インド北東部紀行(第二話)「インパール からコヒマへ」

「2019年12月27日 インパールにて」
 
 夜中に何度も目覚め、寝返りをうった。宿のベッドのマットレスのあまりの薄さに寝心地が悪かったせいだ。
 
 薄く冷たいベッドに重い綿を集めて固めたような敷布団と掛け布団の組み合わせは、小学校に上がってから、長野県の田舎に寝泊まりした年末年始を思い出させた。
 
 朝7時の少し前、 イナオがトースト用の食パンを持って室内に入ってきた。予定時刻より少し早く、いきなりの登場だったから僕は虚をつかれた。
 
 僕は身体を洗ったばかりで、寒さに口を震わせていて、あまりうまく言葉が出てこなかった。なぜ「身体を洗った」という言い方にしているかというと、この宿にはシャワーはないからだ。浴室には便器と洗い場があり、洗い場には大きなバケツが置いてある。壁からは水道の蛇口が生えていて、天井の近くに給湯器が付いている。身体の汚れを落としたければ、まず湯沸かしをしてから水道の蛇口をお湯の方に切り替えて、バケツにお湯を溜めてから、それを身体に振りかけることしかできない。
 
 宿には暖房がないから、もちろん浴室の気温も低い。僕は寒さに凍えながら、みるみる冷えてゆくお湯を身体の一部にかけては石鹸で擦った。石鹸の泡立ちは極めて悪い。
 
 モレーの国境からインドに入って以来、僕は気候の変化のせいか喉と鼻に違和感を覚えていて、インパールの史跡を探求した昨日は特に体調が悪化して、違和感は風邪の確信へと変化していたのだった。
 
 僕は暖房のない気温10℃ほどの寝室で、メリノウールのインナーの袖に手を通しながら、奥のリビングで朝食の準備をするイナオに、風邪薬を買いたい旨を伝えた。
 
 リビングに向かうと、 イナオは風邪を引いたのは気の毒だと言いながら、前日と同じようにポットでお湯を沸かしてお茶を淹れていた。
一通り着替え終わった僕は、それを横目に浴室に入って、洗面道具を片付け、その他散らばっていた衣類や小物をどんどんスーツケースに詰め込んだ。
そうして片付けながら、何も塗らずにトーストを口にくわえて、イナオと話を続けた。昨日はあいにく閉まっていたシュリ・シュリ・ゴヴィンダジ寺に寄ってからバスを拾うことにした。
 
 ある程度荷物がまとまって、ソファに座って一息頃には、お茶を一口二口すすっただけで、時計はそろそろ出発の時刻を指していた。
 
 今日はバスでインパールから北の山岳地帯の町、コヒマへ向かう。このルートには、特定のスケジュールで運行する路線バスというものは無い。唯一の方法は、だいたい出発したい時間に合わせて、おきまりのSuzukiのバンや小型バスが集まる場所で、コヒマに行く運転手を見つけることから始まる。
 
 つまりお昼頃に現地に到着したければ、3時間半を差し引いて、バスの停留所に向かい、車を探さなければならない。しかも事前に聞き出していた情報によると、今回の道程も相当荒れた山道らしい。はたして予定通りに出発し、到着できるのかも定かではなかった。
 
 一刻も早く出発したいと思えてきた。入り口のガラス戸から外をぼんやり眺めると、光量からして天気はすぐれないようだった。
 
 しばらくの間、僕らはコヒマとその後のことを話していた。インパールからコヒマへの往路よりも、コヒマからの復路のバスは少ないようだ。不安げな僕の表情を見たのか、イナオは、インパールに早めに戻ってくるならいつでも連絡してくれと親切に言ってくれた。
 
 ちょうどその頃、下の階から、イナオの叔父が呼ぶ声がした。そして、呼び寄せていたタクシーの運転手がゲートに到着したことを、知らせてくれた。
 
 僕は忘れ物が無いか確認して、荷物を二階から階段を使って地上階に運んだ。
 
 バス乗り場まではイナオも同行してくれるという。待機していたタクシーは昨日と同じだった。イナオは助手席に乗り込んだ。運転手はイナオと知り合いだからか、気を許していて、大音量でインドのポップソングを車中に響かせていた。
 

 
 まず寺院に立ち寄ってから、バスの停留所に向かう。朝8時の道路はそれほど混み合ってはいなかった。しかしその頃から、突然雨が降り出した。なかなかの勢いだ。
 
 宿を出てから10分もすると、大通りから右に折れた。奥に広がる草むらの空き地に着くと、そこが寺院の裏側の入り口だった。
 

 
 今日は門が開かれていた。イナオも下車して、中を案内してくれる。入り口で靴とソックスを脱ごうとしたが、境内は雨水で濡れていて、躊躇した。イナオはサンダルを何も気にせず脱ぎ捨てて、中へ歩み進んだ。僕は観念して靴と靴下を脱いだ。
 
 
 
 境内には朝から5、6人の僧侶と尼が祈りを捧げ、沐浴し、お香を焚き、そして箒を持って掃除していた。ヒンドゥー教の日々の修行の一貫なのだろう。仏教が派生した原点の宗教だから、日課も似ているように思えた。
 

 
 僕は雨に打たれながら、急ぎ足で境内一円を巡り歩いて、一眼レフとiPhoneで写真を撮った。菩提樹を探してみたが、ヒンドゥーの聖樹では無いので、あるはずもない。
 
 僕らは入り口に戻った。靴下を履く前に手で足の裏の湿り気を拭ってみたが充分ではないから、さらに靴下のアンクルの部分で拭いてから、靴を履いて、タクシーに乗車した。
 
 そして5分もすると、タクシーはRaj Medicity病院の角に差し掛かった。前方左側に所狭しとマイクロバスやSuzukiのバンが駐車しているのが目に入ってきた。停留所というよりは、バスが思い思いに出入りする駐車場という印象だ。
 
 
 
 タクシーが道路の左側側に寄せながら徐行して進むと、多くの男性が車に寄ってたかって売り込みにきた。大声で、どこへ行く、いくらだ、とか口々に発している。というより、イナオがサイドウインドウを下げて彼らと話している様子から、おそらくそうなのだろうと想像したまでだ。
 
 タクシーが目指していたバスのカウンターの前に到着すると、イナオが降りて男性と話している。僕も降りて様子を伺った。コヒマまでは800ルピーだとか言っているようで、イナオが首を傾げ、両肩をせりあげて、おいおい、それはいつもと違うだろうという雰囲気でやり取りをしていた。
 
 話が終わると、イナオは僕のところへやってきて、「500ルピーだ、あそこにいる男に支払って」と言った。どうやら無事に通常の500ルピーまで下がったようだ。
 
 マイクロバスやSuzukiのバンの群れを避けて歩くと、道路の左側に木を組んだだけのような、チケットカウンターと呼ぶには申し訳ないくらいボロボロの掘っ立て小屋があった。そこに立っていた男性に500ルピーを支払うと、紙切れを手渡された。それを見たイナオは、「席の番号は9だ」と言った。
指さされたマイクロバスを見ると、その風態からして、相当古く、80年代初頭くらいのものかもしれなかった。すでに乗客が乗り込んでいて、エンジンのかかったバスはもうすぐにでも出発できそうだった。
 
 
 
 イナオは、「乗り心地は悪いかもしれないが、我慢してくれ」と言った。
 
 しかしそんなことよりも、僕はイナオに風邪の具合が良く無いから、薬を買いたい旨をリマインドした。イナオは思い出したのか、眉間のシワが広がるように表情がパッとひらけて、運転席の窓ガラスをコンコンと叩いて、運転手に「ちょっと待ってくれ」と伝えた。
 
 バスの停留所はちょうど病院の目の前だったから、僕らは病棟に入って奥のカウンターに座っている人に話しかけた。しかしどうやら、処方箋しか出していないらしい。仕方なく僕はバスのほうに戻った。
 

 
 タクシーの運転手が近寄ってきて、スーツケースはすでに載せたと言った。
 
 僕はイナオとタクシーの運転手にお礼を伝えた。イナオには、コヒマからまた状況をWhatsAppで連絡すると伝えた。
 
 
  「マイクロバスで、コヒマへ向かう」
 
 
 乗車すると、車内は人と荷物でぎっしりだった。シートは全部で5列、入って左側に二人席が5列、右側に一人席が5列だった。僕はシート番号9だったが、各座席にはどこにもそんな表記がないから、とりあえず後ろの方の空いている二人席の窓側に腰を下ろした。
 

 
 確かにスーツケースは積み込まれていた。というより、通路に山積みにされた乗客の荷物の上にどんと乗せられていた形だ。通路は足を入れる隙間もないから、荷物の角に靴をぐいと押し込んで、床にタッチして歩く感じだ。土だらけのインパールに降った雨に 濡れた泥が、みるみるスーツケースを汚していった。
 
 すると運転手が運転席から後ろ向きに車内を見やりながら、「揃ったから出発だ」と言ったのだと思うが、ヒンディー語か何かだったので、想像しかできなかった。エンジンがかかり、旧式のディーゼル特有の揺れと走り出しの遅さがどこか懐かしかった。
 
 運転手はマニプール特有の肌の浅黒い、顔は日本人にどことなく似たモンゴロイド風の顔貌をしていた。
 
 マイクロバスはインパールからコヒマに向けて北上し始めた。NH2という「ハイウェイ」ということらしい。ハイウェイとは言うが、ガードレールすらない片側一車線の極めて単純な施工の道路でしかない。
 
 それでも、しばらくの間は、都市部と同じ舗装された道路の快適さに満足だった。
 

 
 30分ほどすると街道の途中で、バスが停車した。
 
 運転手が後ろを向いて、「メディスン?」と大きな声で言った。
 
 はじめ何のことか分からなかったが、僕は自分のことだとすぐに悟って、イエスと返事した。
 
 運転手は「カム」と言って手招きした。
 
 僕はバスの前に向かって懸命に荷物を越えて行き、バスを降りた。助手席の男性も降りてきて、あっちだと指差しながら、道の反対側に歩き始めて先導した。
 
 よく見ると、沿道には小さな商店がいくつも立ち並んでいる。
 
 男性が連れて行ってくれたのは、入り口もドアもない薬局だった。僕は空になった風邪薬の錠剤が入っていたプラスチックの梱包をポケットから取り出して、店主に見せた。
 

 
 すると、あぁという感じで表情が変化して、奥から箱に入った錠剤のシートを二種類出してきた。それをハサミで切って、6錠ずつに小分けにした。店主曰く、三日間分あって、朝と夜の食後に服薬すること。80ルピーとか100ルピーくらいを支払って、僕は店主と助手席の男性に礼を伝えてから、バスに戻った。
 
 僕は運転手に、そしてバスの他の乗客に待ってくれてありがとうと伝えた。1分1秒を気にする日本なら考えられない寛大さだと思った。
 
 僕は席についてから早速風邪薬を1錠ずつ飲んだ。
 
 バスは再度出発すると、すぐに山道に差し掛かった。さっきの街道沿いの店々は、インパールから山道に入る前にまとまった買い物ができる最後の商店街だったのかもしれない。
 
 それから先はとたんに舗装が崩れ出して、バスが大きく揺れるようになった。上下の揺れに悩まされるだけでなく、急勾配にエンジンがひいひいと言っている。もちろん走行スピードはがくんと落ちた。
 
 道幅で言うと、モレーからインパールまでのルートと比べ、さらに狭い。カーブの数も相当多く、対向車とのすれ違いが際どいラインを攻めるので、窓側に座っているとヒヤヒヤする。
 
 バスの激しい揺れに耐えながら二時間もゆくと、勾配が緩くなり、目に入ってくる沿道の建物の数が多くなってきた。中央のメインストリートの頭上には「Maoゲート」と書かれたアーチがある。ここでマニプール県を離れ、少数民族ナガ族の居住区であるナガランドに入った。
 
 するとバスが止まった。通路を挟んで向かい側にいる男性が言うには、ここでランチらしい。
 

 
 全員が降りたので、僕も外に出てみる。まだ雨がしとしとと降っている。それより、かなりの寒さが肌を緊張させた。風邪を引いている最中だというのに、やはり天気予報通り、コヒマはインパールよりも寒いということらしい。しかも、まだインパールまでは1時間ある。僕はジャケットのフードを被った。
そして、コヒマの手前で今日宿泊するAirbnbのホストに連絡を試みた。山岳地帯に入っているので、電波は入ったり入らなかったり。単なる数語のメッセージでさえも、送ったつもりが未送信の状態になってしまう。僕は諦めて、乗客たちが食事を終えるまで、近くを散策してみることにした。
 
 この宿場町は片側に木造の商店が立ち並んでいる一方、反対側、つまり山の斜面側には、コンクリ造の頑丈そうな建物が並んでいたので、道を挟んだ両側で面持ちが異なった。
 

 
 沿道を歩くにつれて、商店の庇の下で雨を避ける人々や、商店の店主たちの顔貌と着ている衣類が、インパールで見ていた現代的なパンツとスエット姿からは一変していることに気づいた。皆、黒地に鮮やかなボーダーの柄の入った生地を纏い、人によっては刺繍の入った大判のショールで首から肩周りを覆っている。彼らこそ、ナガ族に違いない。
 

 
 僕は雨に濡れた泥道に視線を落としながら、頭の中で、古びたバスと道ゆく民族の姿を重ねて、もちろん行ったことは無いのだが、もしかするとネパールやインドの山岳地帯はこういう様子なのだろうかとイメージを膨らませた。
 
 しばらくするとバスの乗客は食事処から出てきた。運転手が歩み寄ってきて、僕に対してランチは摂らないかと勧めてきたが、何せここはインドだ。食事には何よりも注意しなければならないと自分に言い聞かせていたから、僕はここでは何も食べなかった。
 
 下にはPatagoniaのフリース、上にはNorth Faceのプリマロフトの上着を着ていても、あまりにも寒い。風邪のためか、身震いがした。僕は向かいに並ぶ商店に布のようなものがぶら下がっているのを見て、近寄ってみると、それらはスカーフだった。素材はコットンだが、この際気にしていられない。少しでも防寒対策をしたい。
 
 店主に値段を聞いて、120ルピーでアフガン・ショールのような柄のスカーフを買って、すぐに首に巻いた。
 
 それからバスに戻ると、乗客はだいたい揃っていたが、最後の一人がどこかに行ったまま戻ってきていない。10分は待っただろうか、なんとか視界に入る遠くの店で何かを買っている男性を乗客が見つけて、運転手がバスのクラクションを長く鳴らして気づかせていた。やがて男性は帰ってきたが平然としていて、乗り込んだ時でさえも、彼は特に何も言わなかった。
 

 
 そしてバスは出発した。
 
 今夜泊まるAirbnbは、ここから1時間圏内のはずだ。ほとんどキャッチできない電波ではあったが、コヒマに近づくにつれて、地図の縮尺の感覚が掴めてきた。いまさらわかったことだが、宿はコヒマよりも12kmも手前にある。コヒマから引き返すとしたら、現地の勝手もわからないので、時間とお金が無駄になると思った。
 
 僕はバスの前の方ににじり寄って、運転手の後ろから、先に降ろしてもらえるか頼んだ。走行音がうるさくて会話は困難を極めそうな予感がしたが、「クリスチャン」なんたらという場所のところだと発した瞬間に、彼は理解したようで、「OK、 OK、アイノウ」と返事した。
 
 それでも少し不安だったので、僕は席に戻ってからも、それからの30分ほどは、何度もiPhoneのGoogle Mapを開いて、バスの現在地と目的地の位置関係を確かめていた。
 
 やがてバスは宿の二、三手前のカーブに差し掛かると、少しずつバスがゆっくりになって、運転手はステアリングにのしかかるようにして、前方の標識や看板を探し始めた。
 
 僕は地図をじっと見ながら、次のカーブになったところで、運転手に「次の曲がり角を過ぎた所です、Japfu Junction」と伝えた。
 
 無事に到着すると、僕は重いスーツケースをずりずりとバスの通路を引き摺って下車した。運転手と他の乗客にありがとうと礼を伝えた。
山間の細道に降り立つと、外気は冷たく、雨は激しさを増していた。バスが遠くへ消えてゆくのを見ながら、曇天の下、気持ちは少し寂しさに沈んでいた。
 

 
 僕はスーツケースを転がして雨水が流れる坂道を登った。すぐに右側にビクトリア様式風の二階建ての建物が見えてきた。階段を登ると、開いたドアを見つけて、中へ入ると、暗がりの空き家か倉庫のような場所だった。僕は、ハローと大きく発した。
 

 
 奥から、ヘイという声が聞こえて、若い女性が出てきた。
 
 「着きましたね。私はホストの妹です。姉は仕事で出ているので、私が担当します。」
 
 僕は挨拶をして、二階の部屋に案内された。
 
 部屋はなかなか広いが、寒く、暗い。床はコンクリートが打ちっ放しの上に古く汚れたカーペットが敷いてあるだけで、冷え込みが激しい。ベッドはインパールと同様の、薄く、硬く、そして冷たいものだった。掛け布団は何枚かの毛布があるだけだ。これではきっと夜中、寒すぎるに違いない。日中の今で気温8℃だ。
 
 浴室はインパールと同様、便器が置いてあり、その奥に水道の蛇口とバケツが置いてあるだけだ。しかしここには、給湯器がない。窓ガラスの締まりが悪く、隙間から冷たい空気が流れ混んでくる。
 
 その時、後ろから声がした。
 
 「ヘイ、温かいお茶いる?」
 
 僕は「はい、欲しいです」と答えて、ちょうど良いので、お湯を使うにはどうすれば良いかも訊いてみた。
 
 「身体を洗うのにお湯が必要なら、向こうの炊事場で薪を焚いてお湯を沸かすので、いつでも言ってね。あんまり一気に多くは沸かせないけど。」
 
 僕はありがとうと伝えたが、部屋の寒さといい、浴室に吹き込んでくる山からの冷たい吹き下ろしといい、そして風邪を引いている以上、僕は身体を洗うのをやめておこうと決心たした。
 
 挿れてくれたお茶は、表面にミルクの膜を貼ったものだった。マグカップを持つ手もそうだが、一口飲むと、身体の芯が温まるようだった。ミルクの量が多く、味は淡白で、ここでもチベットやネパールで飲まれるお茶はこのようなものかと想像できた。
 

 
 しばらく部屋で落ち着いてから、部屋の外に出て共有のリビングを越えたところにある厨房まで歩いた。そしてホストに、半日で良いので、早速コヒマの観光をしたいと伝えて、タクシーの事情を教えて欲しいと頼んだ。
 
 彼女曰く、ちょうどクリスマス休暇なので、タクシーの運転手もお休みだという。ナガランドもキリスト教徒が多いのだろうか。
 
 「営業している運転手はいるかもしれないけど、料金は高くなってしまうかも。それでもいい?」
 
 選択肢を持たない僕は、一応相場を教えて欲しいとだけお願いして、法外な値段でなければ、運転手の提示額でいいですと伝えた。
 
 ホストは「OK、ちょっと待ってて」と言うと、携帯で電話をかけ始めた。何人か当たってみたのだろう。電話を切ってはまたかけることを数度繰り返していた。  
 しばらくして、一人1400ルピーで見つかったという。日本円でおよそ2200円。半日にしては高いような気もしたが、選べる身分ではない。僕は承諾した。
 
 (つづく)