷹駅に集合し、奥多摩湖を越えて山梨県の柳沢峠まで行って帰ってくるというコースだった。
梅郷を越えしばらく多摩川の南側をゆき、御嶽を過ぎて、直進すると古里で川の向こう岸に渡る。そこに最後のコンビニがある。昔と変わらない。
そのまま進んでゆくと、いくつかのトンネルを通過する。暗さもあるが、路面がウェットなのが昔は怖かったものだ。
奥多摩湖に着いたのは、15:30頃だった。トイレ休憩にして、ダム湖のほうに歩いていって数枚の写真を撮った。今回はミラーレスのOM-Dを持ってきている。
僕は車に戻って先を急いだ。ここから先、柳沢峠までは自転車で1時間半以上かかっていた気がする。
車で山間を進むと、紅葉が深まっていった。窓を開けると、流れ込んでくる空気が冷たく、張り詰めている。16時を過ぎると陽が一気に傾き、もはや山間に注ぎ込む日光は消え失せていた。
およそ45分かかって、柳沢峠に到着した。車でも相当な長丁場だ。1400m以上の地点にあるためかなり登ってきた感じがある。柳沢峠の茶屋はコロナのせいか営業していなかった。
僕はここでもトイレを済ませて、甲州市の方を向いてシャッターを切った。
ここから先は甲州市から塩山まで下るのみだ。自転車で下るときには相当なスピードに恐れ慄いたものだ。
アニメ業界の自転車レース「ジロ・デ・信州」に初めて出走した際には、フィックス・ギアのピスト・バイクだったため、下りで足の回転がクランクの回転に追いつかず、足を外してしまったことを思い出した。
下まで降りてくると、あたりは完全に夜になっていた。時刻は17:30。
温泉のある北杜市白州まではまだ1時間かかる。夕方の渋滞が少し遅れを生み出していた。
万力公園を通過し、甲府から見て北部の山岳地帯の裾野に位置する雁坂道を北西にひた走る。甲府を過ぎてからは韮崎の手前で国道20号線、つまり甲州街道に乗った。
渋滞は解消され、とたんに交通量が激減した。
街灯の数も比例して減ってゆき、あたり全体が漆黒に染まってゆく感覚があった。なぜか僕は不安な気持ちになった。
フォッサマグナの濃厚温泉「尾白の湯」
18:30、尾白の湯に到着した。20時までの営業だ。
施設はまだできて間もないのか、敷地は広く整備され、建物の内部も広く清潔感があった。
訪れているのは地元の人々だと思われるが、大人一人830円というアグレッシブな価格帯には驚いた。どうやら北杜市内の人には割引があるらしい。
早速入湯するわけだが、驚いたのはその泉質だ。だだっ広い露天風呂は二つの大きな湯船に分かれていて、片方は源泉そのままの「赤湯」と呼ばるものだった。
その湯は赤褐色の完全な不透明な液体で、入ってみると水深5cmであらゆるものが見えなくなるくらいだ。ナトリウム-塩化物強塩温泉だという。
その濃度は温泉法が定める基準値の約30倍と日本でも最も濃い源泉らしく、飲むことは禁じられている。
入ってみるとそこまで熱くはないのだが、身体の芯にじんわり届いてくるような心地よい刺激がある。人によっては刺激が強過ぎるらしい。
尾白の湯を出てから、僕は車で800mほど坂を下りたところにあるコンビニへ向かった。
ほとんどの食事処は19時か20時で閉店とのことで、夕食はコンビニのオムライス弁当になった。
コンビニから来た道を戻るようにして、尾白渓谷の駐車場へ向かった。
ナビの到着の知らせが届いたがあたりが暗過ぎて何も見えない。奥に一つの明かりが見えたので車を進めると公衆トイレだった。路面には白く駐車場の区画がペイントされていたので、トイレから少しだけ離れたところに停車した。
後ろのドアを開け、携帯のランタンを天井から吊るし、点灯した。
まずはビールだ。家から運んで来た缶ビールを開けて、一気に流し込んだ。それからオムライス弁当と母の作ったおにぎりを食べて、身体に炭水化物を蓄えた。
それからあらかじめ準備しておいたバックパックのギアや食糧をもう一度入念に確認した。問題なさそうだ。
それが終わると、僕はエアパッドを床に敷いて寝袋に入った。
携帯で母や友人に連絡を入れてから、窓をほんの少しだけ開けて、21:30に眠りについた。
10月28日(水):暗闇の尾白渓谷で道迷い
2時起床。目覚めるや否や、僕はすぐに追加のカーボ・ローディングを行った。バナナや惣菜パン、おにぎりや羊羹を口に詰め込んでゆく。
それから歯を磨き、トイレを済ませてから、いよいよ出発だ。
午前2:30、僕は登山口のある方向へ歩き出した。
ヘッドライトは80ルーメンほどの簡易なものだ。少し歩くと登山届を提出するポストが見えたので記入して投函した。
登山口は、甲斐駒ヶ岳神社の左脇から続いている。神社の張り紙には、黒戸尾根は渓谷を進んでしばらくしてから登ると書いてあった。
登山口は、橋を渡ったところにある。
標識を見て、僕は渓谷行きの矢印をフォローした。
それからは山に沿って鎖場をクリアしたり、渓谷の岩場を遡ったりと、淡々とこなして30分くらい経った。
すると標識があり、尾白川渓谷の尾根道と渓谷道に分かれた。ここは尾根道を選択する。
しかし、しばらく進むと、また渓谷のほうに下りて来てしまった。
下調べしておいた情報によると、このルーツは尾根をひたすら登ってゆくはずだ。
僕は一度来た道を戻って、渓谷と尾根道との分岐点に帰ってきた。
今度は渓谷を選択してみると、また渓谷の真横に出てきた。
僕はこのまま渓谷の岩場を登ってゆくと尾根道に出るのだろうと予測をして、明らかに人の通るはずも無さそうな巨大な岩が積み上がった渓谷を登ってみた。
しかし傾斜はどんどんきつくなり、足下の石の隙間からは渓流が流れ出していて、岩の大きさと滑りそうな表面の様子が、登山道とは異なることを確信させた。
僕はこのルートを断念して、渓谷に戻った。
僕は再び分岐点に戻り、今度は尾白川の尾根道をもう一度進んでみた。
もしかするとルートの先を示す看板があるかもしれない。
はじめに行き着いた渓谷にまた戻ってきた。この先は大きな岩場しかない。
どこかで見失った看板があるかもしれないと、僕はヘッドライトで見渡しながら、なるべくゆっくりと戻ると、山の斜面に沿って、小さな看板を見つけた。
僕は安堵して、先を進んだ。腕のSuunto Ambit 3の時計を見ると、出発からすでに45分が経過していた。獲得標高は50mほどしかない。
急いで山道を進むと、また先で下っているようだ。
案の定、このルートも渓谷に行き着いてしまった。
渓谷まで来ると、一つの看板が、反対向きに、つまり来た道のほうを指して「尾根道」となっている。
おかしい。僕は再び来た道を戻ってみたが、尾根の方向に行く道は無い。
暗闇の中、もしかすると少し上に登れば尾根に行き着くかと思い、登ってみるが、人が通った形跡は一切なく、枯れ葉とゴロゴロした岩で路面は不安定だった。
やはり尾根道へのルートは渓谷を過ぎた先にあると確信して、僕はもう一度渓谷の先に進んだ。
礼の看板まで来ると、僕は、この看板はもしかしたら渓谷の激流で方向が変わってしまったのではないかと思うようになっていた。
その前の分岐では、尾根道はこちらと書かれていたのに、いざ進んでみると逆戻りの方向に矢印が向いているなんておかしい。
時計を見ると出発から1時間が経過している。
甲斐駒ヶ岳までの2400mの上りのうち、まだ50mしか来ていない。
僕は急に焦りを感じて、こんなところで足止めを食らうわけにはいかないと思った。
僕は渓谷の先の、大きな岩々と流木が複雑に絡み合った急斜面へと進むことにした。
時計のGPSで方角を確認しながら、渓谷から見て尾根のほうに進むルートを模索してみる。
僕は渓谷を外れ、急峻な山の斜面に向き合った。
iPhoneのGoogle Mapを見ると、自分は二つの尾根の谷間にいることが分かった。これらが交差して一つになり、黒戸尾根になる。
谷間は本来ならば落石があったり、足元が安定しないか水場であったりするため選びなく無いルートだ。
だが暗闇の中でいずれの稜線を辿って尾根に出たとして、切り立っていたならば滑落の恐れがある。
僕は安全策を採った。
谷間とは言え、地図上では100m毎の等高線のピッチが極めて狭い。つまり急勾配であることがわかる。トレッキングポールを使う余地はない。
僕は道なき道をひたすら登った。
今までにない急斜面だ。足元は深い枯れ葉で埋もれていて、進んでも少しずり落ちてしまう。まるで三歩進んで二歩下がるかのようだ。
両手で斜面にある物ならなんでもいいから掴んでいる。木の幹や蔓植物や岩など、なんでもいい。
しかし、ほとんどの植物は枯れていて、何度も根こそぎ引っ張り出してしまい、僕の身体は数メートル落下した。
谷間となれば陽が当たらない。植物は枯れてしまっていた。
枯れ葉に埋もれて、たまに岩もあるから足首を痛めそうになった。
岩ならば足場として安定しているだろうと思ったら、岩の下にも不快枯れ葉の層があるようで、乗った瞬間に岩は崖下に落下していった。
僕は身体を斜面に押し付けるような格好で、なるべく重心を山側に寄せて這うように上目指した。
汗がとめどなく流れ落ち、ヘッドライトが滴る汗を映し出していた。
しばらく進んでは時計のGPSで方角を確認し、また進んだ。
出発から2時間以上経った頃、山肌の傾斜が少し緩和した気がした。
そのままペースを崩さず進むと、自分の目の前に、左から右に向かって置かれたような丸太が見えた。
身体を起こして近寄ってみると、その向こうは明らかに整地されていた。
登山道だ。やっと復帰できた。僕は安堵した。
すぐに空腹を感じたので、僕はザックを降ろしてポケットからミニ羊羹を二つ出して口に含んだ。そしてCamel Bakのリザーバーの水で流し込んだ。
3分ほど呼吸を整えてから、僕はトレッキングポールを取り出して、登山道へ踏み入った。
「笹の平」分岐点
登山道とは、なんと歩きやすいことか。
整地されていて足を取られることなく、勾配は緩い。
しばらく行くと「笹の平」分岐の標識が見えてきた。なんと、「甲斐駒ヶ岳まで7時間」とある。時計はちょうど5時を指している。山頂には正午に着いたとしたら、下山が遅くなる。僕は焦った。
僕は整地された登山道をスピードを上げて進んだ。
5時半になると背中側の空が紅く色づいてきた。夜明けが近い。
僕は熊笹に覆われた登山道を突き進んだ。きっと明るければ心地良いトレッキングに違いない。
そうしているうちに、6時ちょっと前に尾根に出た。
左を見ると、朝日に染められた富士山が視界に飛び込んできた。美しい。
さらに進んで眺望の良い場所に着いた頃、午前6時7分、遠く雲海に顔を覗かせるご来光を浴びた。
日の出だ。差し込んでくる日光によって、瞬時にして身体が温まってゆく。
朝日の左側には八ヶ岳連峰が見えた。
右を向けば、朝日と富士山が地平線に並んで見えた。
もう少し登ってゆくと、左側の視界が開けて、槍のように先端の尖った山のシルエットが見えた。
地蔵岳である。ということは、その右に連なる山々は、観音岳と薬師岳になる。
先週、激しい雨天のため断念した山々だ。
その後、いくつかの鎖場とロープが貼られた岩場のセクションをクリアして、黒戸山の稜線を終えた。
ここからしばらく下りだ。
今2200m地点だから、およそ200mほど標高を落とすことになる。もったいない。
そして、ここから先、五合目から上は、厳しい上りが待っている。
七合目の七丈小屋
甲斐駒ヶ岳は山岳信仰の聖地だ。
登山道には多くの社や石塔が奉納されている。刻まれた名は不動明王や行者たちだ。
黒戸山から降り終えて、登り返す道の手前には一際立派な神社がある。僕は手を合わせた。
その先は、巨岩の脇をすり抜けるような道が続く。
そして、鎖場とロープそして梯子が続く。その急峻さたるや、下を見れば脚がすくむだろう。
だがその分、スピーディに標高を稼ぐことができる。僕は時計を見ながら、ぐんぐんと数値が上昇していることに少し安心した。
七合目に到着したのは7:40だった。
ここには水場とトイレがある。水は100円で使いたい放題で、トイレは200円だ。
僕は登山口から2リットルの充分な水を持ってきていたので特に使う必要がなかった。そして、道迷いのおかげで、トイレは必要ないくらい汗をかいてきた。
僕はそのまま先を急いだ。
8時を過ぎた頃、標高でいうと2400mあたりから、地面に少しずつ雪が見えた。雪解け水の水溜りはことごとく凍りついていた。
そこからは雪やアイスバーンを避けながら岩と土を渡りながら進んだ。
しかしついに2567mに到達した時、目の前から先は雪に覆われたルートだった。
僕はザックを降ろして、簡易アイゼンを取り出してブーツに装着した。
雪道の傾斜は強く、植物の背丈は一挙に低くなった。
見渡す限り、低い松の樹林が広がっていた。そのため視界も一気に開けて、思わず立ち止まってしまった。気がつくと僕は懐のiPhoneを取り出してパノラマ写真を撮っていた。
しかし見上げると、先はまだ長そうだ。
あと500m近く登らなくてはならない。時刻は8:30だ。時間的には自分の速いペースのおかげで挽回できていた。
急勾配を登り切ると、「大日大聖不動明王」と彫られた一際大きい石標が現れた。
僕はいつものように手を合わせて先を急いだ。
最後のアプローチ
そこから先は、剱岳を思い出させる険しい岩場が続いた。
雪と氷と岩の間で、最もアイゼンの食いつきが良い場所を丁寧に選んで進んでゆく。焦ることはない。時間に余裕がある。
鎖場では、決して鎖に頼ることなく、あくまでも補助として使っていく。大事なのは手足の三点をしっかりと岩の突起や窪みに安定させることだ。
岩と雪がミックスした道を登ってゆくのはなかなか難しさもあるが、その都度変化する景色や山容がたまらなく面白い。
大きな岩をクリアして振り返ると、その上に二本の剣が立っていた。信仰の証しだ。
僕はその向こうに果てしなく広がる雲海と幾重にも続く山嶺の姿に幽玄を見た。
岩の向こう側に見える日本第二位・北岳がもうどこからでも確認できるし、背後には富士が鳳凰三山の向こうに背伸びしている。
植生も変化し、次々と見たことのないものが現れてくる。
雪や氷の質が変わり、岩を越えるたびに違った風を感じる。その都度、僕はそういう変化にリアクションするのだ。
その対話の中で、自分は自然の一部であると確信する。そして自分が生きていることが顕になってくる。それはかけがえのない悦びだ。
僕は息を切らせて岩場に苦労しながらも、笑みを浮かべていた。喜びがこみ上げてくる。
正面に向き直ると、頂が見えてきた。いつの間にか2900mまで登ってきた。僕は岩を掴んだ。何度も岩を掴んで、三点支持で身体をサポートし、そして繰り返した。
そして踊り場に出た。十二畳ほどの平地だ。
そこには駒ヶ岳神社本社が立っていて、その周りに、多くの社や石標が立ち並んでいる。
僕は頭を深く下げて、先に進んだ。
山頂が近い。
空気は冷たく、張り詰めている。鼻から大きく吸い込むと、肺にミントのような冷たい感覚が流れ込んでいく。
目の前に山頂の社が見えた。
9:40、ついに登りきった。甲斐駒ヶ岳の頂上だ。標高2967メートル。南アルプスの最難関であり、日本百名山の中でも屈指の名峰だ。
僕はヤッホーと叫んだ。木霊が返ってきた。
周りには誰一人いない。結局今回の登りでは誰にも出くわさなかった。
頂上は槍ヶ岳と異なり20m四方くらいの安定した場所だった。
僕は岩の白さに特異さを見た。そうか、甲斐駒ヶ岳は全て花崗岩でできていると読んだことがある。1400万年前に地中の奥底でマグマがゆっくり冷えて固まってできたらしい。
花崗岩はわりと脆く、触っているとボロボロと崩れてゆく。見た目はチョコチップ・バニラのアイスのようで、美味しそうだ。
頂上から見渡す360°の眺めはまさに絶景だった。
富士、鳳凰三山、八ヶ岳連峰、北岳に加えて、もっと奥まで見える。
八ヶ岳の向こう側には黒富士や曲岳の山々が見える。
その左には諏訪と伊那が両方とも見える。
伊那と諏訪の間には、鋸山がある。
伊那の左には仙丈ヶ岳が聳えている。
僕は何回もシャッターを切った。パノラマ写真も同様だ。
それから僕は中央の社に戻って、100円の賽銭を置いた。
懐から父の遺骨を取り出し、正面に置いて祈った。駒ヶ岳に父と来たことを報告して、旅の無事と父の極楽での安寧を祈願した。
風は強く、冷たい。気温は2℃だ。僕はアウターシェルを取り出して羽織って、ジッパーを上げた。
それから20分ほど山頂を独り占めして、のんびり過ごした。
心は晴れていた。だが腹が減ってきた。ナッツを食べたり、チョコを食べたりしたが、塩っ辛いものが欲しい。
今回も麓から持ってきたカップラーメンを食べることにした。
しかし山頂は寒く、突風が吹くことがあり少し不安だ。
僕はもう10分ほど滞在してから下山を始めて、少し下ったところにある無風のポイントへ向かうことにした。
カップラーメンと下山
山頂から100mほど下ったところに、巨大な岩に守られたポイントがある。
岩は極めてアンバランスな様子で屹立しているように見えるが、その懐にはテーブルのような岩があり、その中央にちょうどバーナーが収まるように窪んだ部分があるから、きっと登山者がよく使う場所だろうと踏んでいた。
僕は早速Jet Boilでお湯を沸かしてカレー味のカップヌードルを食べた。やはりハイキングの最中に食べるカップ麺は最高だ。
食べ終えた頃、時計は10:45を指していた。これからおよそ5時間かけて下山する。
僕は全てザックの中に詰め込んで下山を始めた。
岩場や切り立った崖のバリエーションには充分注意を払った。
下りはまた景色の雰囲気ががらりと変わるから良い。日が高くなり、ルートの全容が見えると、登山中にイメージしていたり考えていたりした思考とは違うことが脳裏に浮かんでくる。
大きく違うのは、登頂したことの達成感と安心感による自信と言っていいのかもしれない。
その分、油断は禁物だ。
しかも午後が近くなるにつれ気温が上がってくると心地良さが増してきて、のんびり降りるので良いのではないかと思ってしまうが、そうすると夕刻に急に気温が下がった時に低体温になったり行動食や水が底をついたりして危険にさらされることになる。
せっかく獲得標高2600メートルも登ってきたのがもったいないと思いながら、僕は足早に下ってゆくのだった。
雪が無くなる箇所は、ちょうど往路でアイゼンを装着したまさにその場所だった。
その手前で汚れのない新雪を探して、僕はさっきカップラーメンに使って空になったペットボトルに詰めた。
もしもの時、リザーバーの水が底をついたら使おうと思った。
行きと同じ場所でアイゼンを外してザックに片付けた。
それから下は遠方に見える山々の紅葉が美しかった。
もはや脚がフレッシュではないため、黒戸山への登り返しはなかなか厳しかった。
それでも登り終えて稜線に出た時、左手の奥に見えてきた尾白渓谷の上流の滝に気づいた時には何か得をした気がした。
復路では、より多くの社や石柱を見ることができた。単純に明るくなったからだろう。だが僕はその都度、下山の無事を祈った。
稜線の岩場を越えてゆく時には、さらに紅葉の森が美しく左右に広がっていた。
正面の稜線の向こうには八ヶ岳の裾野の北杜市がよく見えた。
右を向けば、鳳凰三山が壮麗な姿でアルプスの南側を見守っている。
黒戸尾根の下山時としては最後の難関となるサメのヒレのような岩場を越える。
その右側の谷を見下ろすと、黄金と紅と緑がミックスしたバランス良い紅葉の森を独り占めできた。
しばらく平坦とも思える緩やかな登山道を過ぎると、熊笹が群生するエリアに出た。笹の平だ。
およそ標高2000mから1500mあたりまで、ひたすら笹の登山道を下る。
緑色の笹の平野の中央に、褐色の蛇行した線が見える。それが登山道だ。
滑りやすい土の道と、木の根が剥き出しになっていて、これも滑りやすい。剱岳の草月尾根のルートと似ている。
1200mまで降りてくると、今朝ルートを外れ急峻な谷間を登ってきて辿り着いたと思われるあたりにさしかかった。
こうして見ると穏やかな森だ。
それから先は思っていた渓谷から登る尾根道とは全く反対側の尾根の南側に九十九折のように続く下り坂がお目見えした。
おそらく登山口に入ったばかりの橋を渡ったところから道を間違えたのだ。
橋から正面または左方向に、現在下っている黒戸尾根ルートがある。
つまり渓谷から尾根に向かって登ったとしても、尾根のルートは頂点を越えて向こう側にあるから、見つかるわけがない。
はじめの分岐点でのミス
僕は真相を確かめたい一心で、物凄いスピードで下った。
トレイルランのイメージだった。
15:00になる頃、僕は下山道を下りきった。
眼下に吊り橋が見える。
橋に着くと、僕は振り返って今朝の動きをトレースした。
はじめの分岐を見つけた。標識をよく見ると、そこには「甲斐駒黒戸尾根登山道→」とある。
それは覚えている。そして、その矢印の先には、「千ヶ淵方面→」となっていて、そちらを進むと登山道にたどり着くと思わせる。
しかし、暗闇の中で見えなかったが、甲斐駒黒戸尾根登山道の指す方には、細道が見えるではないか。
丸太が横たわっているから、まさかそこに登山道が続いているとは思えなかった。
ヘッドライトの限定的な光源に頼る夜中の登山者にはわかりづらい。
僕は真相を知ったが、これでは仕方ないと思った。
気を取り直して、僕は吊り橋を渡った。
白い花崗岩が美しい渓谷を眺めた。
そして登山口の甲斐駒ヶ岳神社へと到達した。
僕は、道に迷ったにも関わらず、無事に日帰り登山を終える事ができた御礼をしようと思い、本殿と山側にある神聖な滝にお賽銭を捧げ、手を合わせた。
僕はせっかくなので少し観光をしようと思い、境内をくまなく歩き回った。
山岳信仰を示唆する、夥しい数の石標があった。
駐車場に着いたのは15:15だった。
2967mの山頂から標高800mほどの駐車場までの下山は4時間で完遂してしまった。かなりのペースだ。
歩行距離22km、獲得標高2600m、平均勾配29度、行動時間12.5時間。2500m以上は雪とアイスバーンと岩のオンパレードの、なかなかチャレンジングな登山だった。
槍ヶ岳で鍛えられたからか、疲労は前回よりはましだ。
僕は車に戻ると、プロテインバーやバナナを食べた。
素早く着替えて、トイレに寄ってから、今夜の宿のある上諏訪に向かう。
夕刻を告げる暖かな西日が心地よかった。
心は晴れ渡り、僕の胸中は言葉にできない達成感と安心感に満たされていた。
至福のひと時だった。
登山に病みつきになりそうだ。
(つづく)