第一回バンコク・アート・ビエンナーレ 第2稿 10月18日 シーパヤ地区:OP Placeにて、アピナン・ポーサヤーナン氏のツアーに参加。
第一回バンコク・アート・ビエンナーレのメイン会場の一つであるBACCバンコク・アート・センターから一度離れて、チャオプラヤ川沿いのシーパヤ地区の展示会場へ向かった。バンコクのスカイトレインBTSに乗り込んで、サパン・タクシン駅下車。そしてイスラム地区を北上し、OP Placeというアンティーク・ギャラリーの中へ。そして、アピナン・ポーサヤーナン氏が自ら先導するプレス向けのツアーに参加した。

はじめにフィリピンの女性アーティストでありコンテンポラリー・ダンサーの、エイサ・ジョクソン(Eisa Jocson)の「Becoming White」を見てみたい。ジョクソンは、白雪姫のダンスのコレオグラフィーを映したビデオ・ピース、資料のアーカイブ、悲しむダンサーの嘆きにも似た声を発するサウンド・インスタレーション、そして自らを白雪姫の蝋人形のように見立てた立体作品を展示している。

彼女によると、フィリピンの労働者はいわゆるサービス産業にあたる感情労働者として各国に移住していて、とりわけ香港では、ディズニーランドのキャラクターになり「幸福」を演出する役割を担っている。しかし、その現状はパフォーマーというよりは単なる労働者として日々のルーチンをリピートするだけのあまり重要ではない役が多く、例えばディズニーランドでは『ライオンキング』のシマウマ、『リトル・マーメイド』のサンゴ、『ターザン』の猿のようなものしか演ずることができないという。


続いて、チェンマイ大学の文化人類学の学士および修士課程を修めた異色のアーティスト、サマック・コーセム(Samak Kosem)は、タイとミャンマーの国境付近の政治問題における民族と宗教の役割を研究している。ビデオ、オブジェ、ノートなど資料、写真、そしてミクスト・メディアから成るビエンナーレの作品は、「Nonhuman Ethnography」シリーズの一貫で、タイの最南部の人新世(アントロポセン)の空間内の、人間と人以外の奇妙なつながりを視覚的に捉えた民族誌である。

インドネシアのアクティヴィストでありアーティストであるムルヨノ(Moelyono)は、パプアの学校に通う子どもたちのポートレートを、極端に写実的な表現で描き、その微細さは写真のクオリティに切迫している。これらの作品は純粋さと威厳を滲みださせ、楽園のファンタジーを思い起こさせるものではあるが、実際のところ、これらの絵画はパプアの学校で実施されているムルヨノ考案の美術教育の授業に則っており、ポートレートやランドスケープなど、実際の描写経験が、現在性と現在を描き出すことの働きに向けられている。

次の展示室へ移動すると、紙のようなものを挟み込んだ厚いプレキシガラスのオブジェが横にずらりと並ぶ作品が見えてきた。タイの若手作家ラッタポン・コーキアタークン(Latthapon Korkiatarkul)の「QUALITY: quality」という作品である。プレキシガラスを一つ一つよく見てみると、異なるサイズと異なる比率の長方形の紙が、それぞれ異なる色味を帯びていることがわかる。その横には円形の空洞があって、紙と同じではあるがより一層濃い色味のパウダーのようなものが閉じ込められている。

じつはこれらは世界の紙幣と、その表面の特殊インク、染料や顔料を削ぎ落としたものだ。ラッタポンの関心事は、経済的に価値のあるものと無価値のものの間に存在する緊張である。本作は、自然科学的には同じ物質であり質量保存をもってしても、紙幣の価値が低落してしまう様子を描き出し、かつては人々を魅了した貨幣に生まれる幸福の儚さのようなものを示唆しているのだろうか。
余談だが、本作品ははじめスポンサーでもある銀行に展示される予定だったが、貨幣の意図的な価値の下落や通貨の切り下げには罰則が課せられるため、ビエンナーレの事務局は作品を別の展示場へと移動することを余儀なくされた。このようなアートに対するリテラシーは、今後のバンコク・アート・ビエンナーレの世界的な地位を左右する重要な懸案の一つとなるだろう。
続いて、ドイツのジョシュア・ステフェンス(Joschua Steffens)の「Teen Spirit Island」2012 – 2015を見てみたい。ステフェンスはバトル系のゲーミングと、バーチャル空間におけるアナログ形式の暴力の美学化をテーマとしているアーティストである。本作は、ドイツのハノーヴァーにある小児精神病理学の施設が専門とする中毒症の治療、なかでもビデオ・ゲーム中毒の若者をモチーフとしている。彼は世界でも有数のユーザー数を誇る「リーグ・オブ・レジェンズ」をプレイする10人のプロ・ゲーマーの生活に密着し、Eスポーツの最も基本的かつ重要な、マウスをクリックするアクションのみを抽象し、ひたすら映し出している。

数年前から、欧米のコミック見本市やゲーム・ショーでは、すでに軍隊がドローンなどの操縦士としてプレイヤーたちをリクルートしている現状があるなか、 Eスポーツと社会との関係はこれからますます目が離せなくなってくる。
最後に、ベトナムのアーティスト三人組からなるアーティスト・ユニット、アートレイバー(Art Labor)の作品を見てみよう。彼らは、公共の文脈とローカリティを大切にしながら、あえてフォーマリズムではないオルタナティブで文化的な表現手法を用いることで知られている。
「Jrai Dew: a radicle room」と題された本作は、ベトナム中部の高原地帯に居住する民族「ジャライ」の宇宙的な考えをインスタレーションとして表現している。ジャライの哲学では、人の生は自然の循環の中に生じるメタモルフォーゼであり、死後、人は元々の姿である「雫」へと戻り、それは自然界に蒸発して非存在となり、次の存在のスタートとなるという。

こうした比喩的なコンテクストで、アート・レイバーは、人の存在が雫となって消えた三年後の状態を構想し、実際のその期間、彼らはベトナムのジャライたちのコミュニティと制作したドキュメンテーションやアーカイヴ、オブジェ、テキストなどを集めてインストールしている。

OP Houseではその他アーティストによる作品も公開されているが、筆者がプレスとして訪れた際には未だに設営の最中であり、取材することが叶わなかった。もしバンコクに旅行される予定がある方は、是非シーパヤ地域へ向かい、チャオプラヤ川沿いに北上し、展示会場を巡って見て欲しい。
次はラーマ5世の貿易時代に使われたコロニアル様式の建物の展示場に向かい、その後はいよいよ今回のビエンナーレの目玉でもある、ワット・ポーやワット・アルンなど仏教寺院に向かうことになる。こうした寺院でコンテンポラリー・アートが展示されるということはまさに快挙である。
(続く)