第1日目 2020年11月15日(日)
朝5:30起床。いつものようにシリアルとパンを食べてシャワーを浴びた。
出発は6時半になろうかという頃で、成田空港へはいつものように鉄道を利用した。
空港第一ビル駅で京成スカイライナーから降りたのは8時を回ったところだった。同じ号車には他に一人しかいなかった。
Peachのブースでチェックインをして、あらかじめ1800円を追加で支払っておいた荷物を預けた。初めから重さが17kgあったため、HEAVYという下げ札を付けられた。
各地の山の天気を知らせる「天気とくらす」やiPhoneで天気を調べると、行先である屋久島は鹿児島市よりも気温が10℃も低いようで、東京都比べても5℃も低いようだった。
南国のイメージがあったから意外だったわけだが、そのため多めに防寒具を詰め込んできていたのだ。
鹿児島行きの便も空いていた。三人席には自分一人しかいない。特に席の指定はしていなかったが、窓側をアサインされた。
久しぶりの空の旅は快適だった。何より景色が最高だった。
東京都の空撮や、富士山、日本アルプスも見えた。特に、最近登ったばかりの南アルプスの甲斐駒ヶ岳を上空から見られたのは幸運だった。



九州に到達すると、霧島連峰を右手に見ながら、鹿児島空港には11時頃に着陸した。

屋久島までのJALのプロペラ便は3時半に離陸するため、しばらく時間がある。
僕は案内所に行ってみたが人が待っていたので、その時目に入った「バス乗り場」の表示に誘われて、外に出た。
鹿児島は夏日だった。11月も半ばだというのに気温は25℃あった。着ていたPatagoniaのプライマロフトのレイヤーを脱いでロングTシャツになった。
バスの行き先表を見てみると、成田で見ていた温泉地までのバスがあと3分ほどで出ることになっている。復路の時刻が書かれていなかったので、すぐに窓口で尋ねてみた。行きのバスが1時間に1本も無いことから、帰りが案じられた。
現地からは1時20分のバスがある。これを逃すと次は飛行機が飛び去った後の出発となる。
僕はすぐに決断して運賃を支払ってバスのチケットを購入した。
小走りでバスに駆け寄り、大きなダッフルバッグを持ち上げ、バスに乗り込むや否や、バスは走り出した。
バスは霧島温泉郷行きだが、それよりもずいぶん手前の塩浸温泉という場所で降りる。
空港から滑走路の横を通って北側に向かい、右に折れるとバスは突然山林に突入し、登り下りの山道を突き進んだ。たった5分でここまで風景が変わるというのは珍しい。
それから10分も行くと、バスは雨降川沿いに渓流を登っていくように10分ほどで目的地に到着した。

ここ塩浸温泉は坂本龍馬がおりょうとの新婚旅行で訪れた場所らしい。
二人の銅像を眺めて写真を撮ってから、僕は受付へ行き日帰り温泉に入りたい旨を伝えた。

受付の初老の女性が転がしているダッフルバッグに気付いて、預かっておいてくれると言ってくれた。
温泉は鉄鋼泉だった。小さい頃に親戚によく連れられて行っていた長野県の塩尻峠の麓になる田川浦温泉を思い出した。
中には若い男性が一人いるだけの寂れた湯だった。僕は充分に温まってから上がった。しかし鹿児島は暑いので、温泉から出ると汗がなかなか引かなかった。
実はこの近くには隠し湯がある。事前に調べていたのはそっちのほうで、Google Map上ではここから歩いて少しありそうだ。
僕は荷物を預けたまま、リュックのみを背負って車道を歩いてみた。
500mほど行くと、怪しい入り口のようなものがあった。そこから一気に川まで急な泥の坂道が続いているようだ。

恐る恐る下がってゆくと、そこは竹林だった。左奥のほうに道が延びている。
その先に進んでみると、遠くに湯気が見える。きっと温泉だ。
少し視界が拓けたところに出ると、岩の地面からお湯がボコボコと湧き出ていて、川のほうに流れているのが見えた。

その奥には天然の湯船が見えた。
僕は写真を撮りながら、下に降りてみると、そこには椅子がった。どうやら、ここで着替えて入るようにということらしい。

周りには誰もいない。周囲は竹林で視界が遮られている。車道ははるか上の方だから見られる心配はない。
僕はさっと衣類を脱いで湯船に入った。二つの湯船のうち、源泉に近い方はかなり熱かった。
お湯を飲んでみると、相当硬質なのがわかった。鉄っぽい味はせず、旨味のような丸みがかった風味が口に広がった。

まだ体は火照っていたため、僕は5分も入ったら熱くなってしまい、出ることにした。
川沿いに湧き出る天然の温泉は大分県の日田の温泉以来かもしれない。なかなか貴重な体験だった。
着替えてから塩浸温泉へ戻り、荷物を受け取ってから、御礼を述べた。
それからバス停に行くと、10分も待てばちょうど空港行きのバスがやってきた。
空港に着くと、まだ1時間も待たなくてはならないため、空港内の山形屋でカタ焼きそばを食べて昼食とした。
時刻は14時を過ぎていて、かなり腹が減っていたので余計に美味しく感じた。
屋久島行きのJAL便は満席だった。

Go To トラベルの影響か、屋久島はこの季節でも人気らしい。学生のような若いグループが多かった。
搭乗してから30分も待たされて、その間に居眠りした。
離陸してから30分で屋久島空港に着陸した。やはり到着はそのまま30分遅れだ。

便からは歩いて空港内に入った。それから、フォークリフトのような貨物車で数回に分けて荷物が運ばれてくるので預けた荷物を受け取るまで時間がかかった
その間に売店でコッヘル用のPrimusのガスを買った。モンベルなら337円で売っているものが、570円もした。しかし買わないという選択肢は無い。
ほとんどの乗客はガイドやツアーのバスに乗って立ち去って行った。
僕ともう一人ほどのみが、地元のバス停で待った。
空港から安房港行きのバスに17時13分ほどに乗り込む。屋久島はタクシーがハイヤーなので迎車も含めて高価な乗り物だ。
安房まではバスで20分だ。
だが地図を見ると、予約していたニコニコレンタカーの場所はその一つ手前の停留所、仲医院で降りると良さそうだ。
18時ギリギリ手間でピンク色の軽自動車のレンタカーを借りて、僕はすぐにスーパーとアウトドア用品店へ行った。
スーパーでは水や明日の朝の食料、そしてカップヌードルなどを買った。
アウトドア用品店では、プラスチックのコーヒーマグを買った。なんと、家に置いてきてしまったのだ。
それから「民宿たけんこ」にチェックインした。宿の見た目は普通の一軒家だった。風呂とトイレは共同だ。
部屋はなかなか広く過ごしやすそうだ。

そして、Go To トラベルの1000円クーポンを受け取った。使えるのは今日と明日しかない。
僕は荷物を置くとすぐに車に乗り込み、夕食の場所を探した。
ヤクシカの焼肉を食べられる所があるので、行ってみることにした。
「焼肉れんが屋」はなかなか盛況だった。予約がなかったので5分ほど待たされたが、畳の大広間の一番奥の角に一人用のヤクスギのテーブルを用意してくれた。

ヤクシカなどいくつか取り混ぜた焼肉セットが2800円ほどだった。
ヤクシカは意外なことに全く獣っぽい臭みがなく、肉は極めて柔らかかった。これは美味だ。もっと食べたくなる。

食べ終わる頃には周りに他の客はいなくなっていた。
支払いの際に1000円のクーポンを使った。
まだスーパーは21時までやっているようなので、帰りにビールとつまみを買って宿に帰って、晩酌した。
歯を磨きに出ると、さっき焼肉屋にいた学生が洗面所にいたので話しかけた。
明日、縄文杉まで行くらしい。僕はガイド無しで山に入り、宮之浦岳のあたりでテント泊の予定であることを伝えると驚いていた。
それから登山の準備をして就寝した。
二日目: 11月16日(月)
朝6時起床。
あれは明け方4時くらいだったろうか。物音が聞こえていたので、同じ宿に泊まっていた人らが出発したらしい。
バスの時刻があるのか、それともガイドの車が迎えにきたのか。
僕は昨夜買ったパンなどを口に頬張ってカーボローディングしながらゆっくりと支度をした。
7時。宿の女将にお礼を行ってチェックアウトした。
軽自動車で山に向かう。
軽快な走りは初めは良いが、いざ山の斜面に入るとパワーが足りず不安になる。
山道をゆくと右側に虹が見えたので車を停めて写真を撮った。

そのすぐ後には、ヤクサルとヤクシカも現れた。
ヤクサルは道の真ん中で家族で毛繕いをしていて、全く人間のことを気にしていない。


ヤクスギランドに着いたのは7時半だった。
標識には駐車場と書かれているが、周りには一台も無いから、どこに停めて良いものかわからず行ったり来たりしてしまった。
そんな状態なので、ヤクスギランドの入り口からは少し車道を上ったところに車を置いた。

ザックの中身をもう一度開けてみて、忘れたものは無いか最終確認する。
ヤクスギランド の入り口の向かい側にトイレのマークが見えたので念のため用を足しておく。
ヤクスギランドの受付の窓は閉まったままだったので、登山届を提出することができなかった。すぐ横にある協力金のポストに1000円を入れて入場した。時刻は8時ちょっと前だった。
目的とする宮之浦岳までは本来は淀川登山口からが最適だが、もっとチャレンジングなコースを選んだのだ。
ヤクスギランドは観光地だが、その北端には花之江河まで10kmほど続く登山道がある。あまり使う人はいないが、静かな屋久島の深い森を堪能できるらしい。
ヤクスギランドでは、千年杉、仏陀杉、母子杉、三根杉、天柱杉など主要な屋久杉を堪能することができる。






他にも、美しい渓流を眼下に見下ろせるスポットがいくつかあり、単に観光で訪れても充分満足できるだろう。

僕もじつはここで立派な屋久杉に見惚れてしまい、1時間ほどのんびり散策してしまった。
ふと時計を見て、相当な時間の経過に焦り、ルートへ戻って登山道へ入った。

登山道に入るや否や、急登が始まり、今まできれいに整備されていた木道や踏み固められた道は皆無となり、ぬかるんだ道が続いた。
登っては降り、木の根に足を滑らせながら、幾度もアップダウンを繰り返す。

次第に暑さと登山活動で体が熱くなってきた。いくつもの渓谷や深く根を張ったヤクスギの根元を跨いでいるうちに、すぐに汗びっしょりになった。
もちろんアウターレイヤーは来ていないが、長袖のアクティブレイヤーを脱いでUnder Armorのコンプレッションのレイヤーのみになった。
1時間、2時間が経過したが、いっこうに標高が上がらない。登ってはまた下りを繰り返しているからだ。

他に登山者は一切いない。
たまに出会すのはヤクサルとヤクシカだけだ。しかも彼らには警戒されているらしく、すぐに草が擦れる音を立てて逃げて行ってしまう。
10時過ぎ、大和杉に至った。
その後、一際広い渓流を越える場所に出た。周りは苔に包まれた静かな森だ。

川の底は巨大な一枚岩のようだ。上を歩いても滑ることはない。おそらく花崗岩だ。
僕はここで届いたばかりのiPhone 12 miniで写真を撮った。まだ背中のNikon D810は取り出していない。時計をみるとすでに11時近い。
これまでゆっくりと歩き過ぎた。石塚小屋まではまだ3kmほどある。
僕は急いで斜面を駆け上がった。

しかし頭のどこかに、先ほどの渓流の美しさが余韻として残っていた。もっと写真を撮っておかなくて良いものか。この花之江河のルートは二度と来ることがあるだろうか。
普通の登山者には厳しいルートだ。長く、湿っていて滑り、登って下っての繰り返しはメンタルにくる。
僕は急停止して、ザックを地面に置いて、D810を取り出して、今来た道を駆け戻った。
戻ってみると、500mはすでに来てしまっていたようだ。ザックがないので足取りは軽かった。
渓流に着いてから、僕は真剣にシャッターを押した。広角レンズにしていたから広く写り込ませることができた。

そして、ついでにiPhone 12でパノラマ写真を撮っておいた。

それからザックの場所まで駆け戻って、再び登山道を前進した。
石塚小屋に着いたのは12:45だった。
思ったよりもずいぶん時間がかかった。
それにしても、屋久島には水場が至る所にある。

登山口から一切水を持って来ていなくても、間違いなく途中で汲み上げることができる。

さて石塚小屋に着いたのだ。
ヤクスギランドを出た時は、花之江河まで8kmとなっていたが、すでに石塚小屋まで9kmも歩いている。
ここから先、花之江河まで1.8kmある。もしかして計測は直線距離なのだろうか。

僕はプロテインバーのようなものを口に頬張り、すぐさま出発して、半ば走るようなスピードで歩いた。


花之江河まで来ると、2、3パーティほどの登山客に出会った。
皆、淀川登山口から3kmほど歩いてきただけだ。彼らはコッヘルなどで湯を沸かしたり、弁当を食べたりしていた。

僕にはそんな余裕はない。まだこれから宮之浦岳を目指さねばならない。山頂までは3.8kmとある。
先に進む。黒味岳との分岐を越えると、森から上に出た。

ヤクスギなどの森林限界を超えたということになるだろう。
一気に視界が開けると山々が見渡せる景色が訪れて、気分が一気に晴れた。

所々に岩が露出していて、まるで日本ではないように思えた。屋久島を形成する花崗岩が地表に出ているのだ。というより、地表そのものが花崗岩なのだ。

宮之浦岳まで2.6kmという標識が出てくると、そこに今日目指している新高塚小屋6.1kmと出ている。
今はもう14時だ。
16時を過ぎれば薄暗くなってくる今の時期において、時間がかなりタイトだ。僕は先を急いだ。
登山道を歩いていると、目の前に何度も山頂が見えてくる。

もちろん宮之浦岳ではないことは、距離からしてわかるのだが、そろそろ山頂だろうと思いたくんるほど、今朝からずいぶん長いこと歩いてきた。
宮之浦岳まで1kmという標識が見えると、後ろを振り返って見えてくる景色に、相当数の峠を越えてきた感じがした。
くりお岳を通過した。標高も1800mまで来た。
登山道には他に誰もいない。

日が西日に傾き、あたりは黄色く染まってきていた。

そして、ついに登頂した。
標高1936mの山頂である。
日本百名山最南端の一座にして、九州最高峰の宮之浦岳である。

山頂からの眺めは素晴らしかった。目の前には峻険な永田岳が見えていた。
あちらのルートも登り甲斐があるらしい。

360度の眺望は何ものにも替えがたい美しさと達成感を与えてくれた。


僕は空腹を覚えて、ザックから素早くコッヘルを取り出し、水を注いでお湯を沸かした。
持ってきたのはいつものカップヌードルだ。
軽いわりにエネルギー豊富だし、中でもカレー味が最もカロリーが高い。
だが安房のスーパーにはカレー味が無かったため、普通の醤油味を仕入れてきたのだった。

山頂は穏やかだった。
少し風はあったし、夕暮れが近いため冷たい空気が流れていく感じもあったが、登山中ずっと暑かったから、むしろ心地よく思えた。
僕はゆっくりと食事を済ませてお菓子をかじった。
そろそろ片付けて逆側に下山して今日の目的地であるテント場を目指そうとしていたとき、さっき花之江河にいた一人の男性が山頂に登ってきた。
僕は軽く話をした。
しかしちょうど時計はちょうど16時を指していたので、僕はお先にと伝えて新高塚小屋方面へ下っていった。

小屋まではまだ3.5kmの道のりがあるが、比較的緩やかな下り坂なため、ある程度のスピードで歩くことができた。
夕日を背中に浴びながら、背の高い笹の高原を歩くのは気持ちよかった。

しかし16:15、16:30と刻々とタイムリミットは迫ってきたいた。
僕は完全に集中した状態で、登山道を見つめて歩いていた。時たま頭を上げて夕日の暖色を浴びて移り変わる景色を堪能した。
その時、一瞬、道のすぐ脇に鹿の大きなマスクが左側に見えた気がした。
僕は集中していたからか、ハロウィンの時期がちょうど少し前だったから、ハロウィンのマスクがあるな、と別段変わったこともないと認識していた。
いや、おかしい。
僕はもう一度登山道の左横をみると、大きなヤクシカの顔がすぐそこにあった。
その鹿は僕のじっと見ていて、僕も立ち止まると、目が会った。
ヤクシカが瞬きするので、僕は本物だと確信して、おぉと声を出してしまった。
するとヤクシカは一目散に笹の藪の中を逃げて行った。
立派なツノをしたオスのヤクシカだった。

それから先は、程なくして子供だと思われるヤクシカ二頭が現れ、登山道を僕より先に歩いていった。

あまり警戒してはいないようだったが、ある程度距離が近づくと、ヤクシカたちは必ず一定の距離を保っていた。

先に進むと少し登りがあった。

上までたどり着くと、平石岩屋と書かれたサインがあった。

さらに先を急ぐと、左側に切り立った崖が現れ、その向こうには丸い斜面を持った、花崗岩の巨石が見えた。

17時。新高塚小屋まであと500mまで迫ってきた。
後ろを振り返ると宮之浦岳が背後から夕日を浴びて神々しく見えた。

17:15、僕はついに新高塚小屋に到着した。

テント場には2張の先客がいた。
そのすぐ脇に水場があり、綺麗な水がチョロチョロと流れている。

この分だと小屋も人は少ないかもしれないと思い、思い切って小屋に入ってみた。
中はすでに薄暗い。
17時を過ぎると毎分のようにみるみる暗くなってゆく。
何か食べ物をすする音が聞こえて、奥からヘッドライトのビーム光が忙しなく動いている。
中には5人ほどの中年男性のパーティがいたくらいで、広いスペースが空いている。
僕は挨拶をして、奥が空いているか聞くと、リーダーのような年長の男性がどうぞどうぞと言ってくれた。
話を聞くと、関西のほうから来た登山者のグループで、彼は地元のガイドだった。
しかし、関西弁のアクセントが消し切れていないところをみると、もしかすると関西から移住してきたのかもしれない。
僕は汗びっしょりになったミドルレイヤーを脱いでハンガーにかけて少しでも干そうと考えた。
アンダーレイヤーも乾かしたいので、少し肌寒いが体温を使って乾かそうと思い、しばらく半袖でいることにした。
再びコッヘルで湯を沸かし、温かいラテを飲んだ。

それからピザパンを食べて、あとはナッツをちびちびつまんでいるだけで空腹は満たされた。昼食が遅かったこともある。
18時には周りが静まってきたので、僕はスマフォとSuuntoの時計の充電をしておくことにした。
GPSを常にONにしているから時計のバッテリーはあまりもたない。登山の時には12時間ほどの行動になると残りのバッテリー残量が30%を切ってくる。
それにしてもiPhone 12 miniには参った。
小さいのは良いが、とにかく電池が全く長続きしない。
半日も使えば60%は無くなってしまう。今朝から使っていたため、すでに残量は20%まで減ってしまっていた。
僕はナッツを食べながら、フラスクにウイスキーを入れて持ってきたことを思い出し、くいと何回か飲んだ。食道を通って身体が温まってゆく。
小屋の向かい側の登山パーティはそろそろ就寝の時間らしい。
時計を見ると18:30だ。確かに寝息が聞こえてくるようになった。
僕は汗で濡れたミドルレイヤーを掛けていたハンガーを手前に寄せて、吊り下げていたランプの光が向こうに漏れないようにしてみた。
それから少しガイドの人と話した。
ヤクスギランドから新高塚小屋まで9時間足らずで来たというのは相当なものらしい。彼はてっきり僕が淀川登山口から来たと思っていたので、事実を知って驚いたという。
しかも、復路を戻るのではなく、荒川登山口のほうに降りて、レンタカーのあるヤクスギランドまで再び登り坂を6km歩いてゆくというのだから、前代未聞らしい。
彼も昔は海外の山にも遠征に出ていた本格派の登山家のようだ。
すると少し焼酎が余っているというので分けてくれた。コーヒーを飲んでいたカップに入れてもらった。
彼によると明日は雨らしいが、もしかすると縄文杉の辺りは晴れていることもあるので、朝は早めに出ると良いと教えてくれた。屋久島の山々は場所によって天候が随分変わるという。
19時になり、ガイドも寝るそうなので、そうなると残されるのは僕だけになる。
しばらくの間、明日に備えて僕は身体をストレッチした。
それから寝袋に入ると、いつの間にか意識が遠のいた。
(つづく)