東南アジア紀行 2019 <ミャンマー編 その3> マンダレー 二日目(午後)

「サガインの慰霊碑」
 
 またしても塩辛く、旨味のないシチューのようなカレーのような料理を食べ終えから、マンダレービールの大瓶を飲み干して、僕はテーブルを後にした。
 
 6月8日の昼食はマンダレーから15kmほど南下したところにある大橋を渡ったサガインの丘よりは手前の見知らぬ裏街道のレストランで済ませた。
 

 

 
 トゥクトゥク・ドライバーのチットコーが案内してくれた場所だ。店は半屋外で、チーク材調に塗装された木造建築だったから、それなりに清潔感のある店だった。おそらく旅行客を連れて行く定番の店なのだろう。そのためか、大した料理ではないが単価はマンダレー市内とさほど変わらなかった。
 
 レストランは日陰ではあったが空調が無かったから、やはり発汗は止めることはできなかった。
 
 チットコーは店を出て右側の木陰にトゥクトゥクを停めてスマホをいじっていた。オーケーかと尋ねられたので、オーケーだと応えておいた。味は好みでは無かったが、とにかく空腹を満たすことはできた。
 
 「サガイン の丘までもうすぐだ。丘の上の寺とジャパニーズ・メモリアルへ行く。」
 
 ジャパニーズ・メモリアル、つまり例の戦争時の記念碑のことかと僕は理解していた。日本軍が英国軍と戦った激戦区の一つ、マンダレーにある記念碑はいくつかのお寺の並ぶ聖地サガインの丘に建っているという。
 

 まもなく、トゥクトゥクは登り坂を上がってゆく段階に至った。坂自体は大した勾配ではないのだが、これがなんともエンジンがかわいそうなくらいフルスロットルにしてもノロノロ運転だったから、トゥクトゥクの非力さを痛感させられる瞬間だった。
 
 やっと厳しい箇所を登り終えると、左側に展望がひらけてきて、遠くに金色のパゴダが見えた。進行方向にもパゴダが見える。
 
 その手前でチットコーはトゥクトゥクを停めた。
 

 「ここから上まで歩こう。荷物は置いておいても大丈夫。安全だ。」
 
 荷物は置いておいて大丈夫だというのが何故なのか分からなかった。周囲に誰もいないからか、それとも神聖な寺院の敷地であるからか。
 
 ここは地元の人間の言うことに従おうと思い、財布、カメラ、パスポートのみ手に持ったりポケットに入れたりして、その場を後にした。とは言いつつ、薄いナイロンバッグの中には、それ以外にはペットボトルやメモ帳とペンくらいしか入っていない。
 
 トゥクトゥクから出たとたん、日差しに目が眩んだ。一気に汗が噴き出してくる感覚があった。僕らは駐車場から右手の急斜面のコンクリートの階段を上った。
 
 登り切ると、目の前に白いパゴダが現れた。遮蔽物が無いせいか、真上から突き刺さる太陽光の強さが一段と強まったかと思わせるくらい、パゴダの白色はその場にとって専制的だった。
 
 チットコーは、こっちだと言いながら僕を先導した。
 

 サングラス越しにも眩しかったからまだ何があるのか視認できなかったが、歩き着くと、そこには鉄格子で防護された、いくつかの墓標のようなものや、小さなオベリスクのような石柱が建っていた。よく見ると、その前面には漢字で文字が刻み込まれている。
 

 

 「慰霊。鎮魂。」
 
 ついに来た。多くの日本人が血を流したビルマ戦の戦死者を追悼する記念碑までやってきた。
 
 よく目を凝らして見ると、碑は戦友会や善通寺などお寺によって寄贈されたようで、そこに書かれた内容を見れば、日本人であれば誰もが瞬時にその意味を理解できるだろう。
 
 僕は手を合わせて祈りを捧げてから、チットコーに頼んで写真を撮ってもらった。
 

 「丘の向こう側の展望が良いところにもう一つある。行こう。」
 
 チットコーはそう言うと、パゴダを素通りして丘の反対側方向へ歩いて行った。僕は汗を滴らせながら後を追った。
 
 展望が開けてきたところで、確かに小さいが別の碑があった。僕はここで短く黙祷を捧げた。
 

 ここからの展望は、この地マンダレーで、血で血を洗う激戦があったとは到底思えないほど豊かな緑を誇る森林と大河、そしてその上に映える無数の黄金のパゴダのコントラストが美しかった。
 
 それからチットコーは奥の寺まで連れて行ってくれた。中を見てくるように勧められたので、そうすることにした。彼はトゥクトゥクのところで待っているという。
 

 
 
「ソンユーポンヤシン・パゴダ (Soon U Ponya Shin PagodaI)」

 入り口でサンダルを脱いで寺の境内に入ってゆく。入り口から少し階段で登っている。床はタイル張りだったが、これまで一番清潔な印象だ。
 
 この寺も構造的には他と同じで、中央にパゴダがあり、その四方に異なる印を結んだ仏像を供えた仏壇が建てられている。四箇所それぞれの仏壇で、人々は座って経を唱えたり、東南アジア式の、手を合わせて頭を三回床に着ける方式で祈ったりしていた。
 

 

 僕も同様に参拝しながら、三方向にまたがる展望台から、悠久のマンダレー郊外の自然豊かな景色に没頭した。自然の中に目立つ建物といえば、黄金のパゴダ以外には無かった。これは東南アジアの中でも特にミャンマーの独特な風景である。
 

 

 最後の展望台のところで、沈香、つまり伽羅の木を見つけた。ジンチョウゲ科ではあるが日本には無い花だ。僕はこの花の名前を娘に付けたのだった。
 
 どうにか日本で育てたいと思いタネを探したが、それらしきものはなくて残念だった。だが、展望台から望む遠景を背にして、近景には黄金のパゴダを抱いた伽羅の姿は格別だった。
 

 

 沈香のタネを探して床をじっくり見つめながら歩いていたとき、女性が掃き掃除をしていて、この寺が清潔なのはこの人のおかげかと納得できた。
 
 ここで僕は思い出が欲しくて、女性用のロンギーを買うことにした。女性用のものはロンギーと呼ばれていないかもしれないが。
 
 この寺にも内部にいくつもの土産店が並んでいる。その中で小さな女の子と母親だと思われる女性が店頭に立っている店が目についたので、そこにすることにした。
 
 女性用を探していると伝えると、女性はロンギーが積み上げられたところを指差して、何色がいい、と訊いてきた。アマラプーラの織物工場で見たものと比べると、どれも色調が単調でつまらなかったが、その中では良さそうなものを見つけて、価格交渉に入った。価格は6,500チャットとかなり安価だ。ちょうど半端なお釣りをもらえると寺に参拝するときのお賽銭として使えるからありがたい。
 
 僕は寺の入り口へ戻ってから、しばらく汗をかきっぱなしだったことに気づいて、脱水症状を予防するために出てすぐの売店で1Lの水のペットボトルを買った。300チャットだった。
 
 チットコーのところへ戻ると、彼は相変わらずスマホを見ていたのをすぐに止めて、オーケーだったか、と訊いてきたので、今度はとても良かったよと応えた。
 
 僕らはトゥクトゥクに乗り込んで、次の目的地を目指した。次もサガインの丘の上にあるお寺だという。そこは50体以上のきらびやかな仏像が有名らしい。
 
 
「ウーミントンゼー・パゴダ (U Min Thonze Pagoda)」

 その寺にはほどなく到着した。チットコーはまたここで待っているよと言い、寺の入口の門の手前で僕を降ろした。
入り口でサンダルを脱いで先に進むが、この寺はおなじみの荒れた、掃除されていないコンクリートの床だった。
 

 寺の廊下は長く、丘の上に向かって上り調子だった。途中、何度も沿道の土産店からキャッチセールスの誘いがあったが、暑かったし、先を急いでいたのでひたすら断った。
 

 登り終える頃、お寺はこちらだと矢印で記された看板を見つけて、左に折れた。そこからしばらく屋根のない直射日光の床を歩かされたが、この床の熱さたるや、足の裏が火傷するかと思うほどだ。僕は反射的に爪先立ちになり、踊るようにしてどんどん先へ行き、本堂の建物に逃げ込んだ。
 

 中はエメラルド色の細かいタイルなどの素材で装飾された小ぶりの仏像が等間隔で並んでいる。仏像の列は、回廊を巡って奥までずっと続いている様子だ。
 

 全ての仏様に手を合わせている余裕はないので、なんとなく三十三間堂をヒントに、自分の顔貌を探す訳ではないが、自分にとってピンとくる仏様の前で止まって参拝した。
 

 振り向くと、背中側には、日付と名前が刻み込まれたいくつものプレートが埋め込まれている。ものによっては何十万チャットとか書いてあるので、$200とか寄付すると名前をプレートに刻んでくれて、お寺の境内に永久的に保管されるというものだろう。
 

 最後の仏像まで行くと、そこにも出口があったので出てみたら、また熱したタイルに踊らされる羽目になった。とっさに先を見てみたが、奥にはWCしかなさそうだったので、僕は急いで引き返した。
 
 下りの帰り道で、僕はお土産店の一つで植物のタネをビーズにして編み上げたブレスレットやキーホルダーを見つけた。形が花やバッグのモチーフだったから、娘に良いかと思ったので買ってみた。
 

 サンダルを履いて外に出ると、右側の売店の休憩所にチットコーはいた。また水分補給のため、僕は100 PLUSスポーツドリンクを1000チャットで買った。表のガラスのショーケースは見世物のようで、冷えたものはクーラーボックスに入っていた。チットコーも欲しいかと思ったので訊いてみたら、同じものを選んでいた。
 

 
 テーブルに就いて小休憩をとった。僕はトイレの場所を聞いて、売店の裏側にあるトイレに入って用を足した。ひどく汗をかいているからそんなには出ない。
 
 戻ってくると、寺の前の広場に小さな消防車のトラックがやってきていた。中から青年たちが出てきて機材などを運んでいた。消防士だからしょうがないのだろうが、やはり皆が厚手の消防服を着込んでいるものだから、見ているだけで僕のありとあらゆる汗腺から汗が噴き出してきそうだった。午後2時の42℃という熱さの中、あれでよく平気だと感心した。
 
 テーブルに戻ると、チットコーに、さあ行こうと促して、僕らはトゥクトゥクに乗った。残りのスポーツドリンクは車内ですぐに飲みきった。
 
 「サガインは終わりだ。次はミングンに行こう。」
 
 僕はオーケーと伝えた。来た道とは異なる北側の下り坂をゆくと、熱いが吹き込んでくる風が気持ちよかった。
 
 だが、北側の道は険しかった。道幅は狭いし、勾配はキツいし、道脇はゴミが大量に捨てられていた。あまり地図にも詳しく載っていないのかもしれない。途中、チットコーでも道順がわからなくなって、徒歩でゆく老齢の仏僧に道を訊いていた。
 

 それから先もゴミの山を通過してゆくルートだった。ミャンマーは貧困と衛生上の問題があると聞いていたから納得はしたが、寺院の立ち並ぶ神聖な地域でも構わずこういう状態になってしまうのは残念ではある。
 
 ここからミングンまでの道のりはたっぷり1時間ある。森林地帯や沿岸のアップダウンを繰り返し、小さな村や集落をいくつも通過してゆく。僕はしばらく歩かなくても良い時間ができたので、思わずまどろんだ。
 

 たまに衝撃で叩き起こされるとチットコーとの小さな会話を楽しんだ。家族のことや、ミャンマーや日本の生活のこと。
 
 中でも特筆すべきなのは、彼もそうだが、ミャンマーの男性が口を染めている伝統的な化粧のことだった。
 
 「君もそうだけど、ミャンマーの男性は口を赤く化粧するんだね。とても独特だね。」
 
 「化粧? タナカのことか? 黄色いやつ。」
 
 「いや、赤いやつで、いつも男性は口の中が赤いよね。あれは伝統的な化粧でしょ?」
 
 「ああ、これか。これは化粧ではないよ。これは噛みタバコみたいなもので、眠くならないんだよ。ここに入っている。」
 
 ああそうなのかと予想と全く違う答えだったので驚いたが、チットコーの手元にあるプラスチックのケースの中に白い粉のようなものにまみれた葉っぱが見えた。
 
 「その葉っぱを噛むと、口が赤くなるのかい?」
 
 「そう。中にあるものがそうなる。みんな運転するとき、家から持ってくる。」
 
 原理はよくわからなかったが、眠気覚ましの噛みタバコであることは間違いなさそうだ。時たまチットコーはトゥクトゥクから外に向かって唾を吐くが、それをよく見ると赤かった。そして彼は次の葉っぱをケースから取り出して口にもっていった。
 
 そのうち、心なしか日差しが和らいでいる気がした。スマホを見ると3時半だった。暑さは大して変わっていないかもしれないが、日差しの傾きと色合いが、攻撃的ではなくなっていた。そして、地図ではミングンはもうすぐらしい。
 
 「そろそろミングンだ。先に観光のお金を払うよ。」
 
 ミングンの地域に入ると、道路脇に逸れたところでいくらかの料金を払った。そこから道路を挟んで左側を見やると、両側の巨木の間に、石造りの巨大な遺跡が見えた。
 
 ミングンはビルマ王が描いた壮大な寺院建造プランだったが、途中で立ち消えとなり、今は遺跡として旅行客が訪れている。本堂は遺跡としても50mの高さがあり周囲のどこからでも見ることができるランドマークであるが、もし王の在位中に完成していたら、全高150mになっていたというから、その規模は圧巻だ。
 
 「先に奥の寺に言って、そこからミングンの遺跡まで戻ってこよう。」
 
 チットコーがそういうので、ミングンはこれ以外にもいくつか目玉があるようだ。僕は言われるがままオーケーと応えた。
 
 
「シンピューメ・パゴダ (Hsinbyume Pagoda)」

 トゥクトゥクはそこから3分も行くと、そこには均整のとれた左右対称の、地図上では円形の寺院が見えてきた。


 
 僕をここで降ろすと、チットコーはまずはここを見てから次へ行こうと言う。僕がトゥクトゥクを降ると、その瞬間から痩せた子供達が寄ってたかってきた。悪い予感がした。
 
 入り口までに何度も花を買ってとかポストカードはいらないかなど激しい売込みに遭った。ここでの過ちは、そこで花束を買ったことだ。そのせいで、この人間は言えば買ってくれると想像されてしまった。
 

 だから、サンダルを脱ぐと女性がそれを持って、大切に守っていますから、と言ってきたり、さらに花や飲み物やあらゆるものの営業対象になったりしてしまった。
 
 そういうのは要らないからと笑顔で丁寧に伝えていたのも悪かったかもしれない。いつの間にか、僕の周りには5、6人の子供達がついてくるようになってしまった。
 
 中でも二人の青年が現れて、ここが写真スポットだよとか、本堂への入り口はこっちだ、仏像はこっちだと言って、ついてきてくれと言いだした。彼らは、僕がどこから来たとか、日本に行ってみたいとか、会話を途切らせない腕を持っていて、放っておいてくれと言わずに話を続けてしまったのがいけなかったのかもしれない。
 

 写真スポットは興味無いし、とにかく本堂で仏様にお参りすることだけを目的としていたから、その導線をフォローしていったわけだが、やはり、最終的に青年二人はガイド料金を要求してきた。そう言われたところで、僕は反発し、断った。
 
 値段としては200円くらいの、たいしたことの無い金額だったと思うが、僕が頼んだわけでも無いし、こうやって子供達が旅行客を狙って、間違ったやり方でお金を稼がなければいけない社会環境を卑しく感じた。子供達が悪いのでは無く、大人達や、社会自体が未成熟なのだ。
 

 本堂で仏様を拝んでから、僕は子供達にはすまないねと断り続け、寺院を足早に立ち去った。チットコーはトゥクトゥクを停車したところの道向かいにある飲食店でつまみを食べていた。
 
 僕はそのことに気づいていたが、その店と隣の店の間にたむろした大人達のところへ行って、寺院の方からまだついてきた子供達を指差して、君らの子供達かと訊ねた。彼らは笑顔で慎ましく、イエスと答えたが、僕はあえて、子供達をああやって働かせるのはどうかと伝えた。あまり英語がわからないのだろう、大人達は困惑した表情をしていた。
 
 僕は立ち去った。そしてトゥクトゥクまで歩いて、チットコーを呼び寄せ、次の場所へ行こうと伝えた。チットコーは無言でエンジンをスタートさせてトゥクトゥクを発進させた。
 
 後から聞いたところでは雨季を前にした猛暑の時期は学校が休みになるから、子供達はこうしてバイトのような形で生活費を稼ぐという。育ち盛りの子供達が勉強や遊びやスポートに没頭できない不幸たるや、筆舌に尽くし難い。
 
 僕らは次に、世界最大級の鐘の手前で停車した。チットコー曰く、ここからずっと横に歩いてゆけば、ミングンの遺跡まですぐだ。そして、遺跡の広場の入口で待っていると言った。
 
 
「ミングンの鐘 (Mingun Bell)」

 僕は了解した旨を伝えて、鐘のほうに歩み寄った。鐘を言えば母校があるフィラデルフィアのリバティベルを思い出したが、近づいてみると、そのスケールたるや、リバティベルは鈴に成り下がってしまうほどだ。世界で二番目に大きいという。
 

 

 内部に入ると中は建物の屋根くらいの高さがあり、訪問者による無数の落書きがあった。製造や経緯には色々な歴史がありそうだが、今日も長い日になりつつあって、あまり思考が追いついてこない感触があった。
 

 ミングンの遺跡に向かって表通りに並行して歩いて行くと、次により新しい寺が見えた。
 
 サンダルを脱いで入場すると、中にはつい数年前まで活躍していた影響力のあるミャンマーの仏僧の像と逸話が書かれたディスプレイなどがあった。
 

 入口まで戻ると、サンダルがなくなっている。すると数メートル離れたところから左腕の無い少女が歩み寄ってきて、笑顔で、サンダルを保管していましたと言うと、今度はサンダルを僕の前において、右手のひらで何かをせがんだ。お金である。僕は何も言わず笑顔で2,000チャットを渡した。
 
 少女は笑顔になり、僕が立ち去ろうと後ろを向くと、謝謝(シェーシェー)と言った。そこで様々な考えが巡ったが、あえて振り返らなかった。
 
 それから先に男性が立っていて、わりとこなれた英語で娘に優しくしてくれてありがとうと言ってきた。
 
 僕は、人を見た目で判断したり、固定観念で発言したりしないことをお勧めしますよと伝えると、男性は困惑した表情をしていた。内心、大人気なかったかと後で反省した。
 
 頭がぼうっとしてくる感覚に陥っていたが、ついに向こう側にミングンの遺跡が見えてきたら、少し元気が出てきた。たかが、マンダレーですべきことみたいな安直な下調べでヒットした郊外の観光スポットに過ぎないが、前日にチットコーを雇うのを決定付けたのは、ルートに、ここが入っていたからとも言える。
 

 そして40℃の猛暑の中、朝から冷房のない場所を転々としてきた身としては、目標だったミングンの遺跡にたどり着いたことにはある程度の達成感があった。
 
 
「ミングン・パゴダ (Pahtodawgyi Pagoda)」
 
 歩み寄るにつれてその雄大なスケール感を増してゆく姿に感動しながら、僕は当時のビルマ王がもしこれを完成させていたら、仏教国のアジア諸国にとっても、類のない金字塔になっていたことだろうと妄想していた。
 

 

 

 遺跡の正面の中央部分には、重厚な階層を登ったところに、それでも立派な本堂が遺跡内に設けられていた。中に入ると、まるで洞窟や鍾乳洞のような規模の天井がせり上がり、頭上から涼しげな空気をもたらしていた。
 
 僕はしばらく天井を見上げてから、正面の仏像に向かって正座をして、ゆっくりと手を合わせた。
 

 僕は本堂から出て、サンダルを履いてから、正面に拡がる空間の規模に、また驚かされた。上から見ると、さっき通ってきた道を挟んで向こう側に敷地が伸びていて、何やら遺跡の部分が見えている。
 
 そして、手前の広場の左右には巨大な菩提樹がまるで門番のようにミングンへの道筋を引き締めていた。僕は吸い寄せられるように菩提樹の下に歩み寄って、幹に手を触れて目を閉じた。それから地面に落ちている菩提樹のタネをいくつか拾ってポケットに入れた。
 

 表通りに向かって歩くと、チットコーが遠くで待っていた。僕は道の向こう側を見たいとジェスチャーを送ると、彼は手をあげて承諾するサインを送ってきた。
 

 通りの向こう側はつまり本来のミングンの入口であり、道は川まで続いていた。マンダレーから船を使って川から来訪したとすると、そこで出迎えを受ける。確かにそれを裏付けるものが具体的に存在した。なんと、先ほど見えていた遺跡の部分のようなものは、今まで見たことのないサイズの一対の獅子の石像が崩れてしまったものだった。パゴダが150mの高さになるのだから、もちろん獅子も比例して大きいものになる。
 

 

 僕は圧倒されたまま、後ずさりした。周囲を見渡すと、はじめミングンへの入口であったはずの神聖な場所は、掘っ立て小屋のような壁のない民家がいくつも立ち並ぶ集落と化していて、ゴミの山や洗濯物の干し方、やせ細った子供達の様子からして、かなりの貧困地域だと思われた。
 
 僕は来た道をトゥクトゥクまで戻って乗り込み、チットコーに話しかけた。
 
 「ありがとう。ミングンはとても印象に残ったよ。次は夕陽を見るのだったね。」
 
 彼は頷いて、エンジンをかけると、復路を急いだ。
 
 途中、またしてもひどい枯渇感に襲われ、どこでも良いから途中の商店に寄ってもらい水のペットボトルを買った。
 
 帰り道は来た道とは違い、イラワジ河に沿って目の前に拡がる雄大な景色に黄昏時の穏やかな黄金の色彩がにじんで、極めて耽美的だった。復路はサガインの丘を通過しない分、トゥクトゥクも気持ちよく滑走していた。
 

 

 再び大橋を渡って、いよいよアマラプーラに戻ってきた。目指すはアンティークショップの側の湖だ。
 
 「次はウーベイン橋だよ。6時からちょうどいい。夕焼け。日没。」
 
 僕は楽しみだと伝えて、湖の向こう岸からだろうか、吹き込んでくる風を真っ向から受けて爽快だった。
 
 やがて湖の脇道へと至って、次第に交通量が増し、前方に建物や人々が集まる様子が見えてくると、いよいよ目的地に到着した。チットコーは手前の駐車場にトゥクトゥクを停めて言った。
 
 
「ウーベイン橋 (U Bein Bridge)」
 
 「この向こうに行ったところから橋を渡れる。ここにいるから。時間たくさんあるから、テイク・イット・イージー。川沿いのレストランで休憩しなよ。橋を見るならここからが景色良いから。テイク・イット・イージー。」
 
 「OKありがとう。時間はあるんだね。じゃあ行ってくるよ。テイク・イット・イージー。」
 

 あまり理由もわからないまま、僕はチットコーの言葉を復唱して、人混みに消えていった。先を進むと、橋に差し掛かる手前までは流石の観光地といった風な土産店やマンゴーとかジュース類を売っている商人たちがひしめき合っていた。
 
 イナゴなどのつまみを売っている女性は白人達の格好の写真の被写体だった。
 

 僕は時計を見て、昨日のマンダレーの丘の時間帯が近づいていることを察知して、周りには目もくれず、先を急いだ。
 

 橋は欄干や支柱の木材を除けば、あとは竹を組んだだけの簡素なもので、隙間だらけなものだから、下の湖水や水草が透けて見えていた。ところどころ足がはまってしまいそうな隙間もあり、注意が必要だった。
 
 行き交う人々は思い思いの場所で写真を撮ったり、自撮りをするためにセルフィー棒を振りかざしたりしていた。
 
 夕陽とはいえども、水上にいるからか、熱気に湿気を含んだ暑さに、再び汗が吹き出してきた。持ってきた水分をこまめに摂りながら前進する。
 
 ウーベイン橋の中央あたりには小屋があり休めるようになっているが、そこで橋が曲がるようなので、背後にある夕陽を良い角度で撮ることは難しいなと判断して、僕は、一度は小屋を超えたところまで進んではいたが引き返して、小屋の手前の南側の欄干のスポットに陣取った。
 

 夕陽がやってきた。夕陽の橙色に反応して、空が色相の群青色から紫色に変化してゆく。前日の経験から、ミャンマーは地表付近に厚い大気の層が蓄積して太陽光を乱反射あるいは吸収してしまうため、シャッターチャンスはもっと前に訪れるはずだ。
 

 

 

 太陽の球の部分がくっきりと見える頃がちょうど撮り時なのだ。僕はOM-Dミラーレス・カメラを構えて、30秒くらいのインターバルで10枚ほど撮影した。その後iPhoneでも数枚撮って、帰り道には歩きながら何回か動画も撮影した。
 
 その瞬間、仏僧の集団とすれ違って、僕ははっとした。
 

 どこかで見たことのある情景だった。周りに何もない場所で、木の橋の上で人と人とが交差するシーン。あの映画ではないだろうか。僕は道を後から来る人たちに譲って、欄干に水を置いて、Googleで調べた。
 
 やはり。昔観た、市川崑の映画『ビルマの竪琴』の有名なシーンはウーベイン橋で撮影されたのだった。
 
 ビルマ戦線の激しさと暴力の残酷さに心を挫かれ、自責の念を募らせた主人公・水島は部隊から逃走し、ビルマの地で僧侶となって生きてゆく。ある日、托鉢中の水島が橋の上で元所属していた部隊の面々と出くわしてしまい、気づかれてしまうシーンだ。名前を呼ばれて動揺する様子がとても印象的だ。
 
 僕は橋を戻りきってから、チットコーが言うように橋の見える店に入り、橋を遠くからじっと眺めた。他に客もいないし、まだ食欲があるわけではなかったので、コーラだけを注文した。
 

 

 とっぷり日が暮れた頃、駐車場に戻るとチットコーがスマホを見ていた。僕は今戻ったと伝えた。
 
 「オーケー。帰ろう。」
 
 僕は頷いて乗車して、日暮れ後の気持ち良い空気を身体中に浴びた。日が暮れてもまだ気温が35℃だったが、断然過ごしやすかった。
 
 市内に入ると、小さい街ではあるが、あちこち反射する街明かりや時たまのぞかせるネオンサインをひっくるめて、都会の喧騒のようなものが懐かしく、なぜか安心感を得ることができた。
 

 チットコーは最後に、ちょうど帰り道の途中にあるもう一つのマンダレーの見所、シャカムニ・パゴダの前で小停止して、説明してくれた。今夜はもう閉まっているが、いつかマンダレーに来たら、ここに来てみると良いと勧めてくれた。僕はそうするよ、ありがとうと伝えた。
 

 それからホテルに戻る間、僕は今日のことを色々と考えていた。ミャンマーは純粋なのだと思った。基本的には善意しかないのではないか。あらゆるものは性善説に基づいている。売ることはあっても貪ることはない。もらうことはあっても盗むことはない。僕はそう結論づけていた。
 
 「チットコー。今日は助かったよ。ありがとう。それと、値切って悪かった。」
 
 「オーケー。いいんだよ。気にするなよ。」
 
 「僕は明日、バガンに向かうんだ。君は朝、忙しいかい?できれば君にバス停まで送って欲しい。」
 
 「オーケー。いいよ。バスは何時?」
 
 僕はちょっと待ってと伝えて、iPhoneを見て予約情報を引っ張り出した。
 
 「出発は10時半のようだね。OKエクスプレスという運行会社の前から出る。」
 
 「オーケーエクスプレス。知っているよゼージョー市場の近く。」
 
 「良かった、知っているんだね頼めるかい?」
 
 「オーケー。じゃあさっきのパゴダに寄って行こう。案内する。8時にホテルに迎えに行くよ。」
 
 「わかった、ありがとう。」
 
 その頃、ちょうどホテルに到着した。
 
 僕は40,000チャットを手渡して、握手した。そして、明日もよろしくと伝えた。
 
 彼が運転席に乗り込んだときに念のため明日の値段を聞いたが、彼は、いくらでもいいよ、気にするなと言い残して颯爽と夜の闇に消えていった。
 
 僕は正直、何て気持ちの良い男だと思った。
 
 そして対照的に、自分の変に神経質なところやプライドとも言い難い、醜い感情が恥ずかしく思えてきた。しかし、自分は自分だ。
 
 すると急に腹が減ってきた。僕はホテルに駆け込むと、フロントで鍵を受け取った。
 
 十二時間ぶりの冷房の匂いが異質なものに思えた。突然の冷気を浴びた体じゅうの汗腺が音を立てて閉まってゆく気がした。
 
 自室に入って顔を洗い、自分の顔を見つめた。今日一日で頬のあたりが日焼けして赤らんでいた。
 
 それから僕はホテルの裏にあるBBQレストランへと歩いて向かった。  
 

 
 (つづく)

 
 
 ↓チットコーが撮ってくれた写真。