Day 3: 2020年11月17日(火)
縄文杉へ
まだ暗いうちに、小屋の中で一斉に目覚ましアラームが鳴り響いた。
関西からの登山客らのパーティが目覚めたようだ。iPhoneは4時を知らせていた。
昨夜の段階で、ガイドが明朝は朝4時くらいには起きると言っていたので準備はできていたが、全員が一斉に起床するとドタバタ感が際立った。
僕は5:30に出発して縄文杉のあたりで6:30の夜明けを迎えたいと思っていたので、もう少し寝ていようと思ったが、物音がひどい。
ガイドが代表して調理用具と炊き出しを担当するのが普通なので、案の定、ガイドが色々と準備をしている。カップラーメンや即席のライス飯など色々だ。
コッヘルに火を入れるとゴォという音が鳴るのだが、朝の静けさではかなり音が大きいことがわかった。しかもガイドが使っているのは古いオープンのタイプなのだ。
4:45くらいになると、彼らが準備を整えて小屋の外へ出て行ったので引き続き寝ようと試みたが、今度はかえって人気の無さに不思議な気持ちになって、僕も起きることにした。
すぐにお湯を沸かして、カレー味のカップヌードルを食べた。
そして、ペットボトルに入れてあるナッツを口に流し込んだ。
次に素早く片付けと荷造りを行なう。
僕の寝袋とエアマットは最新鋭のウルトラ・ライトのもので、快適かつ暖かく、しかも極小サイズのスタッフ・バッグにパッキングすることができる。
5:30になったが、外は漆黒の闇だ。
雨が降っているので、空も暗く、森との境は全く見えない。
僕はヘッドライトを着けて、トレッキングポールを握って出発した。
ヘッドライトが照らす夜道に、雨粒が線のようになって落ちてきて視界を邪魔する。
小屋から縄文杉までは基本的には下り坂だ。登山道は枯葉と岩と木の根で滑りやすい。辺りは深い森であるから、集中していないと登山道をロストしやすそうだ。
実際、道筋を失うと、僕は幾度か止まって周りを見渡してしっかりと道を見定めてから進んだ。甲斐駒ヶ岳の二の舞はごめんだ。
20分も歩くと、前方の下のほうにいくつかの明かりが見えてきた。小屋で一緒だったパーティだ。
僕はスピードを落とさず進んで、追い越させてもらった。
「やっぱり早いですね。そのペースなら日の出より前に縄文杉に着きますよ。晴れていれば、縄文杉がオレンジ色に染まりますよ。」ガイドはそう言った。
僕は礼を述べて、先に進んだ。しかし雨はいっこうに降り止む気配がない。
なかなか急な下り坂を降りてゆくと、高塚小屋を越えて、6:20に縄文杉に到達した。はずだ。
しかし、まだ辺りは薄暗く、いったいどこに縄文杉があるのかわからず、一度は通り過ぎて先に行き過ぎてしまった。
戻ってみると6時半を過ぎて視界が鮮明になってくると、踊り場のような木道と鑑賞スポとがきちんと整備されていて、中央の奥にある縄文杉を囲んでいた。
雨は降り続いていて、周囲には濃厚な朝靄が立ち込めていた。ヘッドライトの向こうに、一際大きな屋久杉が現れた。縄文杉だ。
僕は木道をいろいろな方向を歩いてベスト・アングルを探した。そのうちに次第に明るくなってきた。
雨の中だったがザックを置いて、一眼レフを取り出して写真を撮った。
6:45にもなるともう充分な明るさの中で撮影ができた。
7時になると後ろから例のパーティが合流した。
僕は撮影スポットを変えていたので、彼らに簡単に挨拶をして、前進することにした。
縄文杉はどの角度からも表情豊かで飽きることがない。僕は最後にもう一度シャッターを切った。
ウィルソン株からトロッコ道
進む方向は「トロッコ道」と書いてある方向だ。一本道なので迷うことはないだろう。
そこから先も下り坂だった。
雨は小降りになったが、相変わらず木の根と枯葉が滑る。
なによりも標高が下がってゆくとみるみる暖かくなり、僕は再び滴る汗に悩まされた。
しばらくは我慢して下山を良いペースで遂行した。
途中、夫婦杉までやってきた。
しばらく進むと、標識がウィルソン株が目前に迫ってきていることを伝えてくれた。
ウィルソン株まで行けば、きっと下から登ってくる登山客が増えるはずだ。
僕は登山道傍で朽ち果てた屋久杉の巨木の切り株にザックを下ろすと、まずはトップスを一枚減らしてから、次にズボンの下に履いていたコンプレッション・タイツを脱いだ。
すぐに快適な涼しさを体感できた。
500mも行くとウィルソン株に到達した。
案の定、数人の学生のような若者が先着しており、写真を撮っていた。
もう上まで行って帰ってきたのですかと聞かれたので、昨晩は山頂付近で一泊して下ってきたところだと伝えた。
ウィルソン株の中に入ると社があった。
ガイドから聞いていたのだが、入って右の下のほうに座って切り株から外を見上げると「ハート型」が見えるという。確かにそうだった。
後から入ってきた学生らはハート型が見えないと言っていたので、場所を教えてやった。
そして下山を続けた。
ウィルソン株から下は、登ってくる登山者が増え、道を譲る場面が増えた。
少し足止めを食った形になってしまったが、8:30に翁杉を前にしていた。樹齢2000年を誇る、縄文杉に次いで2番目に古い屋久杉だ。
しかし立派な姿は無い。確か10年前に倒木してしまったはずだった。
8:40にトロッコ道に出た。この近くの小屋の周囲で、多くの登山客が休憩を取っていた。
このトロッコ道がとてつもなく長い。しかも単調だ。
そして向い来る登山者の数と言ったら尋常ではない。
Go To キャンペーンで屋久島に来る旅行者が増えていると聞いてはいたが、僕のルートではほとんど出会わなかった一般の登山者の数は1旅団はあるかもしれない。
ガイドの間では「上り優先」とされていると昨夜のガイドが言っていた通り、こちらの都合など関係なくどんどん進んで来る。
登ってくるのはガイドに引率された大きなパーティが多いから、僕のほうが道を譲ってトロッコ道から降り、石と土の道をゆくことがほとんどだった。
9:15には高塚小屋と荒川林道までの距離がそれぞれ5.5kmと書かれた立て看板に行きあたった。
ちょうど縄文杉と荒川登山口までの中間地点だ。
9:30には屋久島の北側にある風光明媚な渓谷、白谷雲水峡への分岐に到着した。
僕は荒川登山口まで突き進む。まだまだ先は長い。何度か渓流を越えた。
しかし登山客はいなくなった。きっと荒川登山口までの朝の最終バスできた人々はすでに通り過ぎたということだろう。
途中、トロッコ道の上で後尾をしているヤクサルのつがいがいた。人間がいなくなってせいせいしたのだろう。僕がiPhoneで写真を撮ると、メスが気づいて恥ずかしそうに藪の中に入っていった。オスはゆっくり追っていた。
10:15に荒川登山道に出た。さて、ここからが正念場なのだ。
荒川登山道へ下山完了
電線の工事を行っている数人がいただけで、レジャー客の姿は一切無い。というのも、朝一のバスが来てしまうと、夕方まではバスの運行が無いからだ。
ヤクスギランドのように短距離でいくつもの屋久杉を堪能できるスポットと違い、縄文杉までは歩いて3時間かかるため、車で来る物好きもいないようだ。
以前「岳人」で見ていたが、タクシーを使うとするとハイヤーになり、迎車の費用を含めるとヤクスギランドまで8,000円かかったというから困ったものだ。
もちろんそんな選択肢はないから、僕はヤクスギランドまで6kmの車道の道のりを歩くことになる。
しかしこの6kmが厄介だ。なにせその道中全てが登りなのだ。
荒川登山口の標高は600mほどだから、ヤクスギランドのある標高1,000mまで400mも登る。
ロードバイクで慣れているからわかるが、勾配は8%〜10%のなかなかの山行となる。これはなかなか時間がかかる。
腹も減ってきていて、塩っ辛いものを欲していたため、昼ごはんを楽しみにしていた。
前に調べていた安房にあるラーメン屋に行ってみたい。
しかし営業時間が14時までと短い。そのため急ぐ必要がある。
僕はプロテインバーを一本食べてから、水をリザーバーから多めに飲んで、水のタンクを軽くしようと思った。
6kmの車道の登り坂はなかなかきつく、そして単調なためつまらなかった。
しかしペースは上げることができた。
30分以上歩いた頃、安房から車で登ってくる時に見た分岐に到達した。
しかしゲートが閉まっている。
そうか、一般車は入って来られないようになっている。つまり、荒川登山口には、朝と夕のバスでしか来られないというわけだ。
どうりでマイカーもタクシーもいないわけだ。
となると、僕のように車道を徒歩で帰ってくるより他に選択肢はない。確かにそういう人のために、ゲートの端は人が通れるようになっている。
だが、もし仮に、新高塚小屋で泊まって降りてくる人が僕のように速いペースで下山したとして、お昼頃に荒川登山口に着いてしまったら夕方まで待たなくてはならないというのは不親切だ。
いずれにしても、11:24にヤクスギランドに帰還した。
やっと着いたという安堵感が一気に押し寄せてきた。
Suuntoを見るとこの二日間の行程は42km弱で、獲得標高は2,200mだった。なかなかよく歩いたものだ。
レンタカーの周りには多くの車が停まっていた。それ以外にも観光バスが多くの見物客を乗せて何度もやってきた。その都度、皆がガイドに率いられてヤクスギランドへ入ってゆく。
僕はまず受付に行って、昨日登山を開始した際にはまだ受付が開いてなかったので登山届を提出できなかった旨を伝え、改めて用紙をもらって記入した。
提出すると、その係りの女性は不思議そうに困惑した様子でいた。
どうやらルートを把握できないらしい。
それもそのはずだ。ヤクスギランドから宮之浦岳そして新高塚小屋まで行く人間がまず少ないだけでなく、ヤクスギランドまでピストンで戻ってきたわけではなく、荒川登山口まで降りて、それから車道を来たのだ。そういうルートは存在しない。
僕が事情を説明すると、担当者は驚いていた。そして称賛の言葉をもらった。
車に戻ってから汗と雨で濡れた服を脱いで、ダッフルバッグから乾いた服を出して着替えた。みるみる体に温かさが戻ってくる。気づくとザックも全体が雨を含んでびっしょり濡れていた。
今回はレインカバーを持ってきていなかったから、次第に防水効果が無くなって染み込んでしまったのだろう。
そのため、乾かそうと外側のメッシュ部分に詰め込んでいたミドルレイヤーやコンプレッション・タイツは乾くどころか完全に水を含んで重くなっていた。
正午前にヤクスギランドを後にした。
安房で美味しいラーメンをいただく
車にエンジンをかけると、電波が不確かでかすれたラジオが鳴った。
鹿児島のニュースを聞いて、人間の世界に戻ってきたことを実感した。
今朝と打って変わって、ヤクスギランドから下る車道は晴れ渡っていた。
屋久島は島の中央の山岳地帯に雨雲が溜まり、外周の海側は空気の抜けが良く、晴れていることが多い。
青空を見たのは昨日の宮之浦岳以来だった。
12:30には安房では有名だという「こしばラーメン」に到着した。
駐車場で車から降りると、外は夏日だった。僕はTシャツ姿になった。
中に入ると、全員が地元の人間のようだった。白い半袖のワイシャツにスラックスはお役所の人だろうか。
ラーメンのサービスセットを注文した。900円でラーメンに半チャーハンがついてくる。東京の値段感からすると高いと思ったが、ここは屋久島だ。
待ちに待ったラーメンだ。
九州らしくクセのある濃いめのとんこつスープに甘い醤油味が格別だった。これは美味い。博多とも久留米とも違う、どこか愛媛ラーメンを思い出す味だった。
臭みのあるとんこつダシがパンチが聞いていて疲れた体に染み込むようだ。
そして屋久島はどこでも水が美味い。僕は何度もセルフでおかわりして、乾ききった身体を潤した。
平内海中温泉
次の目的地は温泉だ。
登山の後は温泉と決まっている。
目指すは屋久島の南側にある平内海中温泉だ。ここは海の中に湧き出たお湯で、干潮時にしか入ることができない珍しい温泉だ。
僕はiPhone 12で屋久島の干満を調べてみるが、種子島のそれしかわからなかった。
近所だから大体同じだろう。13時頃から干潮らしいので到着する時間であれば問題ない。
その前に、屋久島観光協会に立ち寄った。理由としては屋久島満喫商品券を買うためだ。
島の多くの施設やお店で使える5,000円分の商品券が2,000円で買えるというお得な商品券があることを聞いたのだ。
しかしその数には限りがあり、もうほとんど売り切れに近いとも聞いたので、早めに行ってみたかった。
観光協会に行ってみると、そんな雰囲気は一切感じないほど閑散としていて、訪れていたのは僕一人だった。
担当の男性に用紙を記入して渡すと、2日以上宿泊しているので1万円分を4,000円で買えるというので、もちろんそうした。
そして安房を後にして、屋久島の南側のドライブに出た。
左には太平洋、そして右側にはモッチョム岳が見えている。
11月でこの暖かさは、まさに南国だ。屋久島は狭い敷地に海と2,000m近い山岳地帯を有するため、極端な気候が楽しめる贅沢な島だ。
喉が乾いてコーラを買った時に、ちょうど良いから、モッチョム岳の写真も撮っておいた。
14時に平内海中温泉に着いた。入場には200円を入れる箱があった。
海側に歩いてゆくと、岩場に二人の男性が先客でいたので、その周りで服を脱いで4つほどある湯船の空いているところに入った。
なかなか熱くて、湯が湧いて注がれているところから飲んでみると、海水ではなかった。ここの温泉は岩場の奥深くか、全く別の場所から湧いているらしい。
もちろん満潮時には海水に包まれて、海の一部になってしまう。
しばらくすると二人、また二人と男性のペアが次々と入ってきた。
どうやら皆、登山してきた帰りらしい。
小屋であってそのまま一緒に下ってきたという人らもいたし、以前山で知り合って登山の旅に共に出るという人らもいた。なるほど、こうして山友達を増やしていくのかと感心した。
いつだって単独行の僕からすると新しい情報だった。
しかし今の僕のルートは相当チャレンジングだから、体力が合って、山での経験に富んだ人でないと難しいから、いつかそういう人に出会えるのを待つしかない。
いくつかの湯船のうち、ぬるめのもあるから、熱くなってからはそちらでゆっくり浸かった。15時が近くなってきて、西日がほんのり黄色がかってきたのを見て、僕はそろそろかと思った。
皆に挨拶をして別れを告げて、着替え場所に行った。ところが風でいくつかのものが飛ばされてしまったようだ。岩場の下に降りてからズボンを拾ったがポケットの500円玉は紛失してしまった。
入り口に戻ると、いつの間に落としてしまったのか、着替えの靴下をそこで見つけた。
車に戻ると、僕は今晩の宿のある宮之浦港までは屋久島の西側をドライブして行こうと思い、Google Mapでルートを見た。
途中、大きなガジュマルと大滝を見てゆこうと考えた。
中間ガジュマルはNHK連続テレビ小説「まんてん」のロケ地らしい。
この連ドラは見ていなかったのでピンと来なかったが写真に収めておいた。
次に訪れたのは、大川の滝というもので、なかなかの落差のある雄大な滝だった。
ちょうど上のほうは西日が当たってオレンジ色に輝いていて美しく、下方は滝壺まで一気に落ちてゆく膨大な水量が猛々しく見えた。
それからさらに屋久島の西側のドライブを続けると、標識が示すには、東シナ海が見えてきたようだ。
向かう左には東シナ海、そして右側は深い森と山岳地帯が続いている。
屋久島国立公園
屋久島の西側は国立公園が張り出していて、一切の家屋や店が無い。
この道一本のみが通っている。
そのため多くの動物たちにとっては危険の少ない場所だとも言える。
実際、ヤクシカとは何度も遭遇した。はじめ道路上に佇んでいるヤクシカであるが、車が接近するとすぐに道路脇の谷に逃げてしまう。
逃げてくれるのは走行する車にとってはありがたいのだが、これがヤクサルともなると全く事情が異なる。
彼らは一切逃げることがなく、道を占領している。
車が近づいても避けるそぶりはなく、むしろこちらが避けて運転しないといけない。
そんな出来事も屋久島らしいエピソードだ。
山道を抜けると、永田の町が近くなる。
時刻は17時前になり、水平線の向こうに夕日が美しかった。
永田の海岸はウミガメの産卵地として知られていて、よく保護されている。
あまり立ち入るのもいけないだろうし、どこなら入れるかを調べるのも面倒なので、ここは通過した。第一、ウミガメの産卵は夜間のはずだ。
宮之浦港に着いたのはちょうど日が暮れる頃だった。
素泊まりの民宿いわかわにチェックインして、早速まずはヤクデンというスーパーに買い出しに出た。
明日は午前中に白谷雲水峡を攻略し、午後は蛇之口滝という秘境に行く予定を立てていた。果たして時間的にはタイトだが、やってみる価値はある。
スーパーでは惣菜パンやナッツ、バナナにプロテインバー、宿で飲むクラフト・チューハイなるものを買っておいた。「クラフト」を付ければ何でも手作りとこだわりのオーラを与えられるからマーケティングは便利なものだ。
夕食は19:30。歩いて5分ほどの潮騒という和食料理屋にしてみた。人気らしい。
飛魚の刺身を屋久島の焼酎で堪能して、最後にとんかつ定食で食事とした。
二日歩き尽くめだったため、まだまだ食べられる感覚があった。
それにしても鹿児島の豚肉は美味だ。
宿に戻り、洗濯をして部屋に乾かした。
隣部屋には山ガール風の女性がいたが、ハイキングは初めてらしく、初々しい感じだ。山のファッションを楽しんでいるような節があり、ハイキング・コースはいわゆる軽登山くらいの場所を選んでいるそうだ。
それからビールを飲んで、少し植村直己の『エベレストを越えて』を読み進め、23時に就寝した。
(つづく)